「裏切り者……!!」



 わかっていても、心は痛む。







 夜語り







 ある昼下がり。

「……あ〜。そんなに泣くなよ〜」

 ハルモニア神聖国地方軍辺境警備隊第12小隊の面々とアイラは、奇妙なものを見つけていた。

 ビュッテヒュッケ城の噴水の傍らにひざをついて困り果てている歩くガマグチのエース。座り込んだ彼の前には顔を覆ってすすり泣く小さな少年がいた。10歳ぐらいだろうか、嗚咽を漏らす様は同情心をかきたてるのに十分だった。

 その様を見たときの第一印象は、クイーンが

「どこから誘拐してきたんだい?」

 で、ジョーカーが

「……少女でなくてよかったのぉ」

 だった。確かに泣かせていたのが少女だったら、見た目的に非常にあれだ。

「お前らなぁ」

 エースは恨みがましい目で二人を見上げた。

「……どうしたんだ?」

 その二人の後ろからゲドが声をかけた。ようやく助けてくれそうな声がけに、エースはあからさまにほっとした。

「それがですね、大将。こいつ、ディンってらしいんですが、イクセの村の出身だそうなんですよ」

「……イクセ……」

 その名が持つ、特別な意味をこの城で知らぬものはない。

「両親はそれで無くしちまって、それでも3つ上の兄貴となんとかやってきたらしいが、その兄貴もあの襲撃のときの怪我がもとで……。それで今わの際にこの城に来ればきっと何とかなるといわれて来たはいいが、ついてほっとしたのとこれからどうすればいいのかわからないのとで泣き出しちまったんだ」

 一人で坊主が途方にくれた顔でうろうろしてるから声かけたらこれだ。焦ったぜ。

 からかわれたのが相当不服だったのか、エースはふてくされたように言った。

 エースのことだからその子を放っておけなかったのだろうというのは、いかにもありそうなことなのだが、改めてフォローしてやる気が起きないのも日ごろの行いのせいだろう。

「お前、一人でここまで来たのか?」

 アイラが少年の前に歩み出て尋ねる。少年、ディンは顔を覆ったままこくんと頷いた。

「そうか。お前は強いな。えらいぞ」

 アイラはディンの髪を少し乱暴に撫でた。ディンは恐る恐る顔を上げ、嬉しそうに顔をほころばせようとしたが、アイラの顔を見て表情を強張らせた。

「…………」

「お前はきっといい戦士になる」

 アイラ本人は気づかず撫で続けていたが、少年が再び泣き出してしまうとおろおろと周りを見回した。

「私、何か悪いことしたか?」

「……いや、そんなことないよ」

 言いながらもクイーンはさりげなくディンからアイラを引き離した。

 イクセの村の襲撃にはカラヤクランの者も参加していた。それを思い出したのだろう。

「で、大将。この子をクリスに引き合わせてやろうと思うんですけど……」

「……遺児の面倒を見る機関はあったはずだが……?」

 この一連の乱で身内を無くした子どもは多い。その世話をする機関は設けられ、そこの長もいたはずだ。冷たい言い方だが、遺児一人一人の面倒を全ての長たるクリスが直々に采配していては彼女の身が持たない。

「こいつもゼクセンの子どもなら、銀の乙女に憧れ持ってるでしょう。直々に励まされたらちょっとは元気も出てくるんじゃないかってね」

「……エース」

「……大将が、英雄をそういう風に扱うのを嫌ってるのは知ってますよ。だけど、こいつは家族を皆無くして、たった一人でここまでやってきたんです。いくら近い町とはたった一人で不安な気持ちを抱えてですよ? ……少しぐらいご褒美を上げたいじゃないですか……」

