「綾人様! 今日提出の書類持ってきていただけましたか?」

「……………………あ」

 

氷解。に近いこと。





「え〜? 今日結奈お休み〜?」

 何時も朝の早い結奈がその日、教室に現れなかった。不審に思った伽月が石見を捕まえて尋ねたところの返答が「参事欠席」だった。

「どうやら体調を崩したらしいです。早く直るといいんですが。さて、今日の連絡です……」

 石見が週案片手に連絡を始めるのをよそ目に伽月と御神は小声で話した。

「どうしたんだろ、結奈」

「別に昨日は普通やったけどなぁ、結奈はん」

「帰りちょっとお見舞いに行ってみようか」

「そうやなぁ。たいしたことなけえりゃええけどな」

 伽月と御神が腕組をしながら呟いた。

「……もしも〜し、授業始めますよ〜」

 途中から話が脱線して、紫上家の家の大きさとかについて盛り上がりはじめた二人に石見が申し訳なさそうに声をかけた。





「あ、総代! これから結奈のとこお見舞いに行くんだけど、総代もいかない?」

 放課後、紫上家へと繰り出そうとした伽月と伊波、御神はその廊下で九条を見つけて手を振った。

「見舞い? 結の?」

「そうそう。今日、結奈お休みしちゃったんだよ。総代知ってた?」

「……あ〜、うん。いや、まぁな」

 九条は彼らしくなく視線を宙に彷徨わせ、煮えきらぬ口調で答えた。

「結、は家にはいないぞ」

「え? もしかして病院? 入院しちゃったとか?」

「なんやそれ! そんなに重病やったんかいな!」

 伊波も微かに眉をしかめる。

 だが、九条はどこか疲れたような後ろめたいような顔をして意外なことを言った。

「……いや、今執行部室にいる」

「…………なんで?」

 伽月がきょとんと目を丸くする。御神も似たような間抜けな顔をしていた。

「……あぁ、まぁ、色々あってな……」

 彼らしくないはっきりしない物言い。伊波は尋ねる。

「……それ、なんですか? 綾人さん」

 彼の手に抱えられた大量の缶ジュースやらお菓子やら何やら。

「……結への差し入れだ」

「…………何したんですか、貴方」

 伊波の言葉に九条は大きくため息をついた。





「……うわぁ」

 総代たっての願いにより、執行部室に着いていった三人はその部屋に入るなり同時に呟いた。

 机の上にちりばめられた書類の数々。その中で一人黙々とペンを動かす紫上結奈の姿。その姿はどこか鬼気迫るものがあった。

「ゆ、結奈……」

「こりゃ、ひどいわ」

「頼みますよ、総代」

 不機嫌だ。あんなに不機嫌な結奈を三人は初めて見た。ある意味貴重なショットなのかもしれない。そう思いつつも、あまり近寄りたくない。怖い。

「わかってる。言うな」

 冷や汗をかきながら九条は結奈に近寄り、差し入れを傍らに置く。あの結奈はんに近づけるのがすごいと御神はどこか間違った感想を抱いた。

「すまん、結。一日学校をサボらせてしまったな」

「いいえ、お気になさらず」

 顔も上げずに結奈は素っ気無く言った。

「差し入れだ。……その、本当に悪かったな」

「いいえ。綾人様に仕事を任せっぱなしで進行状態を全く確認しなかった私のミスですから」

 取り付く島もない声。

「……悪かった。本当に悪かったから」

「そちらの書類に捺印しておいてください。もう少しで全て終わりますので」

 冷たい声。

「……あんなにすげなく扱われる総代初めて見た」

 伽月がボソッと呟いた。

「自業自得だからなぁ。フォローの仕様が……」

 一週間前から頼まれていた大切な書類の提出日が今日だったらしい。量が多いから結奈がやるといったのだが、九条は自分でやると言い張った。この参事は放っておくと何時までたっても仕事をしている。ここのところろくに自分の時間を持っていないことを知っていたから故の言葉だったのだが。

「仕方ないだろう! ここのところ、ずっと鼎さんの組み手の相手させられてたんだから」

「だからってその仕事の存在忘れたらいかんがな」

「それで結奈が一日ここに詰めて仕事をして立って訳ね」

 珍しく人間臭い失敗を見せたのが嬉しくて仕方ないらしい。御神と伽月は楽しそうに言った。九条は言い返せず眉間に皺を寄せていた。

「まぁ、病気でなくて何よりだよ。紫上」

「ご心配をかけて申し訳ありませんでした。午後には顔を出せるかと思ったんですが、思ったよりも時間がかかってしまって」

 穏やかに話しかけた伊波に向かって、結奈は始めて笑顔を浮べて言った。

「何か手伝うことあるか?」

「いいんですか? ありがとうございます。では同じ種類別に書類をファイリングしてナンバーどおりに……」

「あ〜、私も手伝う!」

「伽月はこれを食ってなさい」

 言って、九条の差し入れを勝手に伽月に差し出す。

「なんでだよう!」

「そうしててくれるのが、一番の手伝いだ」

 以前伽月に事務仕事を頼んでえらい目に合った覚えのある伊波は心の底からお願いした。

「おい、飛鳥。それは俺が結に……」

「総代」

 先ほどの笑顔はどこに行ったのか。冷たい声で結奈は言う。

「捺印を」

「……はい」

 不貞腐れて菓子を食べる伽月ともくもくと捺印をする九条を見て、御神が呟く。

「……力関係が見えるなぁ……」

 それでも、多分平和なんだろう。

 御神は、伽月の食べてる菓子に手を伸ばした。





「終わったぁ」

 何もしてないくせに、伽月は満足そうに伸びをする。書類を全て片付けた結奈はこった肩をぐるぐると回す。九条は書類を提出に行っている。

「手伝わせてすいませんでした、皆さん」

「ええってええって。気にするような仲やあらへんやん」

「あんたは何もしてないがな!」

 御神がぼけて伽月が御神に負けぬ似非関西弁で突っ込む。

「でも、本当にありがとうございます」

「いや、騒がしくしただけだった気がするんだけど」

「いえ、とても楽しかったです。煮詰まってきてたところだったから助かりましたよ」

 謙遜してみせる伊波に結奈が微笑む。

「お礼に何か奢りますよ」

 にっこりと笑いながら言った。その時、九条が部屋に戻ってきた。

「出してきたぞ、結」

 笑みを深くして結奈は言う。



「総代が」

 

