今は、まだ届かなくても。





「……っだぁ! このくそ親父!! どうすんだよ、生活費全部すっちゃって!」

「ぎゃはははは! いやぁ、つえぇ女だったからなぁ」

 昼下がりのビュッテヒュッケ城のカフェテラスに響く微笑ましい親子の会話。湖は日の光を受けて美しく光り、水の上を渡ってくる風はここちよい。

 だが、そのテーブルの一角で繰り広げられているのは一応修羅場であった。

「つうか、イカサマ食らったんじゃないのか?」

「そうかもなぁ。なんかkを2回出してたかもしれない」

「その場で気づけよぉ!」

 少年、メルヴィルは疲れ果てたようにぐっだりと机に突っ伏した。

「いい女には稼がせてやるのが男の甲斐性ってもんだろう?」

 ビリーは得意げに親指などを立てながら言うとメルヴィルがたまりかねて叫ぶ。

「息子一人しっかり養えなくて何が甲斐性だよ……!!」

 周りのテーブルからクスクスと笑い声が起こる。メルヴィルには申し訳ないが、本人たちの逼迫さに比べて、その情景はあまりにのどかだった。

「あ〜、ったく、どうしようかな〜、も〜」

「まぁ、なんとかなるって」

「あ〜、やだ、も〜、やだ、ほんとやだ、こんな親父」

 メルヴィルが髪の毛をかきむしったその時。

「今日もやってるな、二人とも」

「く、クリス様……!」

 顔を上げたそこに見つけたのは、整った顔に微笑を乗せて立つゼクセン騎士団団長の姿だった。

「よ〜、嬢ちゃん。今日も元気そうだな」

「と、父さん! そんな失礼な口の利き方……!!」

 いまや炎の英雄となった彼女に対して、いくら讃えても讃えたりない崇拝する彼女に対して、あまりに気さく過ぎる態度をとる父親にメルヴィルは青ざめる。

「あぁ、かまわないよ、メルヴィル」

 クリスは微笑んで言う。本気で慌てるメルヴィルがなんだか微笑ましい。

「とはいえ、あんまりメルヴィルに苦労をかけるなよ? 賭け事もほどほどにな」

「わかっちゃいえるけどやめられないのが男ってもんなんだよ」

「全く。反省の色がちっとも見えないな……」

 けらけらと笑うビリーと苦笑するクリスを見ながら、メルヴィルは一人恐慌状態に陥っていた。



 クリス様が。あのクリス様が。

 僕の目の前にいて、笑っている。あぁ、本物のクリス様だ。

 纏う鎧は白銀に輝き、きっちりと結った髪が風に揺れる。

 人形めいたその美貌は笑うとやわらかく輝いて、肌とか透明でどうしよう。

 綺麗で、なんか妖精みたいだとか思ったら、顔が熱くなった。あの人が本当に同じ城にいて、自分のことを知っていてくれる。それだけで胸が詰まって涙ぐみそうになって慌ててうつむいた。



