「……なんだ、その格好は」

 執行部室に飛び込んできた紫上結奈の姿を見て、九条綾人は呆然とした。

 

 after tragedy





「あ、ごめんなさい。綾人様いらっしゃったんですね」

 結奈は執行部室にいた九条の姿を見て、乱暴に扉を開けた非礼を謝る。

「いや、それはいいんだが。どうしたんだ、その格好は」

 体操着に制服のスカート、それだけなら外作業をするときに見慣れた服装だが、その体操着が濡れて透けているのはなんとしたことか。

「琴音ちゃんの悪戯で水をかけられてしまいまして、それで着替えに……、……総代?」

 呆然とその姿に見入ってしまった九条はその声に我を取りも出したようにはっとすると首を大きく振ってから上着を抜いた。

「総代?」

「…………」

 上着を強引に結奈にかぶせて1つため息をつく。

「……結」

「はい」

「……お前、この格好でここまで歩いてきたのか?」

「え? えぇ」

 何を聞かれてるのかよくわからぬままとりあえず頷く。

「……お前……」

 九条は疲れたように放心したように大きくため息をついた。

「綾人様?」

 訝しげに眉をひそめるその様を見て、何を言いたいか全く理解していないのだろうと察する。

「結。無防備にも程ってものが……」

「はい?」

「いや、だからな……」

「はぁ」

「……透けてる……」

「え? きゃああ」

 そこでようやく気付いて九条にかけてもらった上着をぎゅっと握り締め体を隠した。

「……まったく。前々から思っていたが、お前は少し自分のみに対して無頓着すぎる」

「そう、でしょうか」

「そうだ。討魔の時も前線に出たがるし」

「それは、綾人様をお守りするためで……」

「そんな格好でふらふら歩いているのが最たる例だ」

「それとこれとは関係ありません!」

「ある」

 抗議する結奈に断言する。

「どれもこれも、自分が女だとわかっていない証だ」

「そんなこと知っています」

「知ってるだけだろう。わかっていない」

「何がおっしゃりたいのですか」

「もう少し自分の身を大事にしろと言っているんだ」

「いやです」

「は?」

「大体それは私の言葉ではないですか」

 結奈は上着をぎゅっと握って言い返した。

「御身を大事になさらないのは誰ですか。何時も一人で無茶ばっかりなさって」

「それとこれとは話が別だ! 話をすり替えるな」

「先にすり替えたのはそちらです!」

「俺はすり替えたんじゃない。最初から最後まで結が無防備だという話しかしていない」

「だからそんなことないって言ってるじゃないですか」

「なかったら、誰かそんな格好で歩いてこれるというんだ」

「綾人様は心配しすぎです」

「頼むからもう少し自分という人間をわかってくれ」

 いっそ懇願に近い声で九条は言う。それがなんだか聞き分けの無い子どもに言い聞かすような声に聞こえてかっとなった。

「私のなんかを見て喜ぶ人間がいるわけ無いでしょう」

 だからそもそもその見解からしておかしいんだと言い返そうとして、更なる叫びに遮られる。





「こんな可愛げのない女に誰が好意を寄せましょうか……!?」





 容姿端麗才色兼備高嶺の花。

 彼女に送られる賛辞は事欠かない。

――さすが、紫上結奈だな。

――隙がないねぇ。完璧じゃん。

――それでこそ紫上家の跡取り娘。

 称賛を与えられれば与えられるほど出来ていく周囲との壁。

 弱みを見せることを封じられ、弱音を吐くことを禁じられる。

 優等生であれ。

 一歩でも足を踏み外せば、価値がないかのような錯覚を覚える。

 称賛をという名の脅迫に怯える。

 こんな人間に女を自覚しろという。

 それは酷く惨めで残酷な言葉。

 白鳥になることを望む家鴨のように、滑稽で哀れだ。





「……私なんかにそんなことを言わないで下さい」

「……」

 顔を伏せうっすらと涙を浮べた

「……惨めになります……」

「……結」

 九条が結奈の細い手首を掴む。

「……総代?」

 こぼれそうになる涙を必死にこらえ、結奈は九条を見上げた。

 その透き通るような肌を美しいと思う。だから九条は言った。

「紫上結奈は俺の腹心だ。何人たりとも侮辱することは許さない」

 ぐっと引き寄せた。顔を近づける。

「……結、お前でもだ」

「…………私は」

 ほろほろと頬を伝っていく涙を見たくなくて、九条は結奈を抱き寄せた。

 その孤独。

 それは我が身の内にも巣くっていて、馴染みが深すぎて意識せねば思い出せない。

 苦しむ少女の姿は鏡に映った自分を見るようで、それを肯定するのは傷を舐めあう行為に少し似ていた。

「……だから、二度とその身を軽んじてはならぬし」

 九条は軽く笑った。

「そんな格好でうろつかないでくれ」

 それ以上その感情に踏み込むことのは怖かった。







「さて、着替えだったな。扉の外で待ってるから終わったら呼んでくれ」

「はい」

 結奈に微笑が戻ったことを確認して踵を返す。その時背後で小さくあっと呟く声が聞こえた。

「どうした?」

「あ、いえ、大したことではないのですけれど……」

 そういえば、あの場に伊波君と若林君がいたなと思って……

 どこかおどおどと呟く結奈に、九条が振り返る。

「……ほぉー?」





 その後のことは誰も知らない。