Memories

 

 

  1週間が過ぎた。少女の記憶は戻らない。

 あの日以来マイクロトフはデスクワークに大層熱心に取り組んで騎士団の者たちを困惑させていた。あれだけ熱心だった早朝訓練にも顔を出さない。夜は遅くまで酒場に姿が見られるようになる。かといって朝起きるのが遅くなった訳ではなくただ部屋で仕事をしている。

「おい、この書類終わったぞ」

 マイクロトフは同室に詰めている副長に言って書類を渡した。

「ご苦労様でした。少し外の空気でも吸ってきたらいかがですか?」

「いや、平気だ。他の仕事は無いのか?」

「えぇ、ありません。」

「無いと言う事は無いだろう?」

「では騎士たちの稽古の相手でもしてやってくれませんか? 最近会えないと淋しがっております」

 そう切り返すとマイクロトフはうっと詰まる。それを渡された書面に目を通しながら横目で確認した副長はふぅっとため息をつく。

 普段は何かと理由をつけて外に逃げたがるこの男がこんなにデスクワークに励むその理由がわかっているだけに何も言えない。

「ではすいませんがこの書類を軍師殿の所に持って行ってくれますか?」

 あからさまに困った人だと言った口調で放たれた言葉に少しむっとするが駄々をこねている自覚はあったので苦虫を噛み潰したような顔で書類を受けとった。

 子供じみたその表情に副長が笑いをかみ殺した事に気が付いたマイクロトフは照れを隠すように行って来ると言って大きな音を立てて扉を閉めて出て行った。閉じた扉の中から笑い声が聞こえて来た事はあえて無視した。

 マイクロトフは書類を片手に首や肩を回した。あまり得意でないデスクワークに専念しているせいでこっている。こんなに訓練をサボったのは初めてかもしれない。体が鈍って暴れたがっているのをマイクロトフは必死でなだめた。

 訓練する場所、それは道場であったり庭だったりするがそこには全て彼女の匂いが色濃く残っている。

 見たくない。記憶のない彼女がそこにいるのも、いないのも。

 自惚れたことを言わせてもらえば一度も会わなかったこの一週間、以前の彼女ならば淋しがってくれただろう。

 だけど今のナナミは。

 ふと足を止めて通路の窓から外を眺めた。そこには一週間前と変わらぬ風景がある。

 1度名乗っただけの騎士などこの目まぐるしい変化の中覚えてなどいまい。

 いっそ全てを忘れていてくれたら、と思う。

 自分の名も、故郷も、家族の事も全て。

 戦いに善も悪も無いが、敵対するものを悪に分類するのは自然なことだ。

「……俺は彼女の敵か」

 すこし憐れにも思う。

 これだけ人がいながら主だった仲間のうちではハイランド出身のものはキバ親子ぐらいしかいない。それにしたって一年前の時点では身分に天と地ほどの差がある。

 この城に彼女の同胞はスズメしかいない。

 さぞ混乱も深かろう。

 そこまで考えてふと苦笑した。

 違うだろ? 全てを忘れていてくれればと願うそのわけは。

 自分の中の卑しい感情を見つけて自嘲する。

「……救いがたいな、全く」

 呟いて再び歩き出した、その時だった。

「……ナナミ、殿」

 通路の向こう側から少女が歩いてくるのに気が付いたのは。

 

 

 一人だった。いつもと同じ足取りでいつもと同じ眼差しで、だけど自分を見てももう微笑んでくれない。

 マイクロトフは熱い息を押し殺して視線を落として足を速め、すれ違った時小さく頭を下げた。

 通り過ぎる事が出来たことにほっとした時、

「……あ、あの……!」

 決して大きな声ではないのにマイクロトフの体は凍りついたように固まった。

「……はい」

 ゆっくりと振りかえる。

 暖かな日差しがさっと差し込み少女の半身を鮮やかに浮きだたせ、マイクロトフは目を細めた。

「……俺に何か?」

 言葉がぶっきらぼうになってしまって内心焦るが少女は少し顔をこわばらせながらも微笑んで小走りに駆け寄ってきた。

「私、目覚めた時会いましたよね? ええと、確か……」

「マイクロトフです」

「そうそう。マイクロトフさん」

 名を尋ねられるのが嫌で、思わず先に言ってしまう。

「お一人ですか? スズメ殿は?」

 視線をはずすように周りを見まわした。

「うん。スズメはお仕事だってシュウさんって人に連れて行かれちゃったんです。……お仕事だって、あのスズメが……」

 ナナミはちょっと困ったように笑った。その瞳に満ちた奇妙な慈愛が胸を締め付ける。

「何かご用ですか?」

 尋ねると少女は礼儀正しく頭を下げた。

「ナナミ殿?」

「心配かけてすいませんでした。私が倒れてた時ずっと傍にいてくれたって聞いて……」

「あぁ。……いえ……」

 何がいえなのだか良くわからない。ただ自分が今すごく無愛想なことはわかっていてそれに怯えないでくれと身勝手な事を思う。

「……ご用はそれだけですか?」

「え? それだけっていうか、うん。それだけ、です……」

「そうですか。それでは俺は用がありますのでこれで……」

 そう言って一礼して踵を返そうとすると服の裾を掴まれた。

「……何か?」

「え? あ、えと、あの、お散歩。お散歩しませんか?」

「……散歩?」

 問い返すと少女はちょっと慌てたように顔を赤くして言った。

「ほら、今日すごくいいお天気だからきっといい気持ちなんじゃないかって……。あ、いえ、お忙しいんでしたらいいんです。ゴメンナサイ変な事言っちゃって……」

 顔を赤くして最後のほうは消え入りそうなその様にマイクロトフは思わず吹き出した。

「マイクロトフさん?」

「提出する書類があるんです。少し待っていてもらえますか?」

 自分では気づいていなかったがマイクロトフははじめて笑顔を浮かべナナミもそれにほっとして微笑んだ。

 


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