俺を慕って同盟軍に身を投じた幼い少年が戦死した。

 戦場に正義も悪もない。

 ――「僕、絶対団長みたいに強い騎士になるんです。絶対です。」

  これが戦争だ。





 君に誓う未来





「みぃつけた。」

 城の城壁、見張り台に上る階段に人目を避けるように座っていたマイクロトフは背後から声をかけられた。

昨日の戦いでマイクロトフも大きな怪我を負った。

切りつけられた二の腕に包帯を巻くためにあの厚い上着は脱いでいる。頭にも巻かれた包帯にはまだ生々しい血の跡がにじんでいた。

「……ナナミ殿。」

 本当はその気配と足音から誰が来たかはわかっていた。

「へへ。やっと見つけた。かくれんぼしてるみたいだった。」

 そういって無邪気に笑うとマイクロトフの少し後ろ、2段ほど後ろの上の段に腰掛けた。

 そこからは昨日の戦の後片付けと治療に追われる人々の姿が一望できた。

「みんな忙しそうだよね。こんなところ攻め込まれたら一たまりもないんじゃないかな。」

 恐ろしいことをあっさり言って少女は笑った。普段よりも無邪気で無垢な笑みだった。どこか不自然であることはマイクロトフにもわかっていた。

「ねぇ、それより見て見て。じゃーん。さっき、ジーンさんとこ行ってきたの。」

 そういって体を倒してマイクロトフの視界に入り嬉しそうに右手の甲をマイクロトフに見せつけた。その健康的にやけた手の甲に水の紋章が刻まれている。

「……これ。」

「私がマイクロトフさんの怪我直してあげる。」

「……これは。」

「ね、傷見せて?」

「……申し訳ありません。お気持ちは嬉しいんですが、俺は……。」

 マイクロトフは視線を前に戻した。地にて起こる諍いなど何も知らないような顔をして澄んだ空にはちぎれ雲が流れていた。

「……直せない?」

 俺の心を全て見透かしたような優しい声音が背後から降って来る。

「……申し訳ありません。」

こんな年下の娘に見抜かれるのが情けなく、その好意を傷つけることをわかっていながらそれでも譲れない自分に怒りを抱いた。

「どうしても?」

「……すいません。」

 膝に肘を預けて手を組み目蓋の上から眼球を抑えるように手を組んで顔を預けた。

「……でも、怪我直さないままにしてもタユク君生き返らないよ?」



残酷な宣告。

そんなこと俺だって知っている。





――「タユク・イルガイルです。俺騎士になりたいんです。俺を騎士団に入れてください。」

 ミューズ出身だとキラキラ光る目でその少年は俺に言った。

 グリーンヒルに留学していたから狂皇子による戦火を逃れられたとか。身よりは全てその時に失ったらしい。

 今まで勉学に勤めていた頭を休め、その手に剣を取った少年は我が主殿より年上だというのに何処か危なっかしく目が離せなかった。

人懐こくって無邪気で剣がどうしても似合わなくて、やめておいた方がいいと何度もいったのに耳を貸さず、

――「僕、絶対団長みたいに強い騎士になるんです。絶対です。」

 そういってまぶしい笑顔を浮かべた。

 その少年が昨日の戦で死んだ。

 まだ戦場に出るのは早いとあれだけ言ったのに。

 好きな娘ができたといっていた。

――「彼女を守りたいから僕は行くんです。」

興奮して上ずった熱っぽい声で言った。

 その彼が死んだ。その死体を検分した。心臓を一刀にて貫かれていた。即死であったろうことだけが救いだった。



 これが戦争だ。

 善も悪もない。強い者が生き残り、弱い者が死ぬ。

 この世で一番公平な場所。

 生き残ること。それが勝利の証。

 騎士見習のころから今まで何人の仲間を失ってきただろう。

 戦場の平等さと残酷さは肌で知っている。

 

 だからといって全て割り切れというのか?

 こんな小さな懺悔すら、あなたは許してくれないのか?

「死んだ人はもう帰ってきませんよ。」

「知っています。」

「だったらそんな意地張らないで怪我を治してください。……スズメ困ってましたよ? 即戦力になる人はすぐに戦線に復帰できるように紋章の治療受けて欲しいって言ってるのに。」

 何かが小さくひっかかった。

「……治療する順に優劣をつけるのですか?」

「え?」

「弱い者は治療が後回しにされて、それでいいとあなたは言うのですか?」

 座ったまま腰をひねってナナミを仰ぎ見た。少女の顔に影が落ちていた。頭越しに奇麗な空が見える。

 すっと。少女の視線が細まった。

「……だって、それが戦争なんでしょ?」

 真っ向から見据えられた瞳。……見たくない。こんな少女は見たくない。

「マイクロトフさんの気持ちはわかるよ? 罪悪感でいっぱいなんでしょ? だから治療されるの拒んでるんでしょ?」

「…………。」

「でもね、そんな意地張ってるより元気になって1人でも生きている人の命救ったほうがいいよ。そのほうがタユク君だって喜ぶよ。」

「……計算のようですね。」

「え?」

 なにかがこみ上げてきて、それが抑えられなくて、言葉が漏れた。

 目の前にいる少女が誰だかわからない。あんなに豊富な感情が今は微塵も見えなくて、その瞳の奥にある優しいものが凍てついていた。

 それが辛くて前を向きなおす。

「……シュウ殿のようなことを言うのですね。」

 我ながらきつい声だったと思う。ただ、今、自分の背後にいる彼女が偽者のような気がした。なにか悪い者に取り付かれた魔物のように思えてしまった。だからマイクロトフはその悪魔を糾弾するように口調を強めてしまった。数瞬後、ひどく後悔することを彼は知らない。

