ナナミ殿が死んだ。

 その報告を一体誰が俺に届けたのか。

 俺はそれすら覚えていない。

 

 

 月夜にキスを降らせましょう。

 

 

「あれ? マイクロトフさん?」

 何故だろう。いつのことだったか思い出せない。

 確か何かの小さな戦に勝ったことを祝う酒宴が催された日だったと思う。

 月の奇麗な夜だった。

 なんとなくその宴が息苦しくてバルコニーへ抜け出すとそこに彼女がいた。

「……ナナミ殿。どうしてここへ?」

「んー? だってみんなお酒臭いんだもん。ちょっと休憩。」

 そういう彼女の頬も少し火照っている。

「……飲んだんですね?」

「……えへ?」 

 軽く肩をすくめて舌を出した彼女を見て俺はため息をついた。

「まったく……。」

「ちょっとだけよ? ほんとにちょっとしか飲んでないもん。」

「そういう問題じゃないでしょう?」

「はぁい。ごめんなさぁい。」

 くすくすと笑いながら軽くそう言った。

「……反省していませんね?」

「してるもぉん。それよりマイクロトフさんはどうしたの? やっぱり休憩に来たの?」

「……えぇ。まぁ……。」

「…………。」

 煮え切らない答え。こんなことにすら即答できない自分が情けなかった。

 

 

 指先から感覚がなくなっていく

 唇からさぁーっと血の気がひいていく。

 世界が急に虚ろになる。

 眩暈が。

 誰か嘘だといってくれ。

 

 

 この軍は上手くいっていた。確かに規模はまだ小さく受身だが、それでも日々力が漲っていくのを肌で感じていた。

 なのに、どうしてだろう。人々は勝っても勝っても明日の見えぬ今に不安を抱えて怯えていた。

 どれだけ争えば平穏は訪れるのだろう。

 大切な人を守る為に一体どれだけの会ったこともない人の大切な人の血に手を汚せばいいのだろう。

 皆がこの生き方が間違っていることを知りながらただ走るしかなかった。他の道など与えられはしなかった。

 この城の者たちは笑う術に長けていたから時折狂ったような酒宴が催される。

 自分のすぐ側にある歪みから目を逸らして、笑う為に笑った。

 それを否定するわけではない。それは確かに強さの一つのあり方だ。

 だけど不器用な俺にはそれは時折とても息苦しく、耐えられなくなる。正しくないとわかっていながらなぜ平然と笑えよう。

 だから逃げ出したのだ。俺には笑えなかった。

「……マイクロトフさん……。」

 ……笑えない。

 

 

 無言で踵を返し厩へと行った。

――「どこにいかれるのですか。待ってください、団長!」

 追いすがる声を無視して馬を引き出し力任せに乗って城を出た。

 誰も俺を知らない場所へ。誰にも見られたくなかった。

この世で一番無力な俺を

 

 

 

