Memories

 

 

 その日の夜、マイクロトフは同僚たちからの怪我に対する追求を逃れるために屋上にいた。マイクロトフは部屋から持ち出した酒の瓶を振って残りの量が少ない事を確認すると、床に放り出して空を仰いだ。

 ガラスを砕いたような星が瞬いている。マチルダの冬の清冽な空気の中での星のほうが美しいなどと思い瞳を閉じた。

 熱い息をゆっくりと吐き出す。

 ……苦しい。

 目蓋を手で覆った。

 何時の間にこんなに自分の神経は麻痺していたのだろう。命を奪う事になんの抵抗も感じなくなった自分を少女の瞳は思い出させる。

 そんな目で見ないで下さい。

 俺に怯えないで下さい。

 身勝手な思いを制御しきれない。

 嫌わないで。俺を嫌わないで。

 あの日溜りのような笑顔をどうか、どうかもう一度……。

 そこまで考えてふと笑う。

 もしかしたら今までだってずっと少女は自分に怯えていたのかもしれない。

 自分はそんなことにも気づかず、笑顔の裏の気持ちなんて考えてもやらなかった。

 なんだか無性に情けなくなって下唇を強く噛んだ。

「あ、見つけた。マイクロトフさん」

「……ナナミ殿……」

 視線を上げると少女がそこに立っていた。

「こんな所にいたんですね。探しちゃった」

「……すいません」

 他に言いようが無くて謝るとナナミは可笑しそうに笑った。

「謝らないで下さいよ。私も逃げてきたんですから」

「逃げてきた?」

「スズメから。怒られちゃった。記憶ない時ぐらい大人しくしろって」

 それでもどこか楽しそうに笑う少女に胸が痛む。

「……怪我、大丈夫ですか?」

 ふと表情を消して、怪我をした右腕に手を添えて言った。心配そうに見上げる瞳が泣きそうでそれにマイクロトフは何故かほっとする。

「……大丈夫ですよ。これぐらいの傷向こうにいた時はしょっちゅうしてました」

「だからって傷が痛くないわけないじゃないですか」

 心から心配してくれているのだろう、すこし怒ったように言った。

「……怪我より痛いものだってあります」

「……マイクロトフさん?」

 こんな事言ったって意味がないのに。わかっていながらマイクロトフはナナミを見つめてそう言った。

 暫し沈黙が続く。

 戦争というものは人の人生を大きく狂わせる。

 知ってはいたがわかっていなかったのではないかと、目の前の少女に会った今なら思う。

 自分が知っていた笑顔が白々しく思える。戦争は常に少女の笑顔に影を落としていた。自分はそれを知りもしなかった。

 もっと綺麗に笑えるんだ、この人は。

 もっともっと上手に、もっともっと美しく。

 この戦争さえなければ。

「マイクロトフさん……?」

 居心地悪そうに自分を見上げる少女を見下ろす。記憶は戻るのだろうか。……戻らないとしてもいずれ少女は敵の正体を知る事になるだろう。今度は笑顔が翳っていく過程を見ることになるのかもしれない。

 辛い、と思う。だけど。

「……この戦争は貴女に不幸しか与えませんでしたか?」

「え?」

「この戦争で、貴女が得た物は不幸しかありませんか? 俺や皆と出会ったことは貴女にとって何か意味のあるものだと思ってはいけないのですか……?」

「マイクロトフさん?」

 祈るように請う。だって淋しいじゃないか。

 こんな運命みたいに遠い地で生まれ、別々の人生を歩いてきた者がここで出会えたというのに。それが不幸しかもたらさなかったなんて、そんなの淋しすぎるじゃないか。

「……少なくても、少なくても俺は貴女に出会えて幸せだったんです」

 嘘偽りのない心を告げる。曲がることなく伝わることを心から願う。

 ナナミは、眉根を寄せて困ったように笑った。

「やだな、マイクロトフさん。何言ってるんですか?」

 自分を無理矢理納得させているように見えたのは期待の成せる技だったのかもしれない。

「だって戦争よ? 戦争なのよ? いい事があるわけないじゃない」

 静かな口調の中に読みきれない感情が詰まっている。

「そうよ、戦争なのよ。いい事のわけないわ。いい事なわけないのよ」

「ナナミ殿?」

「嫌なの、こんなのは。スズメがあんな地位似合うわけないじゃない。あの子はもっといい加減でちゃらんぽらんで、我が侭で自分勝手で、……だけどすごい淋しがりやで、だから私やジョウイが傍にいてあげなきゃいけないのいるべきなの……!」