 どこかすがるような目のエース。周りの面々の視線もゲドに集まっていた。表情に差異はあれ、語るものは一つ。

 ゲドは大きく一つため息をついた。

「……忙しいようだったら控えろよ」

 そうこなくっちゃっとエースは先ほどの態度もどこへやら、元気よく少年を抱き上げた。

「待ってろよ、ディン。これから取って置きの人に会わせてやるからな」

 嬉しそうに行って城内に走っていく。それを見て、ゲドは小さく肩をすくめたのだった。

 その時、ビュッテヒュッケ城は確かに平和だった。





 クリス・ライトフェローの一日は長い。

 寄せ集めの軍隊を取りまとめるために生まれた大量の書類群。連携を取るための練兵。なんだかんだいってくる評議会への対応。人の受け入れ対策と、それに伴って増加する食料の調達、資金源の確保。

 仕事は掃いて捨てるほどある。

 苦手ではないが好きではない書類仕事に一区切りがついたところでクリスは大きく伸びをした。

「お疲れですか? クリス様」

 書類をにらみつけたままサロメが言う。

「目が乾いた」

 目の付け根を揉み解しながらクリスは答えた。

「お茶でも入れましょうか?」

 そうたずねたのは従者のルイスだ。

「いや、いい。それよりサロメ。少し外を巡視してくる」

 ここでは巡視も立派な一つの仕事だ。炎の英雄として自分の存在をアピールし、またその名を利用してでも高い戦意を維持し続けなければならない。

「はい、わかりました。ルイス、ボルス卿をここへ」

 淡々と指示を与えるサロメにクリスは苦い顔をする。

「サロメ。私はただ巡回してくるだけだぞ」

「万が一ということもあります。最近は新しいものも増えましたからね。……貴女に何かあったら、ハルモニアに対抗するすべはなくなります」

「…………」

 クリスは苦い顔を改めはしなかったがそれ以上は何も言わず、ボルスが来るのを待ってから部屋を出た。

「わざわざすまんな、ボルス」

「いいえ、これも仕事のうちですから。いつでもお申し付けください。……それより……」

「ん?」

 ボルスは気遣わしげにクリスを見た。

「クリス様、大丈夫ですか?」

「何がだ?」

「どうも最近お疲れ気味のようです。無理をなさっているのでは」

「まぁ、こんな状況だからな」

 クリスは大きく首を回して深呼吸。

「無理をしなければならない時もある。今が正にそうなんだろう。仕方がないさ」

 ボルスがまだ不安そうな顔をしているのを見て思わず吹き出した。

「大丈夫だよ。こうやって息抜きもしているし、皆もそばにいてくれるからな」

「は、いえ、その、勿論です。俺たちはいつでもクリス様のために命を投げ打つ覚悟ですから」

 さりげなく言われた信頼を表す言葉に、ボルスは赤くなりながらも誠実に返答した。

「……その台詞、心強いが後半に点数はやれんな」

「え?」

 クリスは笑う。すこし切なそうなのはきっと気のせいじゃない。

「死ぬな」

 その目があまりに真っ直ぐで、口元は笑っていたのに酷く乾いていたから。

 ボルスは何も言い返さず、ただ静かに頷いた。

 声がかけられたのはちょうどその時だった。

「よ〜、クリス。ちょっといいかい?」





 エースはクリスの部屋へと押しかけるつもりだったのだが、その前に対面はなった。ビュッテヒュッケ城の正面口にある階段から、正に彼女は降りてきたのだ。

 腕に抱いた少年が深く息を吸ったのをエースは満足げに見やる。下におろすと、下ろされたことにすら気づかぬ様で、吸い寄せられるようにクリスに歩み寄った。

「よ〜、クリス。ちょっといいかい?」

 ディンの背に手をかけながら軽く話しかける。ゼクセン騎士団長にして炎の英雄たるクリス・ライトフェローに対するにはあまりに気安い言葉遣いで、護衛についていたボルスなどは不愉快そうに眉をひそめたがエースは少しも気にせず話を続けた。