「……ねぇ、マイクロトフさん。おどろっか。」

「……は?」

「ほら。音楽聞こえてくるでしょ。アンネリーちゃん達かな、これ。」

 確かに酒場の笑い声の中から陽気な音楽が聞こえてくるが。

「だから踊ろうよ。私この前カミューさんに習ったのよ。マーチだっけ? 123って奴。」

 俺の服の袖を引っ張って嬉しそうに言うが、ちょっと待て。

「それはワルツでは?」

「そうそう、それそれ! おどろ?」

 そう言って手を合わせて俺の腰に手を回す。

「この曲4拍子なんですけど。」

「細かいことを気にしな〜い。」

「いえ、全然細かくないんですけど……。」

「いいから!」

 バルコニーの広いところに引きずり出される。

「ほら。はぁやくっ。」

「……本当に踊るんですか?」

「ホントにホント。」

「……俺、下手ですよ?」

「平気平気。ほぉらぁ、はやくっ。観念しなさいってば。」

 観念しなければならないらしい。天を仰いで息を一つついた。この少女には逆らえない。

「……それなら女性の手はこちらです。」

 腰にあてられていた手を取って俺の肩にかけさせた。

「あれ? そうだっけ?」

「本当に習ったんですか?」

「本当だもん。もう、細かいんだからぁ。」

「だから細かくないんですってば……。」

 多少の躊躇いながら彼女の腰に手を回す。

 目の前で無邪気に笑う少女は俺が思っているよりずっと女で、少し後ろめたかった。

「いいの。ほら、いくよ。」

 口の中で小さく呟くカウントを取って彼女はステップを踏み始めた。

「イッチニッサン、イッチニッサン。」

「4拍子ですってば……。」

 彼女は、それでも一応しようと思った俺のリードなんかまるで無視でクルクルクルクルまわる。

「ほら、踊れるじゃない。マイクロトフさん。」

「踊れてるって言うんですか? これ。」

 リズムも何も関係ない。ただまわって飛んで俺を引きずりまわす。

「ねぇねぇ。あれやって? その場でクルクルまわれるやつ。」

「え? あ、あぁ。」

 合わせた手を彼女の頭上に持っていくと、彼女は「そう、それ。」といってその場でクルクルまわりだした。

「マイクロトフさん背大きいからやりやすーい。この前スズメと練習したら頭が腕にひっかかっちゃうんだもん。」

「……スズメ殿とダンスの練習をしたんですか?」

「そう。カミューさんに教わった日にね。復習したの。えらいでしょ?」

「…………。」

 スズメ殿の少し照れくさそうに手を握って踊る姿が目に見えるようだった。

「楽しかったよぉ。スズメ足踏んでばっかなの。」

 その光景を思い出してるのだろう、クスクスと肩を震わせていた。……すこし胸がむかむかした。

「……今は……。」

「ん?」

 なんだか悔しくて強引にリードを取った。右手に重ねられた小さな手を強めに握る。

「今は楽しくないですか?」

「え? 楽しいよぉ。すっごいたのしぃ。」

 俺の胸のうちのもやもやなんかちっとも気がついてないに違いない。ほころぶように笑っていた。

「4拍子の曲ならこっちのステップの方がいいですよ。」

 俺が覚えている数少ない足の運びをやって見せた。

「えぇ、こう?」

「いえ、そうじゃなくって右足から……。」

 二人して足元ばかり見て踊った。月の光が薄紫の影を冷たい石の上に踊らす。

「なんかもう一組踊ってるみたいだね。」

 彼女も気がついたのだろう。そう言って笑った。

「……そうですね。」

「……ねえ、マイクロトフさん。」

「なんでしょう。」

「大丈夫?」

 彼女の言葉はいつだって唐突だった。

 

 

 大きな木の根元に行って馬から落ちるように降りると剣を抜いて思い切り叩きつけた。

「……チクショウ。」

 芯を捉えず、ただがむしゃらに叩きつけた剣の握りからは俺を挑発するように強い衝撃をもたらした。

 その痛みを味わう為に何度も何度も叩きつける。

 強く強く唇を噛み締める。

 鉄の匂いが口中に広がって、それでもやめられはしない。

 体の中にためきれない、震えるような怒りを狂ったように木に叩き付けた。

 ちくしょう。ちくしょう。

 ぼろぼろと馬鹿のように涙が溢れては落ちていった。その熱に頬がヤケル。

 アツイ。

 

 

 