「……メルヴィル? 具合でも悪いの?」

 少年の様子に気づいたクリスが声をかけた。

「あ、いえ、大丈夫です。何でもありません」

 メルヴィルの様子に原因に気がついたビリーはにんまりと笑うとメルヴィルに一つ肘うちを入れてからなんでもないよと髪の毛をかきむしる振りをして俯かせた。

「そう、か? まぁ、お前が言うならそうなんだろうが、あんまり無茶をさせるなよ?」

「わかってるって」

「わかってるように見えないから言ってるんだけどね。まぁ、いい。取り急ぎ生活費を稼ぐ必要があるのでしょう? 仕事を引き受けてくれないかしら?」

「お? 仕事ならいつでも大歓迎だぜ? トレジャーハント関係ならもっと大歓迎なんだけどな」

「残念ながらお宝探しとは無縁だけどね。随分皆の鎧が戦闘で磨耗してきたから新しいのを購入したいの。けど、財政に余裕があるわけでもないから……」

「なるほど。その交渉の窓口に立てばいいってわけだな」

「明日出かける予定なんだけどお願いできる?」

「報酬しだいだな」

「それこそ仕事の出来しだいだよ。仕事振りに見合っただけの報酬は出す。というかだな」

 クリスはビリーの腕を引き、耳元に口を寄せてささやいた。

「メルヴィルから目安箱に手紙が届いた」

「へぇ、なんて?」

「『父さんが迷惑をかけていないか不安です。どうしても我慢出来ないときは僕に言ってください。なんとかしますから。』だ、そうだ」

「なんだ、生意気言いやがって」

「言えた義理か? あんな子どもにこんな台詞をはかすもんじゃないぞ? 報酬弾ませるから何か美味しいものでもご馳走してやれ」

「だから俺にこの仕事を寄越したんだな」

「……あの子を見てると不憫で仕方がないんだ」

「本人に言ってやりゃ泣いて喜ぶぜ、それ。おい、メルヴィル!」

「ぅわぁああ」

 大声で息子の名前を呼ぶビリーをクリスは慌てて押しとどめる。

「なんだよ」

「そんなこと言ったら余計な気を使わせたってメルヴィルが気にするだろう」

「お〜、なるほどなぁ」

 よく細かいところまで気が回るなぁ……。

 ビリーが暢気に呟く。

「……疲れる。お前と話すと本当に疲れる」

「あの、クリス様? 父さんが何か失礼を……?」

 二人の様子を見て不安そうにクリスの顔をメルヴィルが覗き込んだ。

「……お前はいい子だなぁ……」

 クリスは思わずしみじみ呟き少年の頭を撫でた。自分の感慨に浸っていたクリスはメルヴィルがたこのように真っ赤になったのに気づくことはなかった。





 その日の夜、何時までたっても部屋に帰ってこないビリーを心配してメルヴィルは城中を探し回っていた。

「ったく、せっかくクリス様からお仕事もらえたって言うのに、どこに行ったんだろ。明日二日酔いにでもなったらどうするんだよ」

 どこに行ったとか言いながらも、その足は迷うことなくアンヌの酒場に向かっていた。

 酒場のドアを開けるとむっとした空気が流れてきた。淀んだ酒の匂いは潔癖な少年にはまだ眉をひそめるものでしかない。酔っ払った親父どものうるさい茶々を適当に流しながら店の主人の所に駆け寄った。

「こんばんわ、アンヌさん」

「あら、メルヴィル。こんな夜遅くにこんな場所に来るなんていけない子ね。ビリーさんに用事かしら?」

「えぇ、すいません。今日父さんここに来ました?」

「えぇ、随分飲んでたみたい。一儲けする目処がついたからって。今は外に風に当たりに行ったわ」

「……随分飲んでたんですか……?」

「……飲んでたわねぇ……」

「……飲んでたんですか……」

「……がんばれ……?」

 絶望的な顔をしていたメルヴィルにアンヌはそっと声をかけたのだった。



 

 外、といってもこの城は広い。とりあえず外にでて、噴水のある広場のほうに出てみる。既に警備隊長の姿もなく、閑散としていた。

「……どこいったんだろ」

 階段を下りて武術指南所の前に。その奥の森の牧場に行こうと思ったが、太陽の落ちきった森の奥は梟とか鳴いてて非常にあれだったので後回しにすることにした。

「……湖の方をさがしてみるか……」

 昼間父親と話したオープンテラスの方へと足を向けた。坂を下るときにテーブルのいすに腰掛ける人影が見えて、いたと思って駆け寄った。

「父さん……?」

 だが、その途中でその人物が明らかにビリーと違うシルエットを作っていることに気づく。こんな夜更けにいったい誰だろう。訝しげに近寄ったが、すぐに誰だか気がついた。あんな人はこの城に二人といない。

「……クリス様……」

 

 彼女は椅子に座ってテーブルに頬杖をついてぼんやりと湖を眺めていた。

 昼間はきっちりと結い上げられた髪は今は下ろされ風になびいている。青い月光の中でその銀色の髪は蒼くすら見える。

 その視線は湖上にありながら、もっと遠いものを見つめているように見えた。

 幻想的で、触れたら壊れてしまいそうなその光景。

 昼間見たとき、妖精みたいと思った。今はまるで女神のように見える。

 あぁ、だけど。



――よ〜、嬢ちゃん

 そうだね、父さん。



 その姿は座っているだけというのに、酷く痛々しい。



「……クリス様……」





 この人は、人間だ。







 パレードの時、あの人は馬上にいて、僕には手の届かない人だった。パレードの見物に出かけた人たちは大人が多くて、皆背が高かった。隣のあの子みたいに肩車してくれる親は手元になくて、だからぴょこぴょこ飛び跳ねて人の肩と肩の間から彼女を見つめた。

 手の届かない人だとわかっていて、それでもどうしても言いたかった言葉があった。



 町の人々の無邪気な声。

――「なんかグラスランドとやばいんだって?」

――「大丈夫だって。なんたってゼクセンには銀の乙女がいるんだから」

 