 簡単にディンの身の上を話す。みるみるクリスの瞳に沈痛な光が宿る。

「……そうか、イクセの村の……」

 よく見ると随分くたびれた服を着ている。

「たった一人でここまで来たのか?」

 こくんと少年は頷く。

「ここにくればクリス様がいるからって。クリス様がきっと守ってくれるって兄ちゃん言ったから、兄ちゃん最後に言ったから、だから僕……」

 瞳を潤ませながら、それでも必死に言葉をつむぐ。それがいじましくてクリスは方膝をつき、そっと頬に手を当てた。

「あぁ、ここにくればもう大丈夫だ。何も心配しなくていい」

 少年の瞳に安堵の光が浮かび、再び大粒の涙をこぼした。

「大丈夫。大丈夫だから……」

 クリスは少年の頬を優しく撫でながら言い続けた。抱きしめてあげたくても、硬い鎧はやわい少年の肌を傷つけてしまいそうで怖かった。

「お前の面倒を見てくれる人を紹介しよう。大丈夫、優しい人だから……」



 その時。

「クリス。丁度いいところであった」

 凛とした声がホールに響いた。カラヤクラン族長のルシア、そしてその隣に立つ勇猛な戦士。

「何かありましたか?」

 呼びかけに従って顔を上げる。それにつられて振り向いたディンの体が硬直したことにクリスは気がつかなかった。

「部隊の編成について質問があるのだが、少し時間をもらえるか?」

 低く響くその声。

 大丈夫です、とクリスが答えるその前に少年は叫んだ。



「クリス様! あいつだ! イクセの村を焼いたのはあいつだよ!!」



 その指はしっかりとリザードクラン族長のデュパを指していた。





「なんだ? こいつは」

 リザードクランのものは人間の識別に長けていない。デュパは男か女かすらわからぬまま自分を指差す失礼な輩を睨み付けた。

 ディンは一瞬震えながらも、クリスの後ろに身を隠しながら再び叫ぶ。

「ねぇ、クリス様。イクセの村を焼いたのはあいつらだよ!」

「おい、ディン、止めないか……」

 エースが慌てて止めようとするが、その手を振り切る。

「だって! だってあいつらが僕の父さんと母さんを殺したんだ! ねぇ、クリス様! 早くあいつらやっつけてよ」

「ディン……」

 少年は必死で、自分の村を襲った奴らを告発しようとしていた。大人たちの憐れむ視線など気づかないで。

 ホールには痛い沈黙が落ちていた。泣きそうな顔でクリスの服のすそを引っ張る彼に、だれも声がかけられない。

「ディン。あの人たちは、私たちの味方なんだよ」

「うそだ! 何言ってんのさ、クリス様! あいつらはぼくの村を! 家を……!!」

 両親を亡くし、幼い兄弟だけでここまで生き延びた彼にゼクセンとシックスクランの同盟のことを知る術などなかった。

 脳裏に浮かぶは燃え落ちる我が家と、異形の影。自分から全てを奪った憎きその姿。

「ぼくの父さんと母さんはあの刀で切られたんだ! 血、血止まらなくて……。兄ちゃんだってあの刀のせいで……!!」

 小さな手が震えている。

「ねぇ、クリス様! ねぇ、早く! 早くあいつをやっつけて!」

 少年の悲痛な叫びに胸が張り裂けそうだった。

「ディン、落ち着いて。今は私たちは敵じゃないんだ」

「違うってば! クリス様、だまされないで! あいつらは敵なんだ……!」

「ディン……」

 どうすればわかってもらえるのか、途方にくれてただ名を呼ぶ。

「ねぇ、クリス様。どうして信じてくれないの? あいつらが村を焼いたんだ! 村の皆を殺したんだ!!」

「あぁ、わかってる。わかってるから話を聞いて……」

 両肩に手をのけてどうにか少年を落ち着けようと試みるが、成果は全く上がらない。