「大丈夫?」

 何がとは言わなかった。きっと彼女もわかってない。自分ですらわからない心の苛立ちと不安。

 ただ、人の心に敏感で、だから俺の心のささくれが彼女の心にひっかかったのだろう。

 音楽がやんだ。ダンスはここまで。

 地面に遊んだ俺たちがただの影に戻り、一つとなっていたそれが離れる。手を離すとき、少し切なかった。

「……何の話ですか?」

「んー。よくわかんないんだけどね。マイクロトフさん弱音吐くの下手そうなんだもん。」

 それはあなただ。

 どうして人間という生き物は人のことばかり見えるのだろう。

「大丈夫ですよ。」

 笑ったつもりだったが、ただ顔が引きつっただけだったかもしれない。 「大丈夫です。」

「…………。」

 彼女の目は真剣で透明だった。

 この目をされると俺は弱い。潔癖な彼女は弱い俺を嫌でも自覚させる。

「……ねぇ、少しかがんで?」

「え?」

「いいから早く。」

 かがむように手をひょこひょこふる。

「なんです……。」

 わけのわからぬままとりあえずかがむとナナミ殿は俺の肩に手をかけ、軽く背伸びをして俺に額に口付けた。

 ……………………………………………。

「……………………。え。」

「おまじないだよ。」

 …………ええと。

 ナナミ殿が俺の体に抱きついてきて、それで何が起こったのかを急に理解して顔がかぁっと熱くなる。

「な、え、ちょナナ、ナナナナミ殿? あ、えと、何……。」

「……大丈夫だよ。」

「……ナナミ殿。」

 体を俺にもたれかからせて、夢見るように瞳を閉じているのが見下ろせた。

 彼女の小さな手が俺の背を撫でるのがわかった。

 優しく優しくゆっくりと。

 

「大丈夫。きっと全部上手くいくよ。」

 

「…………。」

 彼女の呪文は甘く俺を縛って。

 俺は無性にそうしたくなって彼女の額に唇を落とした。

 彼女はくすぐったそうに受けてくれた。

 それが嬉しくて目蓋にも口付けを。

 自然と肩が震えてくる。

 何か箍が外れたように俺たちは笑いながら何度も何度もキスをした。

 

 

 今ならわかる。

 あれは彼女が言って欲しかった言葉。

 彼女が願った言葉。

 もう感じられない温もり。

 あぁ、もっと抱きしめておけば良かった。

 

 

「そこらへんで止めておけ、マイク。もう、木がボロボロだ。」

 背後からの静かな声。振り向かなかった。

 俺の怒りを受ける羽目になってしまった木は肌色の生木の部分を見せて無残な姿をさらしていた。

 最後の一振り。

 俺の剣は鈍い音を立てて幹に食い込み痺れきった俺の腕から開放され、オブジェのようにそこに止まった。

 優しい緑の葉の下に、荒れた幹と無骨な剣。皮肉で笑いすらでない。

 拳を思い切り叩き付けた。ささくれ立った樹皮が報復のように俺の拳にのめりこんで幾筋か血が流れていく。「……カミュー。俺は戦うぞ。」

 これは誓い。

 俺は戦うことをやめない。

 いつでも牙を研ぎ澄ましていなければならない。

目をぎらぎらさせて一瞬ですら気を許してはならない。

 彼女を殺した何かの、その喉元に喰らいつく為に。

 彼女を殺した何かへの、これは復讐。

「カミュー。俺は。」

 俺は。

 

 

――「大丈夫。きっと全部上手くいくよ。」

 

 

「俺は負けない。」  

「……ナナミ殿は……。素敵なレディーだったな。」

 友が小さく呟いた。

 

 

 

 戦いは、終わらない。

 


なんでこう、書きたい話にかぎって上手く書けないんでしょう。力不足が身にしみる……。

これはなんか絵的に月夜にダンス二人でしてたら可愛いだろうなぁって、そういう絵が思いついて、で、それをもとに書いてみました。すごい気に入った映像だったのに言葉にするとなんでこんなになっちゃうんだろ。悔しい。

可愛くないですか? おっきい兄ちゃんが小柄な元気娘に振り回されてあたふたしながら踊ってるの。ギャグにしようと思ってたのに気がつけばシリアス。っていうか最近シリアスばっかだなぁ。そしてあのシーンについては何事もなかったようにシカトしてください。えぇ、何も見なかったことに。