この城はとても和やかで、安らぎに溢れて、泣きたくなるほど優しくて。 

 だから時折忘れてしまう。 



 世界には血と死、優しくないものが吹き荒れていた。 





 bloody Maria 



  

「引くな! なんとしても持ちこたえるんだ! 援軍がすぐに来る!!」 

 右目の目蓋にうけた傷から流れ落ちる血のせいで目が開けられない。 

 相対する敵。距離感が掴めず、殴りつけるように剣を叩き付けた。果実の砕けたような音と馬鹿のように散った返り血。 

 この世で一番公平な場所。――戦場。 

 俺はそこで剣を振るっていた。 

 順調に敵を包囲していたはずの俺の部隊は、逆に敵から奇襲を受けて壊滅の危機に陥っていた。 

 自分の息がうるさい。喉の奥が乾ききって唾すら飲み込めない。 

 目の前の敵を葬って次の敵はと戦場に視線をめぐらした。地には折れた矢と剣に混じって無数の屍が無造作に横たわっていた。 

 今朝、共に笑った仲間がただの肉塊へと変わり果てていた。 

 威厳と尊厳が馬の蹄に踏み荒らされていく。 

 何かが無性に憎くて、腹立たしくて、名前のつけがたい感情で腸が煮えくりかえる。 

「援軍は……。援軍は一体何をしているんだ!!!」 

 俺の声はまだこんなに出たのか。 

 もう疲れ果ててボロボロなのに。 

 どうして俺の体は動いているのか。 

 過度に働かされた筋肉は悲鳴をあげているのに。 

 朦朧としはじめた頭。 

 考えることを放棄して朝起きたら伸びをする、そんな日常のように毎朝あの道場で鍛えた効率よい方法で命を黄泉へ蹴り落としていった。 

「団長! 団長、どこですか!!」 

「どうした、何事だ!!」 

 やはり血に塗れた副長が顔色を変えて馬を寄せてきた。 

 副長は肩で大きく息をしてから絶望的な事実を伝えてきた。 

――敵軍が我が軍の背後に現れた。 

 顔から血の気がサァっとひいていくのがわかった。挟まれた。 

 全滅。 

 一瞬頭をよぎった言葉を無理やりに振り払って手綱を強く引いた。 

「どこに行かれるのですか、団長!」 

「後ろで怪我人達が治療を受けているはずだ! 指揮に行く。一部隊ついて来い! お前はここを守るんだ。」 

 ギリっと唇をかむ。大きく息を吸ってあたりを見回しながら怒鳴った。 

「諦めるな!! スズメ殿は必ず来る!!!」 

 諦めるな。諦めた途端、死神は鎌を振りかざしてやってくる。 

「……俺は負けない。こんな所で負けてたまるか。」 

 呪文のように独り言を繰り返しながら馬を走らせた。 

「隊列を組みなおせ!! 緩んだところから突破されるぞ!!」 

 前線にたどり着くなり悲鳴をあげている声帯を酷使して怒鳴りつける。 

「団長!」 

「みんな団長が来たぞ! 団長!!」 

「何をぼさぼさしている!! 怪我人を安全な場所に避難させろ!! 戦えるものは隊列を組みなおせ!! 早くだ!!!」 

 団長たるもの例えどんなに辛くとも、弱いところを見せてはならない。騎士たちの顔に希望の光が浮かぶのを腹立たしく思いながら怒鳴りつけた。俺には誰が希望を見せてくれる? 

「……へぇ、お前が団長か。」 

 それほど大きくもないのに楽しそうなよく通る声。 

 背後からかけられた声に振り返ると赤毛の男が剣呑な笑みを浮かべていた。 

「なかなかやりそうじゃねぇか。……相手しな。」 

「悪いが悠長に相手をしている暇はない。どけ!!」 

 そう言って渾身の力を振り絞って剣を叩き付けた。男はそれを力を流すようにはじいた。 

 ――やる。 

 相手をしている暇などないというのに。 

「邪魔をするな。」 

「つれないこと言うなよ。……つきあってもらうぜ!!」 

 ――早い! 

「ちっ、外したか。」 

 何とか受けたがすぐに鋭い第二撃が飛んで来る。 

 それらを力で押し返して、わずかにバランスが崩れた隙を突いて剣を水平に振った。切っ先が男の頬をわずかにかすめ紅い筋を残した。 

「……強いな、お前。」 

 流れた血を楽しそうに舌で嘗めながら剣呑な笑みを浮かべた。 

「おもしれぇ。」 

「お前の相手をしている暇などない!!」 

「付き合ってもらうぜ、最後までな!!」 

 叩き合った剣から鋭い火花が散った。 

 剣越しに男の顔が見える。一瞬の間の後、同時に引いた。 

 細く息を吐き出す。 

 視線が外せない。外した途端にやられる。 

 と、敵軍の更に背後から多数の人間の声が沸いた。 

「また、敵軍か!!」 

 相手から目を離さぬまま怒鳴った。 

「んだとぉ? 聞いてないぞ!?」 

 男が小さく呟く。……違うのか? 