 一息で言いきって、俯き高ぶった感情を収めるように静かに息を吐いた。その少女を見下ろして、その肩の細さに密かに驚く。

 再び少女が顔を上げた時、ナナミは笑顔を取り戻していた。だが、その笑顔は痛ましい。

「……ごめんなさい。なに言ってるんでしょうね、私。えへへ。やだな、恥ずかしぃ」

 何かから必死に目を逸らそうとする不自然な笑顔が胸を締め付ける。

「あ〜、もう、ごめんなさい。駄目ですね、やっぱ私まだ落ちついてないみたい。も〜、私がこんな大変な目にあってるって言うのにジョウイってばどこで何してるんだか」

 何気なく呟かれた言葉にマイクロトフは強張った。 

「ホント、いつもタイミング悪いんですよね、あの子。私がこんな目に会ってる時ぐらい傍にいてくれればいいのと思いません? ほんと困った子」

 どこか愛しそうに呟いて壁に寄りかかったナナミにマイクロトフは何も言えない。

「本当に間が抜けてるんだから。まだ小さかった頃、10歳ごろだったかな? キャロの街に野良犬が頻繁に出て私も襲われかけた事あるんですよ。乱暴な犬で私その犬の前で怯えてたらジョウイが来て私をかばってくれて」

 その当時の事を思い出したのだろう。クスッと笑った。

「だけど結局ジョウイがその犬に追いまわされちゃって、私がじいちゃんを呼んで来て助けてもらったの。なんかカッコつかないんですよね、いつも」

 困ったように微笑みながら、早く帰ってきてと小さく呟いた。

 マイクロトフは自分でも理解しがたい感情に襲われた。

「……俺だって貴女が犬に襲われたら助けに行きますよ?」

「え?」

「俺だって貴女を守れます」

 戸惑う視線を真っ直ぐ捉えてマイクロトフは真剣な眼差しでナナミを見ろした。

 無性に悔しかった。

――「いいやつだったよ。敵の傭兵の砦に一人でスズメを助けに乗りこんで来たりよ。……ったく、なんでこんな事になっちまったんだかな」

 酒場で酔ったフリックがポロっとこぼした言葉を思い出す。

 もし自分がマチルダの地を離れた時、カミューがあそこに残っていたらと思うとぞっとする。その苦しみとこんなに幼い姉弟が戦っている。会ったこともない、あの敵の皇王の為に。

