生意気な子だった。

 基本的に役立たずだった。

 それでも、共に戦った。





 15年。





 戦いが終わって、笑顔をぎこちなく浮かべられるようになったころ、きっと自分が言わなくちゃいけないと思ってその家を訪れた。思い出になりきれてない場所だから、少し気は重かったけれど。

 手入れの行き届いた庭。精緻な拵えの門に手をかけて、バラの咲き誇る庭を横切って重厚なドアをノックする。私の顔を見た執事は一瞬大きく目を見開いた彼に小さく笑ってから言った。

「彼はいるかしら」

 通された部屋はよく知った場所。だけど出されたカップはお客様用の物だった。

 扉の向こうから慌しい足音が聞こえ、驚いた顔の彼が現れた。

「久しぶりね、シーナ」

「……アップル」

 

 もう、ここは私の場所じゃない。







 暫し、私は黙り込んで極上の紅茶で咽喉を潤した。カチャカチャと響く音が道化じみていて、先に吹き出したのは私だった。やけに緊張している彼が面白かった。

「……なんだよ」

「ううん、なんでもない。久しぶりね、シーナ。少し太った?」

「失礼だな。お前こそしわが増えたんじゃないか?」

 憮然とした表情のシーナに私は反論せず微笑んだ。シーナはふてくされたようにカップに口をつける。時折見せる子どもじみた反応は嫌いじゃなかった。

「……どういう風の吹き回しだ? お前がこの家に来るなんてさ」

「……うん。シーナに話さなきゃいけないことがあって……」

「再婚するのか!?」

 言葉尻を遮って飛び出た言葉に私は目を丸くした。予想しなかったところからパンチを食らった気分でシーナを見ていると違うことを察したのか彼は再びふてくされた顔をした。

「……なんだよ、違うのかよ」

「残念ながらね」

「じゃ、あれか? お前が預かってるシルバーバーグの小僧の話か?」

「う〜ん、まぁ、当たらずとも遠からずって感じかしらね」

 カップに口をつけながら言った。美味しい。

「なんて名前だっけ?」

「シーザー。シーザー・シルバーバーグよ。シルバーバーグの血は伊達じゃないことを証明してきたわ」

「……戦争に参加してきたのか?」

「ハルモニア軍がグラスランドに向かって動いてたのは知ってる?」

「あぁ。……なに、それに一枚噛んでたのか?」

「グラスランド側にね」

 呆れた顔に苦笑を返す。

「お前もう年なんだから、あんま無茶すんなよ」

 軽い挑発も笑顔で流す。それがなんだか彼には居心地が悪いようだったが、私だって他に表情の選択肢がないのだ。

「結構大きい戦いだったみたいじゃないか」

「うん。結構たいへんだった。真の紋章でてきたよ。石盤もあった」

 ……そう、大変な戦いだった。

「マジで?」

 何が楽しいのかシーナは腹を抱えて笑い出した。

 まだ、彼は何も知らないから。

「おっ前ほんと巻き込まれやすいのな。いや、結構自分から乗り込んで行ってるけどさぁ。まぁ、いいや、話聞かせろよ」

 シーナはすっかり居住まいを崩して、ソファに片足を乗せながら言ったのだった。



 私の告げることを知らないから。







 今回、テンカイ星は誰だったんだ?

 トーマスって子。優しいいい子。お城持っててね。そこ本拠地にしてたの。でも真の紋章は持ってなかったのよ

 へぇ。じゃ、何の紋章がでて来たんだ?

 火、とか。

 へぇ、誰か顔見知りはいたか?

 うん、フッチ君がいた。ハンフリーさんの剣貰ってた。

 あぁ、竜洞に戻ったって言ってたな。

 ミリアさんの娘さんと一緒に来てた。ブライトはもう立派な竜になってたよ。

 へぇ、ミリアさんに娘がねぇ。

 あ、フリードさんとヨシノさんの娘さんもいたの。修行だって。お二人にそっくり。

 へ〜。元気かねぇ、あの夫婦も。あの腐れ縁は? さすがにいないか?

