Memories

 

 

「……ナナミ殿……」

 救いを求めるようにマイクロトフの手に頬を寄せる少女が痛ましくて、何か言ってやりたいのに上手い言葉が出てこない自分に苛立つ。

「自分を否定しないで下さい」

「マイクロトフさん……」

「……貴女が、いつもひたむきに生きていたからこそ皆あなたに優しくしてやりたくなるんです。貴女がいつも笑顔を絶やさないように努力するからこそ人が集まるんです」

「だけど私はそんな努力をした記憶なんかないんだってば……!」

 かっとなってナナミが叫んだ時、近くの林から大勢の鳥が飛び立った。

 ふっとマイクロトフの意識がそちらに集中し、剣に手をかけ構える。それに引き込まれるように自然と構えている自分にナナミは微かに戸惑いを覚えた。

「……ナナミ殿」

「はい」

「下がってください」

「え?」

 林を見据えながら言われた言葉の強さにナナミは何故か心臓がぎゅっとしまった気がした。

 すっと腕を伸ばしナナミをかばうように後ろに追いやる。

「……何か、来る」

「……マイクロトフさん……」

 ひたりと見据えるその顔、優しかったその瞳は今は戦士のもので、迫り来る何かより、目の前の青年が怖くてナナミはそっと身を離した。

 そんな事に気づかず、マイクロトフはただ迫り来る気配に神経を研ぎ澄ませていた。

 獰猛な叫び声が聞こえる。この辺りのモンスターは掃討したはずだったのだが狩りもらした奴がいたのだろうか。

 大きな叫び声とともにモンスターが姿をあらわした。

「……ミノタウロス、か?」

 ちらりと後ろのナナミを見る。顔色が良くない。以前のナナミならば相手が何だろうと臆する事はないだろうと知らぬうちに考えている自分に気づき苦笑した。

 正直一人で相手をするのは辛いが、今の少女を戦わせるよりはよっぽどましだ。

「動かないで下さい」

 言い捨てて返事が返ってくるより先に走り出す。走りながら剣を抜く。

 手に馴染んだ剣の重さを確かめながら相手の目を見据え振り上げたメイスの軌道を見極めて懐にもぐりこみ刃を薙ぐ。腹の皮一枚を破り、返り血が顔に散った。

 ミノタウロスが空いている手の方を振り降ろし、鋭い爪が頬を掠めた。痛いと言うより熱い。

 その感触は正直嫌いではない。身を切るような緊張感。命が危うければ危ういほど生きている実感を感じる。

 マイクロトフは自分が笑っていた事を知らなかった。

 平行に振りまわしたメイスを剣で受けて暫し力比べをする。怪物の顔を間近に見る。荒々しく吐き出される息が生命力の強さを思わせる。

 ミノタウロスの力は強く、筋肉が震えた。力押しされる前に空いた胴にマイクロトフは蹴りをいれて相手のバランスを崩し距離を取った。

 円を描くように少しずつ移動しじりじり間合いを取りながら睨み合う。

 膠着した時間が流れる。汗と血の混ざったものがゆっくりと頬を伝い顎から落ちる。

 緊張感が引き絞った弓のように張り詰め、各々の神経がぎりぎりまで張り詰めたその時林から一羽の鳥が飛び去った。

「はぁあああ!!」

 それをきっかけに動いた。剣を脇に構えて飛びかかる。無造作に振るった爪がマイクロトフの肩を抉ったが流れる血をそのままに力いっぱい剣を水平に振りぬいた。

 確かな手応えにマイクロトフは笑む。

 モンスターはうめき声を残して地に倒れた。

 マイクトロフは肩で大きく息をついて、待たせておいた少女の方を振り返った。

「すいません。手間取ってしまいまし……」

 言葉は途中で止まってしまった。

「……ナナミ、殿?」

 少女は気の毒なほど青ざめてマイクロトフを見つめていた。

 その、目。

――あの目はなんだったのですか?

