now and then.





 穏やかな日だった。

 炎の英雄の意思を引き継いだゼクセンの白き乙女は、とにかく城内の人間関係を円滑にすることにひどく腐心しており、毎日の巡視を欠かしたことがない。

 クリスが顔を出すだけで城内に活気が出る。時にはゼクセンを快く思わないものから嫌がらせを受けたりもしたが、最近の見回りはちょっと面白い。

「あ〜! クリスサマだ〜!!」

「あぁ」

 水辺に行こうと階段を歩いていたとき、背後からかけられた声。軽い足音。カラヤクランの子どもたちだ。この城に身を寄せるようになってから暫し。大人よりよっぽど頭の柔軟な子どもたちが最近クリスになつき始めた。ゼクセンにいた頃から子どもから慕われていたものの、あちらはどちらかというと英雄視してばかりであまり近寄ってきてくれなかっただけに、足元にまとわり着いて満面の笑顔を浮かべるカラヤの子どもたちはすごく新鮮で、妙にくすぐったく嬉しかった。

「今日も元気そうだな」

「うん! 今日俺たち魚つったんだぜ! こぉんなに! な!!」

 得意げに笑いながら大きく手を広げて、いかに自分が戦果を挙げたか誇る少年たち。今まで生きてきた中で、いかに自分がそんな心休まる人たちとの交流がなかったかをシミジミ実感しながらも今の幸せをかみ締める。

 ……弱みを見せてはならなかった。両親亡き名門ライトフェロー家を利用しようとする人の数は多く、士官学校に入ってからは互いが互いに相手を蹴落とそうと必死だった。騎士になってみれば下らぬ暗黙の了解の多さに辟易した。自分が自分であり続けるのに必要とした強さ。それを後悔したことはないが、こんな素朴な生き方に憧れないわけでもなかった。

 それに触れられる機会を得られた幸運を女神に感謝した。

 したと言うのに。

「クリスサマァ……!!」

 後ろから少し遅れて走ってきた子がいた。少し重量のある体の子だった。クリスは一流の騎士なので、彼の体当たりにだって多少ぐらつく程度で耐えられるはずだった。唯一の誤算は今、まさに次の段に降りようと足を宙に踏み出してたときにその衝撃がやってきたことであろう。

 それでも騎士道精神を発揮して、自分にまとわりついていた子どもの体だけは巻き込まないよう突き放したクリスは、安心しながらも悲鳴を上げて地面へ落ちていった。





この世に生を受けてずいぶんな時が流れた。右手に宿った呪われた紋章のせいでその時間は嫌になるほど濃いものばかりだ。

 だからというわけでもないが、頭上から人が転がり落ちてきた時も、ゲドの態度は落ち着いたものだった。

「き、きゃあああああああ」

 悲鳴に顔を上げれば階上から落ちてきた人影。声から察すれば女性、しかもこの城で一番有名な女だ。条件反射でこのまま逃げてしまいたい衝動に駆られたが、それが誰かに気がついてしまったらそういう訳にもいかず、一緒に倒れるの覚悟でその体を受け止めた。

