Q「どうして怒るのですか?」

Q「あなたは怒らないのですか?」



 質問少女 

  質量保存の法則編





「……どうした、トキ……」

 部屋に入ってくるなり、しんちゃんはそう言った。私は答えず膝を抱えて部屋の真ん中に置いてある小さな座卓の上に置いてあるイチゴのショートケーキを睨みつけていた。

 今日は家庭教師の日だったが、しんちゃんが違う日だろうと勝手に遊びに来るのは母もよく知っているので段々母も遠慮がなくなってわざわざデザートとか用意することもめっきりなくなってきていた。そんな中、勉強が始まる前から机の中央に置かれたショートケーキ。皿には乗っているけど、お茶などの用意はない。状況を説明するべき自分は不貞腐れて押し黙っているのからしんちゃんの戸惑いは当然だろう。

 一つため息をついてから言った。

「……お母さんと、喧嘩した」



 職場で部下が大きな失敗をしたらしい。苛々していた母親に早く部屋に戻って勉強しろと怒鳴られた。思わず私もかっとなって怒鳴り返してしまった。ささくれ立った心のせいでお互いに些細なところをつつきあって、久しぶりの大喧嘩だった。母の顔を見ているのが嫌になって部屋に閉じこもっている間に用意されたのだろう。次に台所に下りたときにはテーブルの上にケーキが置かれていて、勉強が終わったらしんちゃんと食べなさいと遠くから声がかけられた。

「……そりゃ、おばさんからの仲直りしようって歩み寄りだろう。なんでまだ怒ってるんだよ」

「……だって……」

 そんなに簡単に許したくなかった。だって私は悪くないのに。

「だって、お母さん勝手だよ。自分が機嫌が悪いからって八つ当たりしてさぁ。気に入らないとすぐに怒鳴るんだもん。自分が好きで仕事してるくせに、すぐに苛々するんだよ。だったら止めればいいのに。私だって色々我慢してるのに」

「色々?」

「……雨の日、車で迎えに来てもらえない」

「……まぁ、中学生のガキには大事な問題だよな」

 呆れたんだろうが、心当たりはあるようで、しんちゃんは私をたしなめずに煙草に火をつけた。

「……ここで吸わないでよ」

「一本だけだ」

「煙草の匂い、嫌いなの」

「だから一本だけだって」

「しんちゃん……!」

 きつく言うと、しんちゃんはやれやれと肩をすくめて携帯灰皿にそれを押し付けた。

「……なぁ、トキ。質量保存の法則って中学で習うんだっけ?」

「物質の質量の総量は化学反応の前後で増減しないってやつ?」

「そうそう。無からは何も生まれないし、存在する物は目に見えなくなることはあっても無にはならないってやつ」

 携帯灰皿の中で煙草の先をぐりぐりと押し付けながら、しんちゃんは何気なく言った。

「案外あの法則は感情にも適用されるのかもな」

「……何言ってんの?」

「おばさんが、職場から持ってきた怒りを、今度はトキが受け取ったわけなんだろ。そういう風に考えたら、もしかして地球にある怒りの総和数ってのは決まってるのかも知れねぇぞ」

「んなわけないじゃん」

 馬鹿げたことをいう男に、冷たく言う。

「感情が、そう理屈どおりいくわけないでしょ」

「そうか?」

「当たり前じゃん」

 でも。

 しんちゃんは言った。



「でも俺、今おばさんからもらって来た怒りの感情で、トキに八つ当たりされてるぜ」





 言われて、すぅっと体が冷たくなった。





「………………あ」

 そして段々体が熱くなった。

 恥ずかしく、とても恥ずかしく、何も言えなかった。

「あ、別に嫌味いったわけじゃないからな。ただ何となく思ったこと言っただけだからな?」

 泣くほど辛くはなくて、でも笑って誤魔化すことも出来なくて、私は表情を選びかねてぼうっと床を見た。

 押し黙ってしまった私にしんちゃんが慌てたようにフォローを入れた。私は何も言えない。

「ほら、ケーキ食おうぜ、ケーキ」

「あ、うん。……どうぞ……」

 気の抜けた声で勧める。半分ほどしんちゃんがケーキをたいらげた。私はまだぼうっとしている。

「……トキ。ぼーっとしてると食っちまうからな」

 恥ずかしい。

「も〜らいっ」

 わざと道化た声を出して、私の分のショートケーキの上に載った苺を口に放り込んだ。

「……うん……」

 私はそれぐらいのことは許さなければいけない気がして、しんちゃんの顔をぼうっと見ていた。

「……怒れよ……」

 しんちゃんは疲れたように、がっくりと肩を落とした。

「……ごめん」

「だから気にしてないって」

「……うん……」

「あ〜、ったく」

 世話が焼ける。

 面倒くさそうに言ってから、自分の分の苺を私のに載せてから、私のショートケーキをフォークで一口分とって私の口に突っ込んだ。



「まぁ、色々あるよな」

「うん」

「仕方ないって」

「うん」

 



 ケーキを咀嚼しながら、母になんていおうか考えた。