 うん、僕もそう思うけどさ。



 あまりに無邪気な信頼。

――「だけど本当に戦闘があったらしいじゃないか」

――「心配するなって。クリス様に任せておけば大丈夫だって」



 うん、その通りだって思うけどさ。





 父さんがこの城にいるから、といってあの人は迎えに来てくれた。この城にくればいいと言ってくれた。なんか本当に夢見たいで胸が詰まった。

 馬上にいたあの人が同じ地面に立って、人壁もなく自分の目をまっすぐに見てくれる。これがどんなにか奇跡的なことか、あの騎士達にはきっとわからない。



 今、女神が人間になって目の前にいる。

 ……どうしても言いたかった言葉が。





「……クリス様……」

「メルヴィル……?」

 そっと声をかけたら、瞳に焦点が戻って驚いた声を上げた。

「どうしたんだ? こんな時間にこんな場所で」

 それはそっくりそのままクリスに問いかけたい疑問でもあったが、メルヴィルは素直に答えた。

「父が酒場に出かけて何時までたっても帰ってこないから探しにきたんです。せっかくクリス様が仕事を回してくれたのに二日酔いじゃ仕事がしっかりできないでしょ?」

「なるほど、な。メルヴィルは本当に出来た子だな」

 得心がいったクリスはご褒美とばかりに座ったままメルヴィルの耳の辺りに手を差し込んで髪を撫でた。

――うわっ、いい匂いがする。

 ふわっと漂ってきたそれにかぁっと頬が熱くなる。

 色々あった決心がいきなり崩れ始めたのを感じて、このままじゃいかんとチョコチョコあとずさってその手から離れた。勿体無かったかと次の日後悔するようなことはボルスではないのでしない。

「あの、クリス様」

「ん?」

 問い返された声は柔らかく、もう銀の乙女の仮面をかぶってしまったのが悲しかった。

「クリス様は何をしていらしたんですか?」

「……ん? 私か?」

 クリスは優しい笑みを浮かべながら、少し困ったように曖昧に言った。

「別に大したことは……」

「クリス様」

 言葉を遮ったメルヴィルの瞳は大人のずるさでごまかしを許してくれそうになくて、ため息をついてから答えた。

「……湖を見ていた」

「…………」

「昼間見ていたときはあんなに輝いていたのに、夜はこんなに静かで、……少し、怖い、な……」

 そういいながらも、口元には笑みが刷かれていた。その貌は美しかったが、それよりもその後呟かれた言葉の方が胸をついた。



「……人間と一緒だな……」





「……クリス様は人間が怖いですか?」

 クリスは曖昧に笑った。

「クリス様……!」

「待ってくれ、メルヴィル。ちょっと待って」

 クリスは苦笑して手で押さえるまねをした。

「逃げないから、だからちょっと待って」

 お前に話すのには少し勇気がいる。

 そう言って、だけどやっぱり微笑んだ。

「……メルヴィルは、確かヒューゴと仲がよかったな?」

「え? はい」

「でも、私は彼に憎まれているんだ」

「…………」

 笑顔なのに、泣くよりよっぽど辛そうに見えた。

「クリス様……」

「聞いてくれ、メルヴィル」

 迂闊な慰めを遮って、クリスは言った。まっすぐに自分を見つめ語る瞳は鋭く、自分が踏み込んだ場所の重さに少しおびえた。

「この城に来るまでは、ヒューゴたちカラヤクランの者たちはただの敵だった。それでよかった」

 クリスはゆっくりと風になびく髪をかきあげた。

「……この城にいると楽しげに笑いあうカラヤの戦士達の姿を見る。楽しげに笑って肩を叩き合って。その者たちが私の顔を見ると一瞬笑みがこわばる。……それを見るのは、正直つらい……」