 あぁ、この人まだ怒ってるよ。

 三人は同時に思ったものだった。







 そして、5人は紫陽花に席を移していた。そのテーブルの上にはサンドイッチやらぜんざいやらが所狭しと並べられている。

「もっと頼んでもよかったのに」

「い、いやいや。もうこれで十分やって、な。カヅはん、ナミ?」

 不機嫌そうに黙っている総代と不必要なほどにこやかな結奈を前に御神は恐る恐る言う。

「そ、そうだよね。コーちゃん。ね、飛鳥も。ほら。あはははは」

 何がほらなんだろう。伊波は目の前の冷戦を無視してとりあえずサンドイッチを食んだ。

「……結」

 九条が肘をテーブルについてぶすっと言った。

「別に俺は奢ることが不満なわけじゃない。それを理解したうえで聞いて欲しいんだが」

 結奈は全く聞かず美味しそうにオムライスに手をつけた。今日はろくに物を食べていなかったので食べ物が胃に染みるようだ。

「確かに今回のことは俺が悪かった。言い訳の仕様がない。それはわかってる」

 九条と結奈は隣り合って座っていたが、結奈は全く九条を見る素振りがなかった。

「これだけ謝ってるんだから、いい加減機嫌を治してくれてもいいんじゃないか?」

 結奈は九条を見ない。

「今日は数学どこまで進みました?」

「え? え?」

 そんなに無視してしまっていいんだ。いっそ鮮やかなほどの無視にかえって伽月がたじろぐ。

「え、いや、えっと」

「悪いんですけど、明日ノートを見せてもらえますか?」

「い、いやぁ。私のノート見てもわっかんないんじゃないかなぁ」

「……寝てたからな」

「うるさい、飛鳥……!」

 九条をちらちらと見やりながらも伽月は言う。

「……今日遅れた分は俺が後でしっかり見てやるから」

「何か配られたプリントとかありました?」

「あ、い、いや、あらへんで。ほんま。なんもあらへん、な。イナ」

 再び鮮やかに九条の言葉を聞き流した結奈に、御神はすがるような目で伊波を見た。

 伊波は大きくため息をつく。

 冷戦。

 こんなに怒っている結奈を見るのは初めてだ。まぁ、それも仕方ないだろう。あの真面目な参事が学校をサボらなければいけなかったのだ。そりゃ怒りも深かろう。

 だが、同じ男として九条が憐れになるのも確かだ。

「……まぁ、いいか」

 下手にかばって怒りをこうむるのはごめんだ。いくら怒っているとはいえ、紫上結奈、どうせ総代には甘いんだ。

 そう思って、コーヒーをすする。

 その間も、九条の必死の弁解が続いていた。

「お前、何時までそうやって黙ってるつもりだ」

「お昼食べなかったから美味しいです」

「結」

「あら、皆さん。もう食べないのですか?」

「結!」

「残したらもったいないですよ」

「結……!!」

 言い募ろうと、結奈は総代などいないがごとくマイペースでオムライスを食べている。

 ……その時。

 後に御神は語る。

 俺は総代の目が据わる瞬間を見たと。

 



 総代の指が御冷の中の溶けかかっていた氷を1つ掴む。

「……あ」

 ふと、何かに気付いたような九条の声。視線が結奈の背後に向けられる。

 それが今までの様子と違っていたので、結奈も思わずそちらを向いた。

 その瞬間。

「あ」

 伽月の驚き。

 九条が結奈の制服の後ろ襟を人差し指で引っ張った。

「え?」

 御神の動揺。

 空いた服と肌の間に落とされた氷一欠けら。





「ひ、ひあぁ……!!」

 結奈の悲鳴。





「……あぁあ」

 伊波の嘆息。



「な、何するんですか! 総代!」

「おや、俺がここにいたのを知ってたのか、紫上参事は」

 背中を仰け反らせながら怒る結奈に、総代は詰まらなそうな声で答える。

「何子どもみたいなことしてるんですか!! あ〜、も、冷たい!」

「冷たいのはお前じゃないのか?」

「詰まらない洒落を言わないで下さい。ちょ、その手を放してください!」

 背中に入った氷を取り出そうとしたが、九条が服の後ろの裾を引っ張って取り出せない。

「いつまでも俺を無視してるからだ」

「わかりました。すいませんでした。だから放して」

「聞こえないなぁ」

「総代……!!」





 二人で騒ぐのを傍目に伊波は立ち上がった。

「あ、飛鳥?」

「……行こう。もう、大丈夫だろ」

「……そうやな」

 総代の意外な面を発見してしまった三人は、伝票はしっかり置いたまま店を出た。





「総代、お願いですから手を……!!」

 二人の騒ぐ声は、路地にまで聞こえてきた。

 


ギャグです。楽しい。九条がこんなキャラだったらよいなぁという願望を込めつつ。高校生だしね★

そして記念すべきことに空気こと伊波が初喋りです。ほっとくとどんどん黒くなっていきそうなので適当にセーブしたいと思います★