「今晩一緒に飲みませんか?」

「え、なんで?」



 夜語り〜out of the picture〜





「…………」

「…………」

 アンヌの酒場の一番奥の席で、ナッシュはちびちびグラスを舐めながら向かいに座る男の顔を眺めていた。そっちから誘ってきたくせに男は不機嫌そうに終始無言でグラスを傾けている。

「……なぁ」

「……何か?」

「何かじゃねぇよ。話があるから誘ったんじゃないのか?」

「何が楽しくて私が貴方なんか誘わなくちゃいけないんですか」

「何が悲しくて誘われておいてそこまで言われなきゃいけないんだ」

 自分より一回りは下の男に言われたい台詞ではなく、ナッシュは憮然と相手――パーシヴァルを睨み付けた。

「用がないなら、俺は行くぞ」

「どこへですか?」

「野暮なこと聞くなよ」

「クリス様のところへならご遠慮願いたい」

 本気で不機嫌そうな声でぼそっと言う。

「……なんで」

 行く先を当てられたナッシュがきょとんと問い返す。

「言ったでしょう? 何が楽しくて、私が貴方を誘わなければいけないんですか」

「……話が見えんぞ」

「クリス様からのご命令です。『私がおごるから、今日はナッシュと酒でも飲んでろ』」

 ルイスは伝言といったが、あんなの命令と一緒だ。憮然とパーシヴァルがぼやく。

「……え〜、マジで?」

 一瞬の間、その言葉の意味を正確に理解したナッシュは本当にわずかな間だけ傷ついたような顔をした。





 同盟がなってこの城が本拠地とされてさほど時間がたっていない。

 今、この城に性急に求められているのは、一時的でいい、他部族との和解であり、協力体制を築き上げることであった。

 にもかかわらず。

――「クリス様のうらぎりもの……!」

 その言葉は、きっと麗しの騎士団長が自分で思っているよりよっぽど大きく響いていた。階上にいたナッシュの所にまで。

 一瞬凍りついた彼女の瞳と、瞬く間に張り巡らされた英雄のバリアー。

 共に旅していたころはしょっちゅう苦悩していた彼女が、あぁ、ここでは悩むことすら出来ないんだなと思ったら、やはりここはお兄さんの胸を貸すところかななんて考えただけに、ちょっと自惚れたあたりがさすがに痛い。

