青い空に、大きな赤い旗は風をはらんでばさばさと翻る。

 そのおじさんはいつもその下に寝転んでいた。





 旗守り





「おじさぁん、お昼持ってきたよ」

 森の中の小さな村、その中心からちょっと外れた人気のないところにその岩作りの館はある。私はすっかり慣れたその館の扉を勝手に上げて、階段を駆け上る。3階建ての建物、その屋上へとつながる扉を開けば、その人はやっぱりそこに寝転んでいた。

「おじさぁん」

「だぁから、おじさんじゃねぇっての」

 おじさんはのそっと体を起こし、ぼりぼりと無精ひげのはえたあごをかきながらあくびをかみ殺した。

「また、寝てたの?」

「寝てたんじゃねぇよ。見張りだ、見張り」

「する必要なんかないのおじさんが一番知ってるくせに」

 呆れて肩をすくめながら、お昼の入ったバスケットを手渡す。おじさんは目元を緩めてわりぃなと小さく言った。



 この館に住む人は、古来より旗守りと呼ばれている。国章が織り込まれた赤い旗、それを守っているから旗守りという。

 国境に一番近い土地の領主は、世襲制でなくその都度国より官吏が派遣される。そして、その人が住む館にはここが端なのだということを表すために国旗を掲げることになっている。

 いざこざが起きている国と隣している面の旗守りは、戦争の最先端というわけでエリートが派遣されることになっている。その反対で、のほほんとした関係が保たれてる国との国境なんて、何もすることはない。

 まぁ、いうなれば左遷というやつだ。

 この館に新しい旗守りが来たのは3年前、だけどおじさんは本当は正式な旗守りじゃない。





 おじさんはバスケットの布を取り払うと、嬉しそうに笑った。

「お〜。今日も美味そうだなぁ」

 麦のパンにハムとか野菜とか適当に放り込んだサンドイッチと干した果物とピクルス、代わり映えのしないメニューをおじさんは嬉しそうに眺めた。

 私は水筒に入れてきたお茶を注いで手渡してあげる。

「お母さんが怒ってたよ。あの人は何時になったら自炊を始めるんだって」

 私の家はこの村で唯一の宿屋で、でも旅人なんてろくにないので、ほとんど食堂というか酒場として機能している。いくら領主とはいえ、食事の面倒をしろなどという命令はされていないのだが、放っておくと何時までも何も食べなそうなおじさんに痺れを切らした村のお母さんたちがおせっかいを始めたのだった。

 実際おじさんの一日は、こんな暇な村の中にあってでさえ相当の暇人と認められている。

 朝になったら旗を揚げ、雨が降ったら下げる。夜になっても下げる。風が強かったら補強する。夕立が来たらやっぱり下げる。

 裁かなければいけない書類が来ると、締め切りの間際になってようやく机に向かい、それにも直ぐに飽きて村をぶらぶらする。それ以外はいつもこの旗の下で昼寝をしている。

「そんなにすることないの?」

「ちげぇよ、何もないように国境の監視をしてるんだろうが」

「何かあるわけないじゃない」 

 サンドイッチを頬一杯にほうばって、もごもごさせながらいう年上の人に呆れて言った。

「飽きない?」

「いや、案外面白い」

「どこが?」

「あ〜、そうだな。旗が翻るのは結構面白いし、色んな音が聞こえてくるし」

 おじさんは胡坐をかいて遠くを見ながら呟いた。

「それに、ここからなら、周りがよく見えるだろ」



 おじさんは本当の旗守りじゃない。

 新しい旗守りが着任したのは3年前、おじさんはその旗守りのお付きの人として、この村にやってきた。やってきたその日、うちの酒場にやけに人が集まったのを覚えている。

 シッキャク

 コウカク

 ヤッカイバライ

 そんな言葉が飛び交った。それを理解しないでいい年齢であったことを感謝する。

 その旗守りの人を、私はあまり覚えていない。あまり外にでる人ではなかった。食事の買い物とかはいつもおじさんがやっていて、肉ばっかり買っては野菜も食べなさいと怒られていた。