「……クリス様……」

 クリスは自嘲の笑みを浮かべて、両肘をテーブルにつき、顔の前で指を組んで表情を隠した。

「覚悟がなくて、情けないことだな。相手が笑いも泣きもする人間だってことなどわかっていたつもりだったのに」

 組んだ指に力が入る。

「……時々不安になるんだよ。炎の紋章を、本当に私が受け継いでしまってよかったのか」





 崇拝する女性は椅子に座っているから、普段は見上げるその顔は今の自分より低い位置にある。こぼれた髪の隙間から見える首筋の細さがうそのようだった。

 ふと手を伸ばしたら、その髪に触れてしまえたことに驚いて慌てて手を引っ込めた。

 しばし躊躇った後、それでも勇気を出して再び手を伸ばす。組まれた指にそっと自分の手を乗せた。

 ゆっくりとクリスが顔を上げた。

「……メルヴィル……?」

「クリス様。俺、どうしても言いたいことがあったんです」



 どうしても言いたいこと。土壇場になったら泡になってつかめなくてちょっと慌てた。

「……ゼクセンの皆はクリス様に期待してます」

 上手に言える自信がないから最後までしっかり言葉を聞いてねと願う。

「クリス様がこの地を守ってくれるって信じてます」

 まだです。まだ結論じゃないですからね。思う。

「クリス様がいれば自分は安心だって思ってます。それ、僕も結構そうなんですけど、そうなんですけどね?」

 上手くつむげない自分の幼さが本当に悔しくて、ぎゅっとクリスの手を握った。

「僕達、勝手な希望とか理想とか押し付けてますけど、でも貴女がそれに全て答えなければいけないわけじゃないんです」

 期待を抱く人たちの心はよくわかる。情けないほどに。

 力ない我が身では、誰かに未来を委ねるしかないのだ。だけど。

「クリス様はそれの全てに答えなきゃいけないってわけじゃないんですからね?」

 あんなにたくさんの希望や願いに全て答えていたら、きっとこの人が壊れてしまう。

「どうか貴女は貴女の願う道を進んでください。貴女が貴女でいる限り、その背についていく人は必ずいますから」

 忘れないで欲しい。貴女は一人じゃない。

「誉れ高き6騎士の皆さんは絶対にあなたを裏切ったりしないし、ゼクセン騎士団の人たちだってクリス様のこと大切に思ってます。リザードクランの人たちも、ほら、アラニスが仲いいから最近結構よく話すんですけど、あの人たちだってクリス様のこと認めてるんです。……ヒューゴさんだって……」

 大切なカラヤの友を思う。とてもいい笑顔で笑う人だから、例え今は憎みあっていても。

「……きっと分かり合える日がきますから……」

 なんだか胸がいっぱいになって、重ねた手に自分の額を押し付けた。

「……俺、まだ弱くって、何もできないけど……」

 重ねてわかる自分の手の小ささ。

「だけど、いつか僕が貴女を守れるように、……じゃない、守るじゃない、そうじゃなくて」

 頭の中は、もう、混乱してわけわかんない。あぁ、それでも伝えなきゃいけないことがあるんだ。

「……強くなります。貴女の力になれるように、クリス様の手助けできるように僕が強くなります。だから忘れないでくださいね。貴女は一人じゃないから、だから……」

「メルヴィル」

 拙い言葉を静かに聞いていたクリスが、初めて言葉を挟んだ。顔を上げると、間近にあった薄紫の瞳に自分の涙でゆがんだ姿が映って見えた。





「ありがとう」

 

 クリスはそっとメルヴィルの額に唇を寄せた

 その声が微かに擦れていたから、きっと気持ちは伝わったんだろうと勝手に信じる。

「早く強くなりますから、もうちょっと待っててくださいね」

「楽しみにしてる。早くだぞ」

「はい」



 月明かり美しかった夜。

 与えられた口付けよりも、初めて見せてくれた心よりの笑みを、きっと僕は一生忘れまい。









 次の日。

「なぁ、ビリー」

「ん〜? なんだ嬢ちゃん」

「なんでお前みたいな親から、メルヴィルみたいないい子が生まれたんだろうなぁ」

 鎧の買い付けに行くご一行は太陽降り注ぐ中平原を歩いていた。ビリーとドミニクを同行させ、ボルスと幾人かのゼクセン騎士が護衛についている。

 馬上ですこしぼけっとしながらしみじみ言ったクリスにビリーは微妙な顔をした。

「……あんまりしみじみ言わないでくれないか? なんとなく悔しくなるんだが」

「お前あの子を泣かせたら、祟られるぞ? というか私が呪う」

 ああいう子は幸せにならなきゃいけない。

 力強くそういったクリスにビリーは眉をひそめた。

「……なにそんなにメルヴィルに肩入れしてるんだ? いや、親としてはありがたいけどな。そういや、昨日メルヴィルが夜中遅く帰ってきたな。なんかあったか?」

「え? な、何かあったのですか?」

 ボルスが敏感に反応した。

「ちょっと、色々話しをね。悩み相談してもらったわ」

「な、悩み相談? な、何か悩み事でもあったのですか!? 言ってくださればこのボルスいくらでも話し相手になりますものを……!」

「気持ちはありがたく受け取っておくよ。だがお前にはあの悩み相談は無理かもしれないな」

 本気でショックを受けているボルスに全く気づかず、クリスはくすくすと笑った。

 脳裏に浮かんだのは、濁りない真っ直ぐな瞳。

 そういえば、彼があこがれるのは烈火の騎士であったか。

「なぁ、ボルス」

 クリスは未来の彼に向かって笑っていった。

「私はもしかしたら初恋の女性になったかもしれないぞ?」



 クリスは慌てて意味を問い詰めようとするボルスを交わして馬を走らせた。

 その笑顔は久々に浮かべた清々しいものであった。





 騎士団長の午後のお茶の時間に聖ロア騎士団の面々が招かれるようになるのはそのすぐ後のことだった。

from 幸福詐欺師