「わかってるのに、どうしてやっつけてくれないの? クリス様は騎士でしょ? 何の心配もしなくていいって言ったじゃないか……!!」

「いい加減におし。大人を困らせるもんじゃないよ」

「さわるな!」

 仲裁に入ろうとしたルシアの手も強く払いのけられる。憎悪も新たに睨み付ける。

「お前たちだって一緒だ! ぼくは知ってるんだぞ! お前たちだってぼくの村一緒に襲ったじゃないか! ここはクリス様の城だぞ! 蛮族はここから出てい……」

「ディン!!」

 強く。

 クリスは怒りすら込めてその言葉を遮った。どこに向けられた怒りかは自分でもわからない。ディンは一瞬怯み、その後大粒の涙をこぼした。

「……どうして……? クリス様はぼくたちを守ってくれるんじゃなかったの……? なんでそいつらの味方するのさ……」

「……皆を守るためだ。わかってくれ」

「わかんないよ。全然、全然わかんないよ」

 ディンは悔しそうに唇をかんで叫んだ。

「クリス様のうらぎりもの……!」

 言い捨てて踵を返し走り去った。人の視線は自然と取り残されたクリスに集まった。

「……エース殿。彼を頼む」

「……あぁ。……悪かったな……」

「気にしないでください」

 それからルシアとデュパの方に向き直る。

「部隊編成についてでしたね。資料が私の部屋なんです。ご同行願えますか」

「あぁ、かまわないよ」

 クリスが何事もなかったように話を続けたので、ルシアもそれに乗った。

 降りてきた階段に再び向き直るクリス。その横顔は厳しく、後ろについたボルスは声をかけたかったが、瞳が呼びかけられることを拒絶していた。

「…………」

 階段の一番下の手すりにエースの後を追ってきたゲドが腕を組んで立っていた。一瞬視線が絡んだが、クリスは何も言わずそっとそれを逸らし、階段を登り始めた。

 





 何かから目を逸らすように話し合いは熱気を持って進められ、終わったころには日は既に落ちきっていた。

「……まぁ、こんなものかな」

「とりあえず実践を重ねながら、随所変更を加えていくことになるでしょう」

「そうだな」

 一応の話の決着がついた所で会はお開きの運びになった。

 去り際、デュパが一言言い残した。

「謝らぬぞ」

「えぇ」

 謝れぬ辛さなら、クリスもよく知っていた。

「……さて」

 クリスはその場で大きく伸びをして、左手の篭手をはずし始めた。

「今日は少し疲れた。ちょっと休ませてもらってもかまわないか?」

「えぇ、それはかまいませんが、クリス様……」

「悪いな。では先に休ませてもらう」

 物言いたげなサロメをわざと無視して、もう片方の篭手もはずす。

「ご夕食はどうなされますか?」

「今日はいい」

 ルイスの問いにも素気なく答え、鎧を脱ぎ始める。なんとなく、この場にいてはいけない気がしてきてサロメとルイスは顔を見合わせた。

「ルイス、人払いを頼む。誰も部屋に入れないでくれ。それからパーシヴァルに伝言を」

「はい」

「私がおごるから、今日はナッシュと酒でも飲んでろ、と」

 その言葉の意味するところを察して、ルイスが複雑そうな顔をする。

 それを見て、クリスは苦笑いした。

「先ほどのことか?」

「あ、いえ、そんなんでは……」

 慌てるルイスの言葉を受け継いで、サロメが静かに言った。

「戦時中のことです。あまりお気になさらぬよう……」

「気にしてないよ」

 クリスは淋しそうに笑った。どこか憐れむように。





「気にしているのは、お前たちの方だ」





 クリスが結った髪を下ろした。それが部屋から出ていけの合図だった。







間違えないで欲しい

私は、可哀想なんかじゃないんだよ?