「団長! 違います。あの旗は、あの旗は……!!」 

「援軍だ! スズメ様が来て下さったぞ!!!」 

 俄かに自軍が活気付く。 

 ここぞとばかりに檄を飛ばした。 

「よし!! 一気にたたみこめ!!」 

「ちっ、レオンの奴、しくじりやがったな。おい、お前!」 

 男が馬を反しながら言った。 

「勝負はまた今度にお預けだ! それまで勝手に死んだらゆるさねぇぞ!!」 

 そう言い捨てて去っていった。そこで初めて自分が冷や汗をかいていたことに気がついた。 

「……勝手なことを……。」 

「マイク! 無事か!!」 

「遅いぞ、カミュー。」 

 見慣れた赤いシルエットが近づいてきた。 

「すまない、途中で一戦交えてきたんだ。敵の軍師にはめられたようだ。」 

「敵は……、引くようだな。カミュー、怪我人の治療を頼む。治療していたところを踏み込まれて……、重症の奴が……。」 

 息が切れてまともにしゃべれない。それでも我が意を汲み取ってくれた相棒は俺の代わりに指揮を出してくれた。 

「お前も治療を受けろ。ひどい姿だぞ。」 

「……返り血だ。たいした事はない。」 

「お前の返り血はどくどく流れ出すのか。せめて目蓋の血ぐらい止めろ。」 

「……ここを任せていいか。」 

 追いついてきた援軍が残った残党を追いかけ、疲労困憊な俺の部隊は皆死んだように地面に寝転がっている。 

「あぁ、かまわないが……。どうする気だ?」 

「重症なのを連れて俺は先に城に戻る。」 

「動かす気か?」 


「……せめて、最後に家族に会わせてやりたい。」 



「…………マイク。おまえのせいじゃ……。」 

「言うな!!」 

 言葉を遮るように声を張り上げた。 

「……頼む。これ以上……。」 

 俺を惨めにさせないでくれ。 

「……マイク……。」 





 惨敗だった。 

 無力な俺にできるコトは、それだけだった。 





 城には先に帰還した負傷兵達が溢れていた。晴れた日には美しい景色を見せる町並みの煉瓦には、今は黒ずんだ血痕がこびりついていた。 

 そこかしこで苦悶の声が響いている。 

 重症人達を治療にあたる婦人方に預けて俺は苦痛にあえいでいる一般兵の中に腰をおろして壁にもたれかかった。青騎士たちの顔もちらほらと見えたが声をかける元気はなかった。 