「あ、あいたた」

 予想通り一緒に地面に引き倒され、自分の体の上にその女性の体が覆いかぶさった。腰をさすって起き上がろうとした彼女が、下敷きになっていたゲドと目があって動きが凍る。

「……鎧を着ていなくて良かったな、クリス」

 間近にある顔を焦点の合わぬ目で見つめていた彼女にゲドは相変わらず冷静な声をかける。

「ゲ、ゲド殿……! ご、ごめんなさい、私下敷きに、い、今どきます。どきますか――、っ!」

 その声に正気に戻ったかあたふたとその上からどこうとした時、顔をしかめた。

「どうした」

「いえ、なんでも――」

「だ、大丈夫!? クリスサマ!!」

 慌てて少年たちが駆けて来た。

「ごめんなさい。ケガしなかった?」

 泣きそうな顔でクリスの顔を覗き込む少年たちに彼女はにっこり微笑んだ。

「大丈夫だよ。お前たちこそ怪我はなかったか?」

 微笑んでくれた事にほっとして少年たちは肩から力を抜いた。

「さ。その魚を酒場に持っていってやれ。アンヌ殿も喜ぶぞ」

 立ち上がってほこりを払いながら言う。無事そうなその表情にほっとした少年たちはもう一度ごめんねと謝ってから来たときと同じ勢いで駆けていった。

「……大した根性だな」

「……何がですか?」

「痛むのだろう?」

「平気です」

「……涙ぐんでるぞ」

「大丈夫です」

「……そうか」

 本人の意思をいらんほど尊重する男は、それではと踵を返して歩き出そうとした。が、がっと服のすそをつかまれ動きが止まった。

 ゆっくりと振り返る。

「……なんだ」

「……肩」

「……」

「肩、貸してください」

 意地でも痛いとは言わない彼女に、ゲドは小さく息を吐いた。







「……お前、この足……」

 階段に座らせてブーツを脱がせ、ズボンをめくったらその白い足に見事な青あざが出来ていた。右の足首は紫色に腫れている。

「……痛みは?」

 手のひらを押し付けて具合を見る。足首に触れられるとぎゅっと目をつぶった。骨は折れてはいなそうだ。

「打撲に捻挫、といったところだな。医者、……いや、お前の場合は紋章の力で治した方がいいな。怪我が長引いたら仕事に障る」

「……すいません」

「とりあえず、城に戻るぞ。歩けるか」

「えぇ」

 先に立ち上がったゲドが手を差し伸べる。見上げていると寄り一層背が高く見えるその人の手をとる。大きい手。重ねるとぐいっと引っ張りあげられた。だが、しっかり自分の足で立とうとしたその時、足に鋭い痛みが走りよろけた。

「……大丈夫か」

 肩を押さえられる。

「す、すいません」

 胸に抱きとめられるような形になって、思わず赤くなる。だが、ゲドは全く気にせず暫し無言で考えた後おもむろに背を向けて座り込んだ。

「乗れ」

「え?」

「背負っていった方が早い」

「いえ、あの、でも……」

「早く」

 重ねて言われて恐る恐るその広い背に実を預けた。

「いくぞ」

 無造作に立ち上がられて、慌ててその首筋にしがみつく。ゲドは普段と同じ足取りで歩き出した。

「ほんとうにすいません」

「かまわん」

「……重くないですか」

「いや……」

「……ごめんなさい」

 なんだか自分が情けなくなって肩がしょげて落ちる。城の民の視線が集まっているのを酷く感じる。恥ずかしくてうつむくが、その髪の色がなくなるわけでもない。

「……たいしたことはしてない」

「ですが……」

「……お前は少し肩に力を入れすぎだ」

「…………」

「誰もお前の代わりに戦うことは出来ん。これから先どんな戦況になろうと、英雄たるお前は自分が独りだという事を思い知るだろう。例え優勢であろうともな。ならば他の者に甘えられるところは甘えておけ。だれもそれでお前を責めたりはしない」

「……そう、ですね」

 訥々と語るゲドの言葉には奇妙に説得力があって、少し甘えるように腕に力をこめ、肩口に顔をうずめた。大人の男の人の匂いがする。

 広い背は何も語らないが、暖かくて広くてほっとする。ゆらゆらと揺さぶるゆれが気持ちよかった。眠気を誘う居心地のよさに、甘えるように頭を動かし収まりのいい場所をさぐった。

「……昔、父にこうやって背負われたことがありました」

「…………」

「変ですよね。顔も覚えていなかったのに、でも泣いてる私をあやしてくれました」

 クリスは嘲いながら言った。

「こうやって背負われるのが好きだった。……間が抜けてますね。再会してたのに、気づきもしないで」

 その広い背に顔を埋め、奇妙に落ち着いた声で呟いた。

「でも、私あの人に愛されてると思ってたんです」

 ゲドにだけ聞こえた小さな声。首に回した手が強く握られていた。

「……あの人を、愛していたんです」

「…………」

 そんな特殊な技能を持っていいるわけではないゲドにとって、背負った人物の重みが妥当であるものなのかはわからない。ただ、背負った瞬間鍛えてある彼にとって彼女は驚くほど軽かった。なのに触れ合ったところから感じる筋肉の流れ。それは鍛え抜かれた戦士のそれであり、目に入る小さな手の、皮の厚みがどこか切なかった。

 ……いつからこの手は戦うものの手になったのだろう。

 幼いときに母は死んだと聞いている。詳しく話を聞いたわけではないが、ワイアットが身を隠したのも最近というわけではないらしい。

 どんな思いで、一人食卓についたのだろう。

 どんな思いで、隙に付け入ろうとする甘い言葉と戦ってきたのだろう。

 聞いたところで彼女は決して答えまい。ただ、あの男が心のそこから守りたいと思った者の薄幸を不憫に思う。

「……お前に言い残したことが、きっとたくさんあるだろう」

「え?」

「それでも、多分この世を去るときそれをきっと後悔してはいまい」

 省かれたその言葉の主語に思い当たって、クリスは唇を強くかみ締めた。

「……後悔しない男だったわけではない。だが、一番大切なことのためには自分をあまりにあっさりと切り落とすことの出来る男だった。結果としてあの男はお前を捨てたが、それを悔いてはいないだろう」