 そのころはおじさんは料理もして、頑張っていたのに。おじさんが自分で買い物しなくなったのは、その旗守りの人が姿を消してからだった。

「都に書類の提出をしてくる。留守を頼む」

 そう言って出かけて行って、帰ってこなかった。

 おじさんは、その日から旗の下でずっと旗守りの帰りを待ち続けている。



 もぐもぐと美味しそうに食べる。食べるのが嫌いなわけではないのだろう。なのに、自分のためには何もしない人。飄々として、愛想がよいわけではないのだが、今は旗守りとして親しまれている。本人はあくまで留守役だと言い張るが。

「……ねぇ、おじさん」

 この前、あまりに不憫に思った村長がこっそり都に使いを出した。この地方の旗守りの帰還はいつになるか、と。その返答が先日届いた。

 あの旗守りが出仕した事実はないと。

「おじさん、何時までここで待ってるの?」

「ん〜?」

 そのことは伏せておこうと、村の人たちは話し合って決めていた。村の人たちは、このおじさんのことが好きなのだ。

「も、もしかしたらさ。旗守り様どこかで迷子になってるのかもしれないよ? 探しに行ってみたりとかしないの?」

「…………」

「ほ、ほら。怪我して帰れなくなっちゃってたりとかさ。記憶喪失になっちゃってたりとかさ。そんなんで、もしかしたら帰って来れないのかもしれないじゃない。だからさ」

「…………」

「……だからさ……」

 なんだか泣きそうな気分で私は言う。

 

 探しに。

 探しに行けばいい。

 自分の時を止めないで、自分の時間を歩くために。





 おじさんはバスケットの中身を全て平らげ、お茶も全て飲み干してから、う〜んと伸びをしてごろんと横になった。

「あのな、俺あの人には本当にどうしようもない時に拾ってもらったんだ」

 そしてぼそっと喋りだす。

「本当に、俺ダメダメでさ。グダグダで、本当に駄目で、そんな時、あの人俺を拾ってくれてさ」

 その声は穏やかで、穏やかなせいで何か心が苦しくなる。

「だからさ、いいんだよ」

 あぁ、この人は。

「いいんだ、俺は、これで」





 この人は、多分、全てわかってるんだ。







  おじさんは、片目がつぶれている。瞼の上には大きな傷跡があって、再生した肉が少し引き連れながら白く盛り上がっていた。

 一度、森に入って狼に襲われたとき助けてもらった。

 服の袖から覗く腕には、消えない傷跡が沢山ある。

 過去を語ってくれたことはない。多分これからも語ってはくれない。

 そして、しっかり食べろと怒られながら、帰らぬ人を待ち続けるのだろう。





「……そっか」

「あぁ」

「そっか」

「……あぁ」

 自分の腕で枕を作って、気持ちよさそうに目を瞑りながら、どこか夢見るようにおじさんはいった。

「おじさん」

「だぁからおじさんじゃねぇって」

「食べて直ぐ寝たら牛になっちゃうんだよ、おじさん」

「だから、まだ二十代だっての」

 のたっとした口調でいうから、全然怒られている気がしない。

「……あんな。俺はここが気に入ってんだよ」

「……」

「平和だし、皆優しいし、空は綺麗だし、空気美味いし、それに」

 口元に笑みを浮かべて言う。

「可愛い娘が、毎日食事持ってきてくれるしな」

「な、何も出ないよ!!」

「ちっ、残念」

 喉の奥でくっくと笑う。

 この野郎。

 少し火照ってしまった頬を膨らませながら、私もその横にごろっと転がった。

 翻る旗。日に焼けて少し醒めた赤。風をはらんでばさばさと音がする。





「ねぇ!」

「ん?」

「チ、チーズは好き?」





 こういうのも、ありな気がした。