「人の命を足し算引き算して一番利益があるものを選ぶのですか? ……あなたが、ナナミ殿がそれを言うのですか? あなたにだけはそんなことを言って欲しくなかった!!」



「……言わせたのはマイクロトフさんじゃない。」

 ふと、心臓が射貫かれた。

 静かな声だった。憎たらしいくらい落ち着いた声だった。なのに。

「戦わなきゃいけないんでしょ? 強くなきゃいけないんでしょ? 生き抜かなきゃいけないんでしょ? それが大人の言い分なんでしょ?」

 彼女の声に感情が戻ってくる。マイクロトフの知る彼女がよみがえってくる。振り向いた。

「そうやって私を、スズメを戦場に引っ張り出したくせに今更なかったことにするの? そんなのずるいじゃない。」

 彼女は泣いていた。

「ずるいよ……。マイクロトフさんスズメを助けてくれるって言ったじゃない。それもなかったことにするの? あの言葉は嘘だったの?」

 叫ぶように泣いた。大粒の涙がボロボロ零れていた。真珠のようだった。

「……ナナミ殿……。」

……あぁ、ナナミ殿がいる。

こんな状況なのに何処かでそんな声が囁いた。溢れんばかりの感情。発露させている時が一番美しい。

例えその感情が悲しみでも。例えその感情が憎しみでも。

「……もういい。」

 ナナミは立ち上がると階段を駆け上がっていこうとした。

「待ってください、ナナミ殿!!」

 慌てて後を追おうと立ち上がろうとして激痛が走る。傷は自分で思っていたよりも深かった。

「……っく。」

 かすかに浮かべた苦痛の声にナナミは一度振り返った。

「ナナミ殿……。」

 だが、泣き顔そのままに一度眉根を寄せるとまた踵を帰して走り出す。

「待ってください。ナナミ殿、ナナミ殿!」

 痛みを無理矢理振り切って追いかけてナナミのその細い腕を掴んだ。

「離してよ、離して。マイクロトフさんなんか大嫌い、離してってば。」

「離せません。」

 無理矢理振り向かせて暴れる両手首を押さえた。

「マイクロトフさんなんか知らない。一人で勝手に被害者ぶってればいいのよ。」

「ナナミ殿、話を聞いてください。」

 ナナミは全力で暴れている。普段ならそれでも軽く押さえられるのだろうが、ちいさな振動が一々体に響く。怪我した腕を切り落としてやりたかった。

「もう、離して……。離してよぉ。」

 両手を取られたままナナミは膝を地につけた。顔を真下に向ける。乾いた城壁の石に水滴が一つ二つ小さな染みをつけた。

「マイクロトフさんなんか知らない。勝手にすればいいじゃない。」

 ナナミの体から力が抜けてマイクロトフの手から滑りぬけて膝に落ちた。その手の上にも水滴が落ちる。

「……ナナミ殿……。」

「……私は死なないよ。死にたくないもん。正義も悪も関係ない。私は死なない。」

「…………。」

「スズメもジョウイも死なせない。その為なら何だってする。この軍を裏切ってだって大切な人を死なせたりしない。それが戦争なんでしょ? 生き残ればいいんでしょ? だったら私は負けない、負けないんだから!」

 泣き濡れた瞳でそれでもマイクロトフを真っ向から見据えた。

強く煌く瞳。

侵し難いその光。





 後悔していた。彼女に酷い言葉を言わせてしまった。

 口に乗せるだけで己を傷つける言葉を言わせるように誘導してしまった。

 何を言って欲しかった?

 俺は悪くないと言って欲しかった。

 ただ優しく撫でて欲しかった。

 ……甘えていた。

 彼女の人格を無視して都合よく使おうとしていた。ただ、無力な自分を許して欲しかったばっかりに。

 俺は彼女を、彼女の人格を侮辱してしまった。

「ナナミ殿……。」

 どうやって俺は許しを請えばいい。

 気高き彼女は俺の甘えた思惑に都合よく使われたりはしなかった。中途半端な優しさなど与えてはくれない。

――「この軍を裏切ってだって大切な人を死なせたりしない。」

 できないくせに、そんなこと。

 言わせたのは俺。

 口に乗せるとイタクなる言葉がある。それを言わせてしまった。

酷く傷ついた心が見える。それなのにそれすら糧にして少女は輝くことをやめない。

「……許してください。俺は……。」

 傷つける気なんてなかった。

そんな顔をさせるつもりなんてなかった。

 ……なかったんだ。





 ナナミの瞳がふと和らいだ。哀れみをわずかに浮かべてゆらりと手が伸び、その指先がぶつかるようにマイクロトフの頬に触れる。

「……マイクロトフさん傷ついてるの見るのやなの。」

 小柄な少女がなぜかとても神聖に見えた。

「マイクロトフさんのことだって大切なの。」

 宗教画のようだった。

 右膝を立ててひざまずく血にまみれた騎士を癒す清き娘。

「……一緒に生きようよ。意地でも生き抜いてやろうよ。負けるの悔しいじゃない。勝って、で、ざまぁみろって笑ってやろうよ。」



 マイクロトフは何も言わず娘の手を静かに押し抱き甲を額に押し付けた。

「……誓います。」

額から離し、手の甲から腕を視線でなぞって少女の瞳にたどり着く。涙をたたえた瞳で少女は笑ってくれていた。

「あなたと共に生き抜くことを。」

 恭しく、マイクロトフは甲に口付けを落とした。

 





――「ざまぁみろって笑ってやろうよ。」

 何を笑うとは言わなかった。

 歴史かもしれない。

 運命かもしれない。

 ……人間かもしれない。

 

 それでも。

――「彼女を守りたいから僕は行くんです。」

 少年を駆り立てた思い。

 マイクロトフは歩きだした。