「……風鈴?」

 どこからか聞こえてきた音色に結奈は呟いた。

 夏の昼下がり、微かに風が吹き込む執行部室でのことだった。

 

 夏、その朱





 生徒会執行部参事。

 それか彼女の肩書きではあったけれど、実際の仕事は九条宗家嫡男九条綾人の秘書みたいなもので、執行部室で広げられている書類の中には学校とは関係ないプライベートなものであることも多い。

 その時処理していた書類もプライベートなものだった。

 仕事を片付けるのはこの場所でやるのが一番効率がよい。家にいると色々とした雑事を言いつけられることが多い。分家とはいえ紫上家の跡取り娘には面倒くさい付き合いが多い。この場所にいるということは、いわば九条綾人のお墨付きがある仕事だとして、大目に見てもらえることが多いのだ。

「……大目に見るも何も、本当に綾人様の仕事か……」

 この書類を片付けたら、次の祭事の挨拶の草稿を書かねばならぬ。仕事はどこからかいつも沸いてくる。

 一つ伸びをしてから再び書類にのめりこむ。夏の日差しは容赦なく空気を熱し、かいた汗がじっとりと肌を伝って落ちていく。紙が湿気を吸ってちょっと書きにくい。

 それからどれくらいしただろう。

 額にかいた汗が珠を結んで紙面に落ちた時その音色は聞こえてきた。

「……風鈴?」

 伏せた顔を上げると、肩まで伸ばした髪が首筋にまとわりついた。

「風情があっていいだろ?」

「総代……」

 何時の間にきたのだろうか。気配を殺してきたのだろう。その音色は突然背後で鳴らされたのだ。驚かせようとしたに違いない。

 振り返れば悪戯小僧みたいな顔をして九条綾人が立っていた。

「風鈴ですか?」

「あぁ。出入りの者が置いてっいったんだ。ここに飾ろうと思ってな」

 そういって揺すってみせる。得意げな顔に何も言えなくなってしまう。

 透明な球体に描かれたのは花火だった。精緻な絵柄。無造作に扱っているが、案外高級なものなのかもしれない。

 宗家の関心は引けたのだろうけど、子どもの溜まり場に飾られてますよ。誰だかわからぬ人間に同情した。

「どこに飾りますか?」

「そうだなぁ」

 風鈴を揺すりながらぐるっと部屋を見回す。ガラスが響きあう音が相当気に入ったらしい。なんだか嬉しそうで思わずつられて微笑んでしまう。

「あそこにするか」

 九条は窓脇の出っ張りを見つけて指差した。少し高いところで背伸びしても届かなそうだ。そそくさと椅子を引っ張り出してそこに乗った。

 引っ掛けようとした振動で音が鳴る。涼しげで悪くないなと結奈は思う。

 と、まさにその時一陣の風が吹いた。

「うわ」

「え?」

 風に煽られ風鈴の先に付けられた和歌がしたためられた紙が九条の目に入りそうになった。反射的に九条は目を閉じる。

 そして九条の椅子の足を押さえていた結奈は声につられて上を見上げ、そして見る。九条の手を離れ頭上から落ちてくる風鈴の姿を。

「結……!」

「きゃ」

 思わず両腕で顔を覆った。ぴりっとした刺激が走る。

「すまん、大丈夫か?」

 慌てて九条は椅子から降りて結奈の腕を掴んだ。

「あ、はい。大丈夫です」

「大丈夫じゃないだろう。血が出てる」

「え? あ、本当ですね」

 手を離れた時に壁にぶつかったようだ。風鈴に傷が入り鋭くなりそれが結奈の腕を傷つけた。

 手首に近いところに一筋の傷ができ、血が薄っすら滲み出していた。

「……すまない」

「総代? あの、別にこれくらい……」

 これより酷い傷を九条にさらしたことなど数え切れない。何を今更と言いたげな結奈は見ていたが、九条は気付かずただその傷を見つめた。

 白い肌。外に出て猶焼けにくい腕のその裏側。柔い肉に傷ついたそれ。

 赤い血がやけに浮いて見えた。この場所に、こんな色彩が存在している。

 それは侵しがたい何か、禁じられたどこかに踏み込んでしまった錯覚を覚える。



「総代?」

 少しくらくらする。

「総代」

 あってはいけない。その白を穢しては。

「総代!」

 揺すぶられる。





「……結。験力で治せ」

「験力の使用は禁止されてますが……」

「いいから治せ」

「それは」

「命令だ」

 言葉を遮って言う。結奈は驚いたように目を見張った。

「早くしろ。……でないと……」

 九条はその腕を引っ張って唇を近づける。



「俺が消毒するぞ」





「あれぇ? 何、掃除中?」

 執行部室に入ってきた伽月は床に座り込んで何かを片付けている総代と参事の姿を見つけた。

「いや、ちょっとな」

「…………」

 九条総代は誤魔化すように言葉を濁らし紫上参事は押し黙る。

「なぁに? 怪しいなぁ。あ、何それ」

 伽月は目敏く風鈴のかけらを見つける。九条は苦笑して答えた。

「夏の風物詩の残骸だよ」

 



 その日以降、執行部室に風鈴の姿を見ることはない。

 結奈の腕の傷は綺麗に消えていた。

 


段々キャラが崩れてきたよね。はい。

本当はもっと真昼の情事っぽくなる予定だったのですが、なんか中途半端に怪しくなったので却下しました。

というか、世の中には本当にもっと九条結奈が流行してもよいはずだと思うのだ。