 不意に裂かれた傷が痛み出す。心臓が脈打つごとに血液が流れ出す気がした。

「ナナミ殿……」

 唇を青くした少女に手を伸ばそうとして、その手にナナミが震えたことに気がついて伸ばした手を宙にとどめる。

 ふと自分の姿に気づく。

 戦いに溺れていた自分。こんなに血に汚れて、凄惨な格好をして、だけどいつも受け入れてくれたからそれが当然だと思っていた。

 受け入れることができるまでにきっと経験したナナミの苦しみとか葛藤とかそういうものを考えた事がなかった事に気づく。

 ……どうか、俺に怯えないで。

 モンスターに相対するよりよっぽど緊張してマイクロトフは請うようにナナミを見た。

 ナナミは切なそうに眉根を寄せてマイクロトフを見上げた。

 

 傷ついている目だと思った。

 自分が傷つけているのだと思った。

 こんなに立派な人を自分みたいなちっぽけな存在でも傷つける事が出切る事が少し可笑しかった。

 ……あぁ、私はこの光景を見たことがある。

 あの時もこの人は血に塗れながら私を助けてくれたのだ。

 ……なのに私は……。

 そう、思った瞬間目の前は暗くなり、ナナミは意識を手放した。

 マイクロトフは自分の傷もそのままに倒れたナナミを抱きとめて、暫くの間動く事が出来なかった。

 

 

「ど、どうしたんですか、その傷!」

 城内に入ったらすぐにスズメに捕まった。

マイクロトフは片手で手綱を操りつつ馬上から冷静に返答した。

「ミノタウロスが出ました。大丈夫だと思いますが残党がいないか一応捜索隊を出してください。それからナナミ殿を……」

「ナナミ……!?」

 青ざめてぐったりとマイクロトフの腕の中に抱かれている姉の姿を見てスズメも青ざめた。

「どうしたんですか?」

「怪我はありません」

「だってその血……」

「俺のが移っただけです。彼女に傷はありません」

「っていうかマイクロトフさんのその傷は何? あぁ、とにかく二人とも医務室に!」

 スズメは辺りにいた人に手伝ってもらって二人を医務室に運んだ。

 マイクロトフは暫し運動しないよう言い渡されまた騎士団の者達に物足りなさを与える事になった。

「ホウアン先生、ナナミは……?」

「気を失ってるようですね。外傷は見えませんが……」

 ホウアンもスズメもちらりとマイクロトフを見た。一体何が起きたのか。マイクロトフは最低限の報告をしただけで押し黙りそれ以上口を開こうとしなかった。

「……それでは俺はこれで……」

 マイクロトフは静かに一礼して医務室を出て行った。

「……なんなんだよ、もう……」

 閉じられた扉を見送って呟いた時、ナナミが小さな声をあげた。

「……ん……」

「ナナミ? 気が付いた?」

 枕元に駆けよって、姉の顔を覗きこむ。顔色は大分戻ったようだった。

「大丈夫? 何があったの?」

「……スズメ……?」

 ナナミはゆるく頭を振ってゆっくりと上半身を起こした。

「……ここは?」

「城の医務室。ナナミ気絶してマイクロトフさんに送ってきてもらったんだよ? マイクロトフさんも怪我しちゃって。何があったの?」

「……城……?」

 ナナミはぼんやりとしたまま辺りをゆっくり見まわした。徐々に意識がはっきりしてくる。

「ちょっと、ナナミ。まさかまた忘れちゃったとか言い出さないよねぇ?」

 ナナミはくすっと笑った。

「言わないよ。平気。思い出した」

 スズメはほっとため息をつく。

「あぁ、よかった。ちょっと焦っちゃったよ。それで何があったの?」

「うん。まぁ、ちょっと、ね」

「何それ。まぁ、いいや。僕この後用事あるからもう行くけど夕飯は一緒に取れるから。その時しっかり聞かせてもらうからね?」

 そう言ってスズメは出て行った。慌しい弟の退出に楽しそうに微笑んだあと、ふと表情を消し透明な声で呟いた。

「……平気。思い出した。……思い出したよ、スズメ……」

 窓から見える日差しは随分和らいでいた。

 


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