 クリスは薄暗くなった部屋のベッドに仰向けに横たわっていた。ぐだっとだらしなく両手両足を投げ 出せば、古いベッドだってちゃんと受け止めてくれる。初めて寝たときには気になって仕方なかったス プリングの軋む音も少し埃っぽい布団も今は慣れた。人は変われる。

 扉の外で人の声がした。何言か言葉を交わした後去っていく。ルイスは優秀な従者だ。

 何人目の来客だろう。パーシヴァルとナッシュは互いに足止めするよう仕向けたから、あとはルイス に頼めば大丈夫だろう。彼はだいぶ恨みを買ってしまうかもしれないが。

 あとで何かご褒美をやらなければ。それにしても何人目だ。私はそんなに信用できないか。

「……できないかもな」

 独り言を呟いたら、思ったよりも傷ついた。

 ……誰にも会いたくなかった。

――「クリス様のうらぎりもの……!」

 傷つかなかったと言ったら嘘になるが、皆のものが思っているほど深い傷でないのも偽らざる事実だ 。

 だが今誰かにあったら、自分を見る目は容易に想像がつく。

 哀れみ。同情。全てをわかった上で包み込むような瞳。

 その視線の方がよっぽど自分を傷つける。

 ……自分の無意味なプライドの高さが人の優しさを踏みにじってることはわかってる。

 だけど。

「……憐れまないで」

 私は可哀想ではないんだ。

 謂われない中傷など聞き飽きている。炎の英雄ほどの名声はなくても銀の乙女の称号だってそんなに 華やかなばかりのものではないのだ。家柄がいいからだの女を利用して這い上がっただの。下らないと 、あの時は自信を持って言えたのに。

 なのに炎の紋章を引き継いでからの方がお姫様扱いが酷くなった気がする。原因はわかっている。

「……ほんとに、気にしてないんだけどな」

 炎の英雄の意思を引き継ぐだけの強さ。それを皆信頼しきれない。無理もない。自分ですら信じられ ないのだ。

「くそっ」



 その時、再び扉の外で話し声が聞こえた。またか。

 皆の優しさが、自分の未熟さを見せ付けられているようで枕を頭からかぶった。すまない、ルイス。 思いながら、ただひたすらその人が去るのを待つ。

 だが。

「…………入るぞ」

 扉の開く音と、低い声。がばっと起き上がると、暗い部屋に扉の隙間から外の光が忍び込んできた。

 その光に影を作る人物。

「……ゲドさん」

「昼間はエースが面倒をかけた。そのわびだ」

 当然のように入室して、机の上に酒の瓶を置いた。

「いや、あの、え」

 なぜ、彼が、ここに。当惑収まらぬ頭で必死に考える。枕を抱えたまま目を白黒させる様は、日ごろ の凛としたものが見事に消えうせ大層可愛らしくゲドなどはこっそり微笑ましく思ったのだが、本人は 自分の様子に全く気がついていないようだった。

「そ、外にはルイスがいたと思うのですが……」

「……あぁ……」

 クリスの当惑の意味がようやくわかったとばかりに一つ男は頷いた。

「疲れているようだったからな。眠ってもらった」

「ね、眠ってもらったって、そんな……」

「心配するな。エースとジョーカーが部屋まで運んでいる」

 この男が眠ってもらったというのならば、文字通りルイスは眠らされたのだろう。

「……あなたも大概無茶しますね」

「ほうっておけ」

 そういうと、ゲドは勝手に棚からグラス一つだし、ソファに腰をかけて酒を注いだ。詫びとして持っ てきたはずの酒を一人で飲み始める。

 クリスは暫しぽかんとそれを眺めていたが、とりあえずもぞもぞ起き上がって明かりをつけた。向か いの席に座って酒をあおる男を観察する。随分そうしていたはずだが、全然反応してくれなくて、それ が淋しく腹も立ったので自分もグラスを持ってきて瓶を取って手酌であおる。