 うん。あ、でも星辰剣だけいた。捨てられたのかな。

 なんだそりゃ。

 今回は犬も宿星に入ってたよ。

 あっはっは。ムクムクと似たり寄ったりだな。





「あ〜、そうだ。あいつは?」

「…………」

「ほら、あいつだよ、あいつ」

「……あのね、シーナ。今回五行の紋章全部そろったんだ」

 私は、カップを机の上に置いて言った。もし、彼から切り出してくれなかったら私はなんと言い出しただろう。

「五行?」

「うん。火、水、土、雷、……風、で五行」

「あ〜、じゃ、やっぱいたんじゃないか、あいつ。やっぱレックナート様にこき使われてたのか?」

 無邪気に問いかけるシーナに静かに言う。……あぁ、言わないですめばいいのに。

「今回レックナート様は来なかったの」

「え? そうなん? じゃ、誰が石盤持ってきたの? あ、自分ひとりで持ってきたのか? 出世したじゃ……」

 言いたくなんかないのに。



「あのね、シーナ」

 それでも。

 私は彼の言葉を無理やり遮って、静かに言った。





「私、ルック倒してきたよ」





「…………あ?」

「ルックと戦ってきた。勝った」

「……………………は?」

「ルック、もういないの。今日、うん、それ報告」

「……なんじゃ、そりゃ」

 呆然と見開かれた目。声はとても間が抜けていた。

「だからね。私ルックと……」

「だからって、おま、え? ちょ、ちょっと待てよ、お前。何、……えぇ?」

 無意味に手をばたばたさせて、何か言おうとしては口を閉ざす。

 それは何ヶ月か前の私の姿だったから、ただ、静かにその嵐が通り過ぎるのを待った。

「ルック、倒すって、は? 何言ってんの? 頭おかしいんじゃねぇの? だって、だってルックだろ? ルック……」

 シーナの声に張りがなくなり、目からも力が無くなった。

 そして一言呟く。

「……なんで?」

 あ、やっとここにこれた。

 私はようやく思いを分かち合う人を見つけられて、この肩の荷を共に背負える人を見つけて、肩から力を抜いた。それは相手の拒否権を無視した酷い選択だったど。

「あのねぇ、シーナァ」

 堪え切れず声が崩れた。シーナの服をつかみゆがめた顔を押し付けた。

「……ルックが死んじゃったよぉ……」

 先に泣いてしまって、そしたらシーナが置いてけぼりくらうのはわかっていたけど、制御できるほど簡単な感情じゃなかった。

「ルックが! ルックが……! ……ルック……」



 名を口にのせるだけで、心が軋む。



 

 初めて会ったのは門の紋章戦争。私は、ただ師を再び戦の地に駆りしたあの英雄が恨めしく、怒りからあの戦いに加わった。皆が自由のためにあの皇帝バルバロッサと戦う中、私の敵はカラス・マクドールだった。