「…………」

「……そういう男だ。理解しろとは言わないがな。はた迷惑な事に違いはない」

 言いたいことを言い終えると、ゲドは黙った。沈黙が全く苦にならない男だ。

「……私はあの人のことを何も知らない」

 城の入り口にたどり着こうという場所に着いたとき、クリスがぼそっと呟いた。

「あぁ」

「……だから、どうやって許せばいいのかわからない」

「許さなくていい。お前には怒る権利がある」

「でも、私を守るために消えたのでしょう?」

「お前の敵は組織のものだけじゃなかったはずだ」

「……」

「名門のライトフェロー家に敵は多かっただろう? あいつはそれらからもお前を守らなければならなかった。だか、あいつは消え、お前は独りで戦った。お前は怒っていい」

「好きで姿を消したわけじゃない!」

 冷静にあの男を糾弾するゲドに我慢が出来なくて、クリスは思わず怒鳴った。

「自分の都合で消えた父だぞ?」

「だって、だって仕方がないじゃないですか……!! あの人だって行きたくていったわけじゃない! ……あの時の私じゃ足手まといにしかなれないから……!!」

 目頭が熱くなりながらも、クリスは言った。いわなくちゃいけない気がした。あの人の誇りのために。

「……そうか」

 ゲドの声はあくまで静かだったが、どこか満足そうだった。はっと口をふさぐ。

「……ずるい」

「何がだ」

「…………ずるい」

 拗ねた口調で言うと、ふっと楽しげに笑った。

 とっくに父のことを理解している。それに上手く誘導され気づかされた。

「今はそれでいい。そんなに早く許すこともない」

「……やっぱりずるい気がする……」

 もう一度笑った。

「……そんなに急いで許すことはない。こんなご時世で時間がたっぷりあるとはいえないが、だからといって理屈でどうにかなる感情でもない。焦るな。俺に出来ることなら力を貸す」

「……おんぶとか?」

 ゲドは答えず肩を震わせた。

「あいつがお前にしてやりたかったことがたくさんあるだろう。もう何もしてやれないあいつの代わりに俺が力になる」

「…………」

 クリスは瞳を閉じる。再び開いたときにはその瞳は穏やかな光があった。

「ゲド殿」

「なんだ」

「下ろしてください」

「もう少しだ、我慢しろ」

「いえ、下ろしてください」

 その言葉に静かだが芯の強い意志を感じて、ゲドはその場に彼女を下ろした。

「……どうした」

「……私は大丈夫ですよ?」

 クリスはゲドの腕を借りながら静かに笑って言った。

「私は大丈夫です。私にも大切な仲間がいます。困ったとき助けてくれる仲間です」

 だから。

 クリスの瞳は穏やかで、意志の強さが垣間見えた。

「貴方は、どうか貴方の今を大切にしてください。私は大丈夫ですから、だからどうぞ今の仲間を大切にしてください」

 優しく、そして誠実な声だった。その声に促されて、脳裏に12小隊の面々の顔が浮かぶ。

「貴方が、……父、を大切に思ってくれていることはわかっています」

 「父」と、その人を呼んだときだけ崩れた笑顔は、だけどちょっとやそっとの衝撃では奪えそうになかった。

「だけど、あの人と共に過ごしたあなただから、どうか今を生きてください」

 今の貴方には大切な人たちがいるはずです。

 微笑む姿に、亡き友たちの顔が思い浮かぶ。

 あぁ、そうだ。あいつらも、そんな顔で笑うやつらばっかりだった。

「……親代わりをする前に、親離れをされてしまったな」

 どこか晴れやかに肩をすくめるゲドに、クリスも微笑を返した。





「だが、とりあえずその怪我を治さなければいけないな。医務室まで肩を貸そう」

「はい。……あ、いえ、その必要もなさそうです……」

「……?」

「クリス様……!!」

 クリスの視線の先を追った所に、金髪の若い騎士の姿を見た。カラヤの村で顔をあわせた男だ。ボルスと言ったか。

「頼りになる仲間が来てくれたようです」

 そう言って誇らしげにクリスは微笑んだ。

「クリス様!」

 息を切らして駆けて来たボルスに微笑みかけて、

「ボルス、すまない実は……」

「酷いじゃないですか!」

「……は?」

 固まった。そんなクリスの様子に気がつくことはないらしい。ボルスは顔を赤くして大きな声で言った。

「お父上をなくされて年上の男性に姿を重ねるのはわかります。確かに心惹かれるかもしれません。だからって!」

「あ、いや、あの、ボル、ス……?」

 戸惑って手を伸ばすがボルスは目を赤くして怒鳴る。

「だからってその人に走ることないじゃないですか……! おじさん通り越して、おじいちゃんですよ……!!」

「…………は?」

「――失礼します……!!」

 これ以上ここにいるのは耐えられないといった体でボルスは来た時と同じ勢いで去っていった。泣いていそうだ。

 そして取り残される、二人の英雄。

「……どこに行くんだ、どこに……」

 その時クリスは一人で上手く立てずゲドの腕に手をかけていたし、支えるために腰に手を回していたから、確かに親密そうに見えたかもしれない。だからといって。

 もう消えそうな後姿を見送りながらゲドは呟いた。

「……頼りになる……?」

「……え〜っと……」

 感情の見えないゲドの声に、クリスは冷や汗を流す。

「……肩を貸そうか?」

「…………お願いします」







 もうそこそこ大人のこの子がそんなことを望んでいるとは思ってないが、だけどやっぱり力にならせて欲しくて。

 ゲドは心のそこでボルスに感謝を送りつつ、クリスに肩を貸したのだった。


from 幸福詐欺師