 自分に従うものの為に泣く事の出来ないスズメの背を、微妙な立場から、それでもジョウイを諦めず人知れぬところで頬を濡らすナナミの涙を知っている。

 全ては敵の皇王、ジョウイの為。

 それだけ苦しんでいながら、それでもその人間の方が大切か。

 こんなに俺は近くにいるのに。

「……そんなに、ジョウイ殿がいいですか?」

「……だって幼馴染だもん」

 マイクロトフの声を受けて、静かな口調で返した。

「今ここにいないのに?」

「ずっと一緒にいたの」

「いつ帰ってくるかわからないんですよ?」

「でも帰ってくる場所があるもの」

「今傍にいるのは俺です」

「……そんな顔をしないで」

 眉根を寄せて瞳を微かに潤ませて、だけどマイクロトフの視線をしっかりと受け止めて言った。

「………貴女はいつだってそうだ……」

 マイクロトフは強く瞳を閉じてナナミの顔の脇に腕をついて肩に顔を押し当てた。熱い息が肩にかかる。

 抱きしめてしまえば折ってしまえるような小さな体で少女は戦っている。傷だらけになりながら、剣や弓や体を鍛えるだけでは勝てない相手と。

 だから守ろうと思った。せめて体を傷つけようとする刃からは。

「……俺だって貴女を守れるんです」

 悔しい。

 本当はその心だって守りたい。

「……そんなにジョウイ殿が好きですか」

「だって大切な幼馴染だもん」

 なのに少女の心の中はその人達でいっぱいで自分をいれてくれない。

 無邪気な笑顔が作る、どうしても踏みこませない一線。

 もどかしくて壊したくて手を伸ばしてもひらりとかわされてしまう。

「貴女はいつもジョウイ殿のことばかり考えている」

「ずっと一緒にいるって約束したんだもの」

「共に戦ってるのは俺たちなんです」

「だけど戦争はいつか終わるわ」

 ナナミがそっとマイクロトフの体を押し返した。

 小さな力なのに、望めば抱きしめられるのに、魔法をかけられたように逆らえなかった。

「俺が、貴方を守りたい」

「私は大丈夫だよ。私にはスズメもジョウイもいるもん」

 薄っぺらい笑顔でナナミは言った。瞳の奥が虚ろで、何かを言い聞かせるような口調だった。

 その言葉と感情のこもりきらぬ口調にマイクロトフはある疑問を抱いた。気のせいであればいいのにと少女の為に祈る。

「……ジョウイ殿はいません」

「帰ってくるよ」

「本当にそう思ってるんですか?」

「だってジョウイの帰ってくる場所はここだもの」

 空気が緊張感をはらみはじめる。

「ジョウイは帰ってくるわ、私たちの所へ」

「……すごい自信ですね」

 微かに苦笑する。

「だって私たちは帰らなきゃ行けないのよ、キャロへ」

 ナナミは湖の方を振り返っていった。

「そう、私たちは帰らなきゃ行けないの。こんな戦争終わらせて早くあの町に帰るのよ」

 思いつめた口調で壁に手をついてぎゅっと握り締めた。

「……何に怯えているんですか」

「……怯えてなんかないよ」

「聞きたくはないですか」

「え?」

「誰か教えてくれましたか?」

「何を?」

「ジョウイ殿が今どこにいるか」

 ゆっくりと振り返った。

 静かな夜だった。湖を越えてくる風はいつだって気持ちがいい。

 髪の肩にすれる音が耳に届いた。

「……聞く必要無いよ」

 強張った声だった。冷静を装っているのが、かえって痛々しく見せる。

「もう誰かに教えてもらいましたか?」

「聞く必要なんか無い。帰ってきてくれればそれだけでいい」

「帰ってくると思うのですか?」

「帰ってくる!」

 堪えきれないように少女は叫んだ。

「帰ってくるのよ、ジョウイは! そして私たちはキャロへ帰るの!」

 少女の瞳から涙がほとばしる。

「私たち?」

「そうよ、私とスズメとジョウイで、こんな戦争なんて関係ないところに行くの!」

「ピリカ殿はどうするのですか?」

「もちろん一緒よ。あんな小さい子が戦争なんかと関わるべきじゃないのよ。平和な所で育つべきなの。愛情たっぷり貰ってのびのびと成長しなきゃ行けないの……!」

 マイクロトフは目蓋を下ろし押し殺した息を吐き出した。

「ナナミ殿」

「なに?」

 罪悪感が胸を焼く。

「……ピリカ殿のことは誰から聞いたのですか?」

「…………!!」

 暫しその言葉の意味に戸惑った後、何かに気が付いたようにハッと目を見開きマイクロトフを見上げた。

 自分の言葉がもたらした結果から逃げない為にマイクロトフは強くナナミを見つめ返した。

 痛い空気が落ちる。

 動いたら心が切り裂かれそうだ。

 傷ついた瞳をする。

 自分勝手な人だと思う。

 傷ついたのは俺のほうだ。

「……部屋、帰ります」

「送ります」

「いりません」

 強い口調で言いきって身を翻して駆け出し出口の所で振り返った。

「マイクロトフさん、カミューさんのこと意地が悪いとかもう言えないよ」

 何かを諦めた顔で微笑んだ。

「マイクロトフさんだって十分意地悪だよ」

 再び走り出した。その後姿を見送りながらもう一度ため息をついた。

「……それは困ったな」

 星が何も知らない顔をして瞬いた。

 


next