「……っ」

 熱い酒気が咽喉を焼く。

「なっ、これ……!」

「ん?」

 目を丸くし咽喉もとをおさえてグラスとゲドを見比べる。きつい。

 ゲドはゆっくりと顔を上げた。口惜しいほどマイペースな男だ。

「あぁ」

 クリスの様子をみてようやく気づいたらしいゲドが口元だけで笑った。

「子どもには少しきつかったか」

「こ、子ども?」

 女女と侮られたことは数あれど、子ども扱いされたのは何時振りだ。そりゃ貴方はたいそう年寄りで あられましょうが。

 クリスは無言でぐいっと一気に酒を流し込んだ。飛び出しそうな咳を無理やり押さえつけた。女の意 地というものがある。それを見てゲドが鼻でふっと笑う。余計腹が立った。

 もう一杯酒を注ぐ。

「無理をするな」

「してません」

「そうか」

「そうですよ」

 さすがに一気はできなかったが。

 ちびちび舐めているとゲドの視線を感じる。チラッとそちらを眺めればいつも無愛想な親父の口元に 笑みが浮かんでいる。あ〜、腹の立つ。露骨に視線を逸らしたら、また笑う気配がした。

 というか詫びに来ておいて、どうしてこんなきつい酒を選ぶのだ。一人で勝手に飲みだすし。ルイス 気絶させるし。

 なんなんだ、この人。

 実はまだ持っていた枕を抱えたままゲドを見る。

 何しに来たんだろう。一人で勝手に飲んでいる。自分を見もしない。

 それでも。

 もう一杯飲み終ったころには心が安らいでいる自分を感じた。この人の、片方しかない瞳は私を見な い。

 そう思ったら肩の力ががくりと抜けた。枕に顎をうずめたままぼそっと呟く。

「……だって、仕方ないですよね」

「…………ん?」

 ゲドが振り向いたのを感じたが、両手で包んだグラスの水面を見つめたまま言った。

「仕方、ないですよね。何言われたって、今同盟壊れたらハルモニアに抵抗する術無くなっちゃう」

「…………」

――「クリス様のうらぎりもの……!」

 脳裏に響く声。多分、いつか言われるとは思っていた。だけど。

「あの子がリザートクランを恨むのはわかる。私に許せとは言えない。でも、同盟を無くすわけにもい かない」

 クリスは後ろにどかっと寄りかかって言った。



「だから仕方ないんですよ」





 早くあいつをやっつけてって言われたってはいそうですかってデュパ殿ばさってやるわけには行かな いじゃないですか。

 不貞腐れたように言ったクリスだが、瞳には覚悟が宿っておりだからゲドはグラスに酒を注ぎ足して やった。

 クリス・ライトフェロー。ゼクセンの白の乙女。

 整った顔立ち。美しい髪。着飾って化粧でもすればそこらの令嬢に引けをつるものでもないだろうが 、彼女が選んだのは血と炎の渦巻く戦場だった。正気を狂わす狂気の中で、それでも凛とあり続ける女 。

「……よかったな」

「はい?」

「お前は母親似だ」

 げほっ。

 クリスは飲みかけの酒を気管に入れてしまった。ただでさえきつい酒なので、すごく辛い。

「……大丈夫か」

 大丈夫といおうとしたが、咳が止まらず言えない。さすがにやばいかと思ってゲドがとなりに移動し て背中をさすってやる。

「ゲ、ゲドさん」

「なんだ」

「どうして今までの話の流れから、こう、そんな結論に行き着くんですか……?」

 藤色の瞳が涙ぐんでいる。戦場では銀の乙女と讃えられ、白の悪鬼と恐れられる彼女の子ども染みた 様に思わず笑う。

「すまん」

 目元に浮かんだ涙をぬぐってやりながら軽く謝る。

「あんまり謝る気ないでしょう」

 ゲドは笑って答えなかった。

「……ゲドさん」

「ん?」

「……どうして母似だと……?」

 ふと真剣な眼差しでゲドの瞳をさらりと真っ向から捕らえた。綺麗な目だ。だから確信は深くなる。

「お前の母親に会ったことはない。だが、お前はあの男の好みのタイプだ」

「は?」

「あいつは面食いだった」

「……はぁ」

 なんだか俗な言葉に、クリスは他に答えようがなくて間抜けに言った。

「一見おしとやかで従順そうなのに、どこか一本筋の通った生真面目で凛とした女に弱かった」

「そう、なんですか……」

「未亡人とかにも弱かったな。戦で夫を亡くした女はあのころたくさんいたからな。たまにだまされて 金を巻き上げられたこともあったが、懲りることもなくけらけら笑う男だったよ」