「え〜、マジで?」

 机にだらしなく頬杖をついてだらしなく言う。

「それは、あれだよな? ぶっちゃけお互いに足止めしててくれみたいな感じだよなぁ」

「ずばり、そういうことでしょうねぇ」

「え〜、マジで?」

 なんだか結構それがショックで、そんな自分に驚いてもう一度呟いた。

「しつこいですよ」

「俺に当たるなよ」

「奢りなんだからそれぐらい役に立ってください」

「クリスの奢りなんだろ?」

「私が女性に金を出させるわけないでしょう?」

 いっそそこまで計算づくであってくれればいいのに。

 そうグラスと口の隙間からこぼした言葉。その時の瞳の乾きになんとなく気づいてしまったナッシュはさりげなく視線を逸らした。

「……マジで、か」

 口元を覆って視線の焦点知らぬ間にぼかして呟いた。

「……お姫様は俺たちには会いたくないと」

「私たちだけでなく、誰ともでしょうね。ルイスはあれでなかなか優秀な従者ですから、誰も入れるなといわれたら入れないでしょう」

「俺たちを除いて? 高い評価いただけて幸いですこと」

 だけど、まだ甘い。俺たちが共同戦線を組んで乗り込むという手をあいつは見逃している。

 などと、やるつもりもない作戦を頭の中で組んで小さくクリスに報復してみた。疲れてるときくらい素直に甘やかされてればいいんだ、あの無駄に頭のいい馬鹿が。

「……なぁんで、あんなに生真面目なんかね、あいつは……」

「…………」

「あんなんが頭じゃ、あんたらも大変だな」

 なんとなく同情を覚えて、向かいの男のグラスに酒をさしてやる。

「あんたはクリスとはどれくらいの付き合いなんだ?」

「……クリス、ね」

「ん?」

「……気安いもんだな」





「……」

 少し酒が回っているのが。テーブルの上を見れば随分瓶の中身が減っていた。

「……うらやましい?」

「えぇ、とても」

「いうねぇ」

 つまらなそうに返事したパーシヴァルにナッシュはくっくっと声を殺して笑った。

「じゃ、あんたもそう呼べば?」

「呼べませんよ。わかってるでしょう?」

 規律重視の縦社会。騎士団とはそういうところだ。

「……クリス様は変わりました」

 遠くを見ながら、パーシヴァルは呟く。

「……」

「以前はどこか頑なで、いつか折れてしまうのではないかと不安になったものですが……」

「あぁ」

「……美しくなられた。いえ、以前から美しくはあったのですが……」

「……あぁ」

 出会ったばかりの彼女を思い出す。旅の最中の彼女を思い出す。

 頭が硬くて生真面目で融通が利かない。そのくせ、剣の腕だけは抜群で、戦う様は何かの舞踊を思わせた。

 不安定。アンバランス。

 それを支えていた彼女の誇り高さ。最後まで彼女は彼女であり続けた。

「……ナッシュ殿」

「ん?」

「今度手合わせ願えませんか?」

「あんたと? こっちはもう年なんだ。勘弁してくれ」

「いっぺん殴りたいんです、あんた」

 あー、酔ってる酔ってる。目が据わってる。

「馬鹿だとはわかってるんです。クリス様が旅立てるよう仕向けたのは我々なのに」

 髪をゆっくりかきあげる。

「だけど、行かないで欲しかった」

 その手に遮られて表情は見えない。

「……どうして、ナッシュ殿なんですか?」

 その響きの切実さに気がついて、ナッシュは知らない振りをした。





 ずっと待っていた。

 硬く閉ざされたままだった蕾が綻ぶのを。

 花は咲いた。

 艶やかに誇らしく。

 花は咲いてしまった。

 自分の知らないうちに。





「……英雄がな」

「はい?」

 パーシヴァルの哀れなまでの忠誠心が胸に痛くて、ナッシュは我知らず言っていた。

「英雄になっていくのを見たよ」

「……」

「英雄ってのはな、生まれるんじゃなくて、なるんだって。人間ってのは本当に成長するんだって」

 悩みに悩んで破裂しそうになった臨界点間際、一人の少女をきっかけに彼女は硬い殻を脱ぎ捨てて、しなやかに地に立った。凛としたところも生真面目なところも、何も変わらないのに、だけど何かが確実に成長した。

「……気負いが無くなったんだろうな。誰かに期待されたからとか誰かにそう望まれたからとか。自分の行動の理由を他人に求めなくても、自分の望みが世界の望みと一致した。それも一つの英雄の形だと俺は思うよ」