 座った途端、興奮していたときには気がつかなかった疲労がドッと押し寄せてきた。 

 指先が石のように重く、地面に縫い付けられる。もう、動けない。 

 あぁ、また生き残った。 

 実感の湧かぬまま目の前を行き過ぎる人たちをぼーっと見ていた。 

 こんな時スズメ殿は子供達に部屋に入っているように指示を出す。その配慮にいつも救われる気がする。 

 戦場は子供のいるべき場所でない。 

 戦場はどうしようもない愚かな大人達の場所。 

 でも、俺たちだって未来に溢れる子供達のキラキラとした瞳が曇らせないために戦うんだ。 

 決して泣く為に戦ってるわけじゃないんだ。 

 決して……。 

 けれど、じんわりと目じりから熱いものが滲んできた。 

 水を浴びたい。清潔な冷たい水を。体にこびりついたこの血臭を洗い流して、そして……。 

「マイクロトフさん!!」 

「……ナナミ、殿……?」 

 呟いた途端、涙は玉を結んで一つこぼれた。 





「こんなところにいたんだね? マイクロトフさんの部隊が奇襲受けたって聞いて、私心配で。」 

 駆け寄ってくる姿はなんだかここには不似合いで、嫌なにおいが充満したここにいて欲しくなくて。 

「来るな!!」 

 怒鳴ったらビクっと震えた。 

「……マイクロトフさん?」 

「……来ないで下さい。」 

 視線を逸らして、宙に彷徨わせながら祈るように呟いた。 

 怯えてしまっただろうか。嫌われただろうか。 

 ……その方がいいのかもしれない。普段笑ってる俺はきっと嘘で、今の俺が本当に自分。 

 近づかないで。汚れないで。あなたはずっとそのままで。 

 口の中に満ちた鉄の味。 

 白かった手袋は俺でないものの返り血で汚れてしまった。  

 もう、どうでもいい。 

 なんでも、……いい。 



「怪我、してるでしょ。」 

「……放って置いてください。」 

 ナナミ殿の少し怒ったような声。 

 視線を宙に遊ばせて、何も見ないまま答えた。 

「治療。……しなきゃだめじゃない。」 

「かまわないで下さい。」 

 俺の返答は投げやり。 

 なんだ、俺でもナナミ殿に反抗できるじゃないか。ちょっと笑った。 

「痛いでしょ。」 

「平気です。」 

「辛いでしょ。」 

「慣れてます。」 

「……すごい心配したんだよ?」 

「そんな権利ありません。」 

「何それ。」 

「放って置いてください。」 

 いたいんです。 



 俺はあなたの事を思い出さなかった。 

 とてもとてもあなたのことが大切なのに、一度としてあなたのことを思い浮かべなかったのです。 

 あそこは、狂気が治める地。 

 正気でいるのは難しい。 

 俺は本当はこんなひどい奴なんです。 

 だからあなたも俺にかまわないで。 

 そんな権利などないのです。 





 ナナミ殿は薬とかを入れた箱を抱えて静かに俺に近づいた。 

「……来ないで下さい。」 

「……応急処置なら、私でも出来るから。」 

 俺に触れた。 

「触らないで下さい。」 

「後でホウアン先生に見てもらってください。」 

 清潔そうな布を取り出して消毒液に浸して俺の傷跡を一つ一つ拭いていった。 

「……やめてください。」 

 触れ合ったとこから俺の服からナナミ殿服へ血の汚れが移っていく。 

「……駄目です。」 

 どこまでも優しい手を押し留めた。 

「……あなたが汚れてしまう。」 



 笑っていてください。 

 奇麗なままでいてください。 

 そのためなら俺は戦える気がするんです。 

 自分が例えどんなに汚れようとも、戦っていける気がするんです。 

 ……あぁ、もしかしたら俺はハイランド皇王と友達になれるかもしれない。 

 あなたもそう思ったんでしょ。会ったこともないジョウイ殿? 





「……こんなの洗えば落ちるもん。」 

 そう言って俺の手を振り解いて再び治療をはじめた。 

「こんなの私全然気にしないもん。」 

 怒ったように呟いた。 

「気にしなければ全然やじゃないもん。」 

 さっきより治療が乱暴になっている。 

「大体私だって暇じゃないんだから。その前から働いてて結構汚れてたし、わがままいってる人の言うことなんか聞いてられないんだから。」 

 ちょっと目に涙が溜まってる。 

「マイクロトフさんなんか全然怖くないんだから。怒鳴ったって全然きかないんだから。」 

「……ナナミ殿。」 

「……ちっともちっとも怖くなかったんだから。」 

 そう言ったくせになぜか涙を零して俺の首にすがりついた。 

 どうしよう。言うことをきいてくれない。 

 こんなときでも優しいあなたの温もり。 

 駄目なのに。こんな俺に触れてちゃ駄目なのに。 

 困ってしまった。 

 どうしよう。 





「ダーンチョ。諦めたほうがいいっすよ。」 

 唐突に、隣から声をかけられた。 

 二十台半ばの俺の部隊の者だった。 

「あんま駄々こねてないで大人しく治療受けてくださいよ。」 

「そうそう。次控えてるんですから。一人で女の子独占するのやめて下さいよ。」 

「……お前ら……。」 

 周りを見回せば、怪我だらけのくせに笑っている奴らがいた。 

「ダンチョーが女の人に逆らえるわけないじゃないですか。」 

「今日頑張ったけどな。」 

「おー。俺ちょっと感動しちゃったぜ。」 

 顔とか切り傷だらけで、疲れ果ててるはずなのに。 

 何笑ってるんだ? こいつらは。 

「ほら、怒られた。いい年して我がまま言ってるから怒られるんですよ。」 

 ナナミ殿もなんだか思いがけない支援の手に強気になって少し体を離して手を首に絡ませたまま間近でそう言った。 

「私の言うこときかないとひどいんだから。」 

 笑った。困った。 

「ずるいよなぁ。いつもダンチョーばっか。」 

「そうそう。こんな朴念仁のどこがいいんだか……。」 

「お前ら……。」 

 みんな笑ってる。ボロボロのくせに笑ってる。 

 そう思ったらなんだか肩に入っていた力が抜けてしまった。呆れた。 

「怪我してるくせに随分元気じゃないか。」 

「そりゃ毎朝毎朝しごかれてますから。」 

「赤騎士団とは鍛え方が違いますよ。」 

「そんなこと言ってたなんてカミューさんにばれたら後が怖いですよ。」 

 ナナミ殿がおどけてそういうと、言った奴もオーヴァーに口を押さえた。 

 皆が笑った。 

 俺も笑った。 

 本当はちょっとだけ泣きたかった。多分、悲しみとは少し違う理由だった。 

「……そうか。なら明日も鍛えてやろう。覚悟しておけ。」 

「ええー!!」 

「そりゃないっすよぉ。」 

 青騎士たちは情けない顔をして、関係ない一般兵はその様を笑った。 

「俺を馬鹿にするからだ。」 

 そこらへんに落ちていた小石を投げつけた。 





 血まみれの聖女。 

 俺なんかの言うことなんかきいてくれない。 

 いつだって俺の思惑をひらりとかわして誰よりも自由。 

 だったらせめて今は閉じ込めておこうか。 

 俺は少し笑ってナナミ殿の体を抱き寄せた。 

 外れた小石がコツンと音を立てて地に転がった。