Memories

 

「……記憶喪失?」

 マイクロトフの部屋に書類を置きに来たカミューは副長に出してもらった紅茶のカップを傾けながら彼らしからぬ上ずった声をあげた。

「……ここ一年程の記憶が抜けてしまったらしい」

「一年?」

 マイクロトフは溜まった仕事を片付ける為紙面に筆を滑らせながら淡々と言った。

「この戦いが始まる直前辺りだな。……スズメ殿があの襲撃を受けたと言うユニコーン部隊にいたころだ」

「……では当然我々の事も?」

「……目が覚めた時城と言ったらルルノイエにいると思ったんだぞ?」

「……それはそれは」

 カミューはゆっくりと紅茶を流しこみ目を閉じた。

「……なるほど。事情はわかった。何はともあれ目を覚まして何よりだ」

「あぁ、そうだな」

「それで私が聞きたいのはな」

「ん?」

「なんでお前はここにいるんだ?」

 マイクロトフの手が一瞬止まったが次の瞬間には何もなかったかのようにペンを滑らせた。

「ナナミ殿には今ビクトール殿とレオナ殿がついて事情の説明、……この城に来るまでの経緯とかを説明している」

「スズメ殿は?」

「どうしてもはずせない仕事があるらしい スズメ殿以外で一番付き合いが長いのはビクトール殿たちだからな」

「アイリ殿たちは? あの方たちとも結構古い仲のようだけど?」

「ナナミ殿自体との付き合いならミリー殿やザムザ殿たちのほうが長いらしいぞ。それでもやはりビクトール殿のほうが長いらしがな」

「へぇ、そうなのか。なんか意外だな」

「……と言っても一年足らずだ」

「…………」

 マイクロトフが細く息を吐き出した。カミューは目の端にそれをおさめながら無言で液体を流しこんだ。

「……で?」

「で、とは?」

「お前は何をしてるんだ?」

「……遊んでるように見えるか?」

「そんな思いつめた顔で遊ぶような男を友人に持った覚えはないがお前ならそういう面白い事さらっとやってくれそうじゃないか」

「……お前は一体俺をなんだと思ってるんだ?」

 ため息を一つついてから答える。

「……医務室に人が押し寄せてしまってな。人払いされた」

「それでも図々しく居座りつづけるのがマイクだろ?」

「……お前は本当に俺をなんだと思ってるんだ?」

 マイクロトフは眉根をしかめて嫌そうな顔をする。

「昨日一日仕事をサボってしまったから書類が溜まってしまったんだ。用がないなら帰れ。忙しいんだ」

 だがカミューは悪巧みをしている時の笑みを浮かべてマイクロトフの机の脇に立て掛けておいたダンスニーを手