 グラスを揺らしながら呟いた。

「大した女だよ、ホント」

「…………」

 どこか満足げに呟いたナッシュをパーシヴァルが不服そうな目で見た。

「なんだよ」

「……別に貴方の言ってることに異議を申し立てるわけではないですが、貴方にクリス様を語られるとどうしてこんなに腹が立つんでしょうね」

「知るかよ」

 それは既にただの酔っ払いのいちゃもんに成り下がっていたのでナッシュは苦笑した。

「……それに」

 今、一人部屋で彼女は何を思うだろう。

「……俺だって蚊帳の外に追いやられた。あんたが羨むほどの立場でもないさ」

「……そもそも、私と貴方が対等な立場だと思って欲しくないのですが」

 ひくっと口の端を引きつらせる。

「あ〜、そうかよ。せっかく優しいお兄さんが慰めてやってるってのに」

「だれがそんなことを頼みました? 自惚れないでいただきたい。そんなこと考えてるから、クリス様から会いたくないなんて言われるんですよ」

「それはお前も一緒だろ!」

 顔から火が出そうなところ突っ込まれて、ナッシュも思わず声をたてた。

「言ったでしょう。貴方と一緒にして欲しくないと」

「うっわ、腹立つガキだな」

「オトナゲない大人ですね。っていうか年上がおごってくださいよ」

「そっちが誘ったんだろうが。どうせ稼いでるんだろ?」

「あぁ、お金なさそうですよね、貴方」

 ひとしきり毒を飛ばしあってから暫しの間、同時にため息をついた。

「……なぁんで一人で何でも抱えちゃうんでしょうねぇ」

「まだまだそこらへん全然未熟だよな。こんなかっこいいお兄さんたちが慰めてあげようってのに」

 お兄さんという台詞にナッシュが突っ込んで欲しそうだったので、パーシヴァルはさらりと無視して言った。

「……帰りましょうか」

 スルーかよ。

 皮肉げに口をゆがめて、だか口に出しては「そうね」と答えた。





「……なんでこっちに来るんです?」

「お前こそどうしてついて来るんだ」

 これにてお開きとなったはずなのに、二人の向かった先は同方向だった。

「どうせルイスがいて、会わせてはもらえませんよ」

「だったらとっとと部屋に帰って寝たらどうだ。騎士様は俺と違って明日も忙しいんだろ」

 低レベルな言い争いをしながら階段を上がる。目安箱の前を通って廊下を曲がる。

「あれ?」

「いないじゃん、ルイス君」

「ルイスなら扉の前で寝るぐらいやってくれそうなもんなんですけどね」

 訝しみながら扉をノックする。

「……クリス様……?」

 返事はない。

 パーシヴァルとナッシュは顔を見合わせてからドアノブに手をかけた。寝ている淑女の部屋に無断で押し入るのは気が引けるが(嫌いでは決して)、あまりよくない感じがする。紳士する前に彼女の身の安全が第一だ。と、自分を騙しながら扉をそっと押し開く。

 その隙間から光が漏れてきた。再び顔を見合わせた。

「クリス様? パーシヴァルです。失礼します、よ……」

 開けた途端、酒気が鼻をつく。

 視覚に入ってきたのはソファにいとけなく眠りにつく、麗しの女神。と黒尽くめの男。

「……ゲ、ド殿……?」

「なぁにやってんだ、この親父」

 大きめな二人がけの右端に座って眠る真の雷の紋章の継承者。いつも鋭くひかる隻眼も今は瞼が降り、穏やかな寝息で体が微かに揺れる。

 その肩には我らが乙女が。え、なぜとかものすごく言いたいが、クリスが。上半身背中ごとその逞しい体躯に預けて、入りきらない長い足をアームの外に垂らしている。手は力なく床に落とされ、そこには空のグラスが握られている。そのグラスの真下に何かのしみが出来ている。あの染みは落ちなそうだ。

「……こりゃあ……」

「……惨憺たる……」

 テーブルの上には開けられたボトルが何本も転がっていた。なかなかに酷い酔っ払いたちの宴の跡に二人の色男は目を見張る。

「あの、ゲド殿?」

 パーシヴァルが軽く肩を揺さぶると、ゲドは静かに瞳を開いた。

「……あの、ここで何が……?」

 ゲドは暫し焦点の合わぬ瞳で二人の顔を見、肩のところにあるクリスの顔を見ると、何か得心したように「あぁ」と呟いて首を回した。

「……飲みすぎたようだ。帰る」

 あくびをかみ殺して言った。

 ゲドはクリスを起こさないように体を支えながら立ち上がり、背中を支えたまま暫し悩む。その背中がさてどうするかと言っている。

「……いや、帰る前に事情説明を……」

「あの、あの扉の前にはルイスって言ううちの侍従がいたはずなんですけど……」

 酔いのせいで頭が上手く働かないゲドは脳内会議にだけ集中することにしたので二人の問いは結果として無視した。二人の顔を寝顔を見比べて、どんなことを考えたのか知らないが、ふむと一つ頷く。

 それからおもむろに彼女の力の入らぬ体を抱き上げるとベッドの上に運んでグラスを取り上げた。靴を脱がして布団をかけて、それで満足したのかもう一つ頷いて扉に向かって歩き出した。

「いや、ちょ、タ、タイショー?」

 すっかりそのまま立ち去る気満々の大将の後姿に思わずナッシュが手を伸ばす。

 今度も無視されるかなとか思ったが、なんとゲドは振り向いてくれた。そんなことに感動するなと平時なら突っ込みも入れられのだろうが。

「……そうだ。外にいた従者、……ルイスとか言ったか?」

「えぇ」

「彼に謝っておいてくれ」

「…………」

「…………」

 ゲドはすべきことは全てしたとばかりに、満足げに去っていった。

「……謝る?」

「…………何したんですか、あんた……」

 閉まった扉を呆然と見送る二人。静まり返った部屋にはクリスの寝息が響いた。

「随分幸せそうに眠りこけやがって、この女は……」

「っていうか、何してたんでしょうね、この人たち……」

 転がった酒瓶と、落ちない酒の染み。眠りこける女、取り残された男たち。





「あ〜、パーちゃん、前言撤回」

「なんですか、おじさん」

「俺もまだまだ未熟だわ」





 112歳にゃかなわねぇ。





 悟りきった体のナッシュに、とりあえずそんな失礼な愛称をつけられたのは初めてなパーちゃんは酒の蓋を投げつけた。


夜語りの、蚊帳の外に置かれた男たち編です。ちなみにファイルにつけてた仮タイトルはナッパ。

なんだかもしかしたら酷い扱いをしてるのかもしれないとちょっと反省はしつつも直しませんでした★