「……ゲドさん」

「ん?」

「そんな男の好みのタイプといわれても、嬉しくないんですが……」

「事実だ。諦めろ」

 ゲドはグラスを舐めながら言う。

「よく、気になる女ができると一晩中酒に付き合わされた」

 ゲドの眉がいやそうにゆがんだ。

「今日はあいつが笑ってくれただの、こんどはどこに出かけるだの一人でべらべらしゃべり続ける。そ うするとよせばいいのにツバメが興味を持ち始めてその女に会いたいとか言い出すんだが、あれだけ自 慢するくせにあわせるのを嫌がってな」

「……どうして?」

「ツバメの方がもてた」

「……へぇ」

 あまりに率直な言葉にクリスは半眼で呟く。なぜ自分はわだかまり溶けきれぬ父の情けない話など聞 かされているのだろう。ゲドはそんなクリスのようすなど気にしないで話し続ける。

「会わせてもらえないとツバメは余計興味を持って、奴の後をつけると言い出すんだ。勝手に行けばい いのに、必ず俺も付き合わされる」

 その憮然とした言い方に思わずクリスは吹き出した。きっと50年前からこの憮然とした顔であの二 人に引っ張りまわされていたのだろう。

「それだけならまだしも……」

 ふとまなざしが遠くなった。

「まだしも?」

「……なぜかサナにばれるんだ……」

「あははははははははは」

 あまりにその声が情けなくて、笑ってしまう。

「奴とツバメだけ怒ればいいようなもんなのに、俺も延々説教につきあわせれてな」

 サナは怒ると怖いんだ。

 あまりにしみじみ言うので、クリスは堪えきれずソファに突っ伏して笑った。酔いも手伝っていたの だろう、腹の底から笑った。

「そ、それで?」





 クリスは無邪気に話をねだった。ゲドは請われるだけ話して聞かせた。

 伝説の炎の英雄を、その身で知る人。共に戦った友。

 偶像でしかなかった英雄が急に身近に感じられた。ゲドの語る話は英雄としての偉業より、どこか間 の抜けた青年たちの馬鹿騒ぎのものばかりだった。

 笑いすぎて途中から涙が出てきた。

 それを自覚したら、次から次へと大粒の涙が結んでは白い肌をこぼれていった。楽しいのか悲しいの か、自分でもわけがわからなかったがゲドが何も言わずただ話し続けてくれたのでクリスも体のしたい ように笑いながら泣いた。

 ふとゲドがまなざしを細めて言った。

「……クリス」

「はい」

「……許せとは言わない。だが覚えておけ」

 誰をとは言わなかった。

「あいつは人を愛するのが好きな男だった」

「…………はい」

 クリスの口調は真摯で誠実だった。ゲドは目元を緩めてクリスの頬をぬらすものを指でぬぐった。

「お前のことは信用している。だがな……」

 母をなくし、面影を忘れようと慕い続けた父もまた消えた。背を預けられる仲間はいるだろう。心だ って許しているだろう。それでも肉親の無条件の許容は、本当に辛いときに一番最後の逃げ場になる。

 許されることを知らない魂は、いつか砕けてしまわぬか。

「お前は俺の友の残した大事な忘れ形見だ」

 クリス・ライトフェロー。ゼクセンの白の乙女。

 彼女は悲しいほど父を知らない。

「辛いことがあったら俺に言え。力になる」

「……また……」

 クリスは涙を浮かべた美しい瞳を和らげて言った。



「また、父、の話を聞かせてください」





 ゲドは返事の代わりに微笑んだ。






from 幸福詐欺師