Memories

 

「こんな所にいたのか、マイクロトフ」

 次の日の朝、爽やかな空気の中、マイクロトフは道場で怪我をしていない方の腕で素振りをしていた。振リ降ろすたびに傷口に痛みが走ったが、今はそれを感じていたい気持ちだった。

「全く、こんな所をホウアン殿に見られたら怒られるぞ」

「何の用だ? カミュー」

 さすがに普段よりは軽い模擬刀を降ろして入り口にもたれて立っているカミューに額の汗を拭いながらたずねた。

「吉報だよ、マイク」

「吉報?」

「聞きたい?」

 にやりとタチの悪い笑みを浮かべたカミューにマイクロトフは淡々と返した。

「ナナミ殿の記憶が戻ったか?」

 冷静なその言葉にカミューが目を見開いた。

「なんだ、知ってたのか?」

「いや、初耳だ」

 模擬刀を片付けながら素っ気無く言ったマイクロトフにカミューは物問いたげな視線を投げかけたのに気が付いたが無視してタオルを取り汗を拭った。

「……そうか、戻ったか」

「会いに行ったらどうだ?」

「……あぁ、そうだな。そうするか」

 カミューの脇を通りすぎようとした時、カミューがマイクロトフの腕を掴んだ。

「? なんだ?」

「いや……」

 詰まらなそうな表情を装ってカミューがマイクロトフを見つめた。

「……大丈夫か?」

 小さな声で聞かれて、思わず吹き出した。お前ナナミ殿に意地悪だと思われてるぞと言おうと思って止めておいた。

「なんだ?」

「いや、なんでもない。……大丈夫だ」

 ありがとうの言葉は心の中だけで呟いた。

 これから訪れる事態を前に、多少心が和んだ事だけは確かだった。

 

 医務室前には再び人だかりが出来ていた。一週間前と違うのはその顔に喜びが満ちている事だ。

「あ、ダンチョー」

 騎士の一人がマイクロトフに気がついて声をかけてきた。

「良かったですね、ダンチョー」

「ナナミ殿は?」

 思ったよりも冷静な口調で問い返して来た事に戸惑いつつ、その騎士は医務室の中にいると言った。

「そうか……」

 ゆっくりと扉の方を見やる。

 医務室の中には喜びに溢れた者たちが溢れ、見えないがその中心に少女がいるのだろう。

 ふとその群集が動いた。ナナミが部屋に戻ろうとして、人だかりが分かれてその中心からナナミの姿が現われた。

「……マイクロトフさん」

「記憶、戻られたそうですね。おめでとうございます」

 自分で思ったよりずっと冷静に挨拶が出来た。確かにカミューをどうこういう資格は無いのかもしれない。

「……ありがとうございます」

 ナナミは静かな表情で答えた。

 喜びに沸くこの場所で、一番犬のように喜ぶと思われていたマイクロトフが冷静である事に回りの皆に訝しげな表情が浮かんだ。

「……記憶を失ってる間の事は覚えていらっしゃるんですか?」

「ううん、何も。全部忘れちゃった」

 ……何も知らなければそれはただの無邪気な笑みだったのかもしれない。

 だけどマイクロトフにはそれがひどく大人びた笑みに見えた。大人びて、とても淋しい笑みに。

「マイクロトフさん」

「はい」

 両手を腰の後ろで組んで、少女は笑った。

「……ごめんね」

 マイクロトフが何も返事出来ない間にナナミは身を翻してしっかりと歩いていった。人がバラバラと散っていく中動けなかったマイクロトフにビクトールが近寄った。

「よ〜」

「ビクトール殿」

「……どうかしたか?」

「……いえ、なんでもありません」

 呟くように返事したマイクロトフは暫し眺めてから気を取りなおすように肩をすくめて「ま、いいけどよ」と言った。

「……ビクトール殿」

「ん?」

「一つ聞いていいですか?」

「おー」

 深呼吸を一つしてから聞いた。ちょっとした覚悟が必要だった。

「……ナナミ殿にジョウイ殿の事は話してないんですよね」

「なんだよ、お前も説教かよ」

 シュウだけで十分だと不貞腐れたビクトールにそんなんじゃないと笑って言ってから、聞いた。

「……ピリカ殿ことは話しましたか?」

「あいつの事を今のジョウイのこと話さないでは説明できないだろ。存在すらしらねぇよ」

「……そう、ですか」

 目蓋を下ろして重い息を吐き出した。

「マイクロトフ?」

「……失礼します、ビクトール殿」

 訝しげに名を呼んだビクトールに一礼してナナミを追って歩き出した。

 ストライドの差ですぐに見失ったナナミの背を見つけた。

 その背に淋しげな、だけど凛とした何かを感じる。

「……ナナミ殿」

 決して大きくない声で呼びかけるとナナミは静かに振り返った。

「なんですか?」

「一つだけ聞かせてほしいことがあります」

「……なんでしょう」

 もう一度深呼吸した。敵と刃を交わすよりよっぽど勇気が要った。

「貴女が記憶を失ったのは」

 記憶を放棄してしまうほど恐れ怯えたものは

「……俺のせいですか?」

「…………」

 ナナミの瞳は静かで、全てを受け入れてしまいそうな儚さがあった。

「……言ったでしょ? マイクロトフさん」

 もう、笑っても笑顔に見えない。

「私は全部忘れちゃったんだよ。記憶失ってる間の事も失ったきっかけの事も全部」

「ナナミ殿……」

 全てを諦めたような笑みが胸を締め付けた。

「……幸せな夢を見ていました。とてもとても幸せな夢でした」

 口元にわずかに苦味を乗せながらも、その表情はあくまで透明で。

「だけど私知ってるんだ」

 その透明さが、あどけない彼女を侵食して行くようで怖く、憎かった。

「夢は夢だからこそ幸せなんだよね」

 そんな言葉を、言わないで

 あんな出来事など無かったように戦争は続く。自分もすぐに忘れて次の戦場へと走った。

 相変わらずあの少女はいつも笑っていて、戦場でぼろぼろになった戦士を、喧嘩を売るような勢いで迎え入れ、治療をしたり服を脱がせて洗濯したり繕ったりしている。その事でたくさんの人間が戦場の奇妙な興奮を押さえ日常へと帰ってくる。

 だけど時々思い出す。

 酒に酔った時や血にあたって酷く疲れた時。

 不意に、無性に会いたくなるのだ。

 知ってしまった、あのなんの影も落とさぬ太陽のような笑みに……。

 


from 幸福詐欺師