雨が降る日のすごし方。







 その日は天気が悪かった。

「……疲れた」

 外に出ての訓練も遠乗りも出来ないとあって、サロメはこんな日のうちに書類を片付けてもらってしまおうと嬉々として紙の束を運んでくる。だが、クリスもまだ若い女性である。一日中机の前に座っていたら腐りもする。

「さすがにこんな天気とあっては遠乗りに誘うことも出来ませんね」

 新たな書類を持って入ってきたのはパーシヴァルだった。

「……だったらせめてその書類をどこかに捨ててきて欲しかったぞ」

 結構本気で言ったのだがパーシヴァルは笑ってさらっと流した。

「あ〜、ちょっと休憩だ、休憩」

 大きく伸びをして立ち上がりソファにどかっと体を落とした。

「体が鈍る。パーシヴァル剣の相手してくれないか」

「どこでやるんですか、どこで」

「ここでいいよ、もう」

「寝言は寝ていうから可愛いんですよ?」

「……室内戦を想定しての訓練という事にならないかな」

「それでサロメ卿を説得できると思うのでしたらお相手しますが?」

「……お前は意地が悪い」

「おや、優しいと思っていただけていたんですね。それは嬉しい」

 何を言ってもするする逃げるパーシヴァルに不貞腐れて、クリスは無造作に膝を組んだ。

「目が疲れたな」

「今日はずっと書類の相手ですか?」

 クリスは目元を押さえながらこくんと頷いた。

「マッサージをしましょうか?」

「は?」

 パーシヴァルがソファの後ろに立ったのを気配で察した。振り返ろうとした時には後ろから伸びた手がクリスの顔を上向かせた。まぶたの上に温かいものを感じる。

「何?」

「目のマッサージです。案外上手いんですよ」

 パーシヴァルの指がクリスの瞼の上から眼球をゆるく刺激する。自分でも疲れたときに良くやるが、人にやってもらうのはすごく新鮮だった。

「あ、本当に上手い」

「でしょう?」

 その手は少しずつ移動し、こめかみを押さえた。

上から見下ろすパーシヴァルにはクリスの体から力が抜けていくのが見てとれた。首から力を完全に抜いてソファの背もたれにうずめてパーシヴァルの手に心を許している。

 今日は書類仕事が主だったためかクリスは鎧を着ていなかった。いつもよりくつろいだ格好のクリスが、心の鎧も脱いで安らいでいる。もしかしなくても貴重なショットなのじゃないか?などと考え、視界を遮っているのをいい事に緩んだ表情を隠そうともしない。

「どうですか?」

「ん、すごい気持ちいい。どこでこんなの覚えてきたんだ?」

「自分がしてもらったら気持ちいいだろうなと思うところを押しているだけですよ」

「なるほど。パーシヴァルは頭がいい」

 ゆっくりと息をしているのが上から見下ろす服の上下でわかる。白くて細いきれいな首が消えていく襟ぐり。視線がばれないのっていいなぁとしみじみ思いながら不必要なほど丁寧にマッサージを続ける。

 ふと、クリスが呟いた。

「……目を閉じていた方が見えるものもあるのだな」

「え?」

「お前の手の形。案外指が長いんだな」

「…………」

 その手がもたらしてくれる感触が本当に気持ちいいのだろう。うっとりと呟く。

 瞳を閉じた美しい相貌。綺麗に通った鼻筋。花びらのような唇は今はゆるく開いている。

 パーシヴァルのことを男としてはちっとも信用してないくせに、妙に無防備で、それでかえってどこまでつけこんでいいのか自分の良心を試されるようで困る。

 などと全然困ろうとも思わないくせに、無防備なのが悪いのだとクリスに心の中で勝手に責任転嫁してからパーシヴァルは言った。もう少しその感触に流されないでいられればクリスもパーシヴァルの声音が少し変わった事に気がつけたのかもしれない。

「……もう少し上手ければもっと疲れが取れるのでしょうが」

「そんなことない。すごくいい」

「ですが、下手なマッサージではかえって疲れてしまうかもしれません」

「平気。だからもっと、パーシヴァル」

「…………」

「パーシヴァル?」

 パーシヴァルの手が止まった事に疑問を覚えて瞳を閉じたまま声をかける。返事はものすごい近くから帰ってきた。

「失礼ですが、クリス様」

「な、なに?」

 耳元で、息がかかりそうなほど近くからこぼれた言葉に焦って目を開けようとしたが、その前にパーシヴァルの手が目を覆った。

「そんな無防備な顔でそんな風にねだられると、私も男としてそこそこいかがわしい気分になるのですが」

 最後まで面倒を見てもらえるのでしょうか。





 耳元に押し付けられた生温い感触に、クリス・ライトフェローのその白い首筋は真っ赤に染まったそうだ。







「……何があったんですか、これは……」

 執務室の惨状を見て、サロメは眉をひそめた。

 締め切り間近の書類は床にぶちまけられ、部屋のすみでひっそりと飾られていた花瓶は無残に砕け床が濡れている。

「……室内戦を想定しての訓練だ」

 クリスは不貞腐れたようにうそぶいた。サロメの目を見ようとはしない。

「いや、そんな無茶な……」

「室内戦を想定しての訓練だ!」

 サロメの言葉を無理やり遮って、ついでに言葉の中に騎士団長としての権力もこっそりちらつかせてクリスは言った。

 サロメが疲れたようにため息をつく。

「……とりあえず部屋を片付けます。クリス様はお茶でも飲んできてください」

「いや、私の責任だ。私が……」

「いえ、余計時間がかかるのでどこかに行ってて下さい」

 サロメは腰をかがめて水に濡れインクが滲んで一部読めなくなった書類を拾いながら言った。それが昨日サロメが徹夜で仕上げた書類だったことに思い当たったクリスは恐る恐る尋ねる。

「……サロメ、もしかして怒ってる、かな……?」

「まさか。とんでもない」

 サロメがにっこりと微笑む。クリスはつられるように引きつった笑みを浮かべると冷や汗を流しながら逃げるように部屋から出て行った。



 悪いのはパーシヴァル、悪いのはパーシヴァルと念じながら。

 


from 幸福詐欺師