 あの風使いは周りの大人を見下す様があからさまだし、シーナはシーナで自分の父親が偉いのをいいことに放蕩三昧。

 そりゃあ鬱陶しくて役立たずな子どもたちだったと思う。

 次に共に戦ったのはデュナン統一戦争。ただ幸せになりたかった少年たちの、人間の戦い。

 お互いの瞳にどこか諦めが浮かんでいたことに、本当は気づいていた。

 私には私の三年間が。彼らには彼らの三年間が。

 ふざけて戯れて軽口を叩いても、どこかに抱えたコンプレックスが干渉を拒絶していた。

 力なき自分に、勝てぬ父の影に。……彼が抱えていたものは、本当は今もよくわからない。

 逃げなければよかったのかとは今だからいえる言葉で、当時の私に一体何ができただろう。

 少し大人になって、静かに過去の自分と相対できるようになったからこそわかる。

 私たちは無様で、そして滑稽だった。

 あぁ、それでも私たちは。





「バカなのよ。ほんとバカ。もうちょっと、なんかこう、いくらでもやりようはあったはずなのに」

 言いながら、でも自分の言葉を信じていない。

「一人で勝手に自分追い詰めて、バカじゃないの?」

 その道を選んだときの彼の瞳を想うと胸が痛む。

「なんでそんな破滅的な方法選んじゃうのよ」

 彼の抱えた絶望は、そんなにも深かったのか。

「ねぇ、どうして……!」

 私たちは、彼への、ほんの少しでいい、光になりえなかったのか。







 私がひとしきり感情を出し切った後にはシーナも目を赤くして酷い顔になっていた。抱き寄せたんだかしがみついたんだか、私を包む手には力が入っていて本当は痛かった。

 なんて偉そうに思いはするものの、本当は私のほうが酷いさまだっただろう。きっと化粧は落ちてるし、鼻は赤くなってる。30過ぎた女の余裕など欠片もないだろう。嫌になる。あのバカのせいだ。

「……ルックが、ね……」

 耳元でシーナがぼそりと呟いた。それからくたびれ切ったように体を離すとぐだっとソファにもたれかかった。それでも肩だけは抱いたままなのは相変わらずだなと思う。

「……ルック……」

 そう言った拍子に彼の瞳から一粒涙が落ちたことに気がついたけれど、私は知らぬ振りをして彼に持たれかかった。もう終わった人。わかっているけど、人の温もりが欲しい時もある。

「……シーナには、私から言おうと思ったの」

「あぁ」

 シーナが私の髪を優しく撫でた。

「……伝えなきゃいけない人、いっぱいいて……」

 声が震えた。もう、泣くのは疲れたのに。涙流すのに体力使うことを知ったのはいつごろからだったろう。

「デュナンにも行くのか?」

「……行かなきゃよね。もう知ってそうだけど」

「あぁ、そうだな」

 シーナのささやく声は優しく、髪に唇が当てられたのを感じて、懐かしさが身を包む。この声に胸を高鳴らせた時もあった。

「……やだなぁ。シュウ兄さんに言うの」

「やだって言ったって仕方ないだろ」

「だってぇ」

 また涙が滲んできた。

「だって言えないよ」





 15年。

 その時の長さを思う。

 命を賭けたあの場所で、たくさん私たちはぶつかったはずなのに。憎しみに近い苛立ちだって感じあっていたはずなのに。

 もう、優しい思い出しか思い出せない。

 私たちは大人になってしまった。

 あの姿を変えぬ城主の治めるあの場所。

 あの城に行くことは出来るけれど、帰ることはない。





「んなこと言ったって、お前が行くのが道理なんじゃねぇか?」

「わかってるけどやなんだもん。シーナ一緒に来てよ」

「行けるわけねぇだろ!」

「なんでよ!」

「シュウにあったら俺殺されるだろうが」

「……何やらかしたのよ」

 横目でにらみつけるとシーナはいやそうに視線をそらしていった。

「……あいつのかわいい妹弟子泣かした」

「……自業自得じゃない」

「だから、誤解だって言ってんだろ?」

「あ〜、も、うっさい。どうしてこう、男って馬鹿ばっかなのかしら」

「だぁかぁらぁ」

「あ〜、もういいわよ。黙って。ねぇ、お酒持ってきて」

「は?」

「飲まなきゃやってらんないわよ。ほら、早く」

 肩にかけられていた手をはずして追い立てる。取りに行くときもまだグチグチ言っている。まったく、どうして男ってのはこうも女々しい奴ばっかりなんだろう。

 私は靴を脱いでシーナみたいに行儀悪くソファに足を乗せて呟いた。

「……殴ってやればよかった」



 言ったらまた涙がこぼれて、止まらなくなってシーナを困らせたが、私は気にせず酒を煽り続けた。

 酒で朦朧となった頭で、それでも思う。





 彼が最後に見た空が、青く美しければいい。

 そして、叶うならば。

 



「……ルック、最後笑ってたかなぁ」

「しらねぇよ」



 私に散々絡まれて拗ねたシーナが不貞腐れて言う。

 まったく、これだから男という生き物は。





「あ〜、ほんと殴ってやればよかった」


from 幸福詐欺師