「四之宮さん」

 彼はいつも穏やかに笑って傍にいたので





 四之宮先輩と安土君。





「四之宮さん」

 昼休み同級生と学食へ行った帰り、穏やかな声に引き止められた。振り返ると、その先に見慣れた和やかな笑顔があった。

「安土」

 名を呼ぶと彼は微かに目を細め、急ぐでもなくコンパスの長い足で歩み寄ってきた。

「こんにちは。学食ですか?」

「そう。あんたも?」

「えぇ、俺はこれから。混んでましたか?」

「そろそろ空いて来たみたい。Aランは売り切れてたかな」

 彼は同年代の男子学生よりずっと落ち着いていて、彼が慌てている所を見たことが無かった。

 例えば窓から野球ボールが飛び込んできたとしたら、驚きを顔には出さずに硬直するのが私で、きょとんとしたまま黙ってちりとりと箒を出してくるのが安土という男だ。

 眼鏡をかけているがあまりインテリという印象は受けない。でも、眼鏡が無かったらなんか別人みたいだろうなと思う。

「そういえば、榎木さんが今日も来れる人は帰り打ち込みの仕事手伝って欲しいって」

「また?」

「とりあえず放課後になったら放送かけますけど」

「放課後じゃ遅いよ。いいよ、私がこれからかけてくる。どうせ誰もこないと思うけど」

「俺行きますよ」

「うん。あんた以外来ないよ。それじゃ。早くお昼食べてきなさい」

「はい。お願いします」

 踵を返して彼は歩き出す。足が長い。

「四之宮、今の誰?」

「うん? 図書委員の後輩」

「へぇ。結構いいじゃん」

 同級生たちが背の高い彼の後姿を見ながら言った。

「うん。いい奴だよ」

 彼はいつも穏やかに笑う。あわただしい現実の中で、彼の傍は心地よい非日常だった。





「……ほらね。やっぱり誰もいない」

 白々とした気持ちで図書室を見回す。そこには本を借りに来た何人かの生徒と、勉強にふける受験生の姿。あるべき図書委員の姿は私たちの他には一人もいなかった。

「急な呼び出しでしたからね」

「そういうレベルの問題じゃないでしょ」

 台帳でこつんと安土の頭を叩いた。いてっとあまり痛くなさそうに奴は呟く。

「今日も二人で作業か」

 自分の通う高校は結構長い歴史を持つ県立高校である。この度、図書館の電算化が決まり、今までカードで管理していたデータを全て打ち込むことになった。授業中は司書の榎木さんが打ち込みをしているのだが、放課後になると図書委員を捕まえては打ち込みさせるようになった。最初は物珍しさもあって結構な人が手伝っていたが、最近は面倒くさがって逃げるようになってしまった。

 そして、今は出張に行っていない榎木さんが白羽の矢を立てたのが安土だったというわけだ。

「っていうか、当番の委員まで来てないっていうのはどういうわけ?」

「あ、今日の当番うちのクラスなんです」

「もう一人の子は?」

「どうしても抜けられない用事があるって。別にカウンターは一人いれば平気ですから」

 ……逃げられたんだよ、安土。

「…………」

 そう言おうと思って安土の顔を見たが、言う気が失せた。温和なその微笑を見たら、そんなこととっくにわかっているように見えたからだ。

「……さ、仕事しようか」

 微かな敗北感を覚えながら、私はパソコンに向かった。

「手伝います」

 耳障りのよい声は、やはりその時も非日常だった。





「もうすぐ閉館となります。貸し出し手続きがまだの人は急いで下さい」

 それから一時間半ほどたった。ろくにおしゃべりもせず黙々と作業したせいで、打ち込みはだいぶ続いた。こういう時、無駄に話しかけてこない彼の性格は仕事のパートナーとして最適だと思う。

 安土が閉館を告げるのを聞きながらぐぅっと背伸びをするとぽきぽきっと音が鳴った。

「ちょっと疲れましたね」

「でも、結構進んだじゃない」

 沈みかけの陽がオレンジに図書室を染めていた。緩やかな風が外から吹き込んできて気持ちいい。心地よい疲労感に浸る。

「だけど、気をつけなさいよ。安土」

「何がですか?」

「適当に逃げ回らないと、また明日榎木さんに捕まっちゃうからね」

「でも、俺帰宅部ですし、バイトもやってませんから」

「そんなこと言ってるからいつも一人で打ち込みさせられるのよ」

「一人じゃないですよ」

「え?」

「四ノ宮さん、いつも手伝ってくれるじゃないですか」

「あ〜、だって私は委員長だもの。放っておくわけにはいかないじゃない」

「…………」

 使った台帳やカードを整理しながら言う。

「あんたはそこまで義理があるわけじゃないんだから、適当に逃げていいんだからね」

 昔から使い古された机のテーブルは傷やら落書きだらけで、電算化とかといっても全く近代的な雰囲気は感じないだろうなと思う。

「……俺、この仕事嫌じゃないんですよ」

「そういうこと言ってるから、便利に使われちゃうのよ」

 机の上を片付け終わって立ち上がろうとした。

 その時がたっと何かの音がした。



「四ノ宮さん」



 オレンジの淡い陽光が遮られ影が落ちる。

――彼はいつも穏やかに笑って傍にいたので



「俺」

 目の前に安土の顔があった。手を握られている。膝の間に彼の膝があって、彼が覆いかぶさるようにしているのを麻痺した頭で理解する。





「俺、貴方が思うほど、いい奴じゃありません」





 目前にある安土の目。いつも穏やかな彼の瞳に浮かぶ熱っぽい光。何がなんだかわからなくなった。





「あ、づち……」

 自分の声が擦れてるのがおかしかった。これじゃ怯えてるみたいじゃないか。安土なのに。

「……すいません。冗談です。忘れてください」

「じょ、冗談って」

「忘れてください」

 足を下ろして立ち上がる。手だけは握られたままだった。名残惜しそうに繋がれた手を見つめ、一度ぎゅっと握ってから離される。

「すいません。先帰ります。鍵締めお願いします」

「あ、うん……」

 走って去っていく後姿を呆然と眺めた。ずるずると椅子から滑り落ちる。

――彼はいつも穏やかに笑って傍にいたので



「何よ、それ……」

 飼い犬に手を咬まれた様な気分に陥るのだ。







「……何よ、それ……」

 

 


逆エロリ。というよりむしろ少年少女かも知れない。桃さんのイラストに話をつけました。思ったより安土君を書くのが面白かったです。

本物の絵はこちらから。安土サイドの話も書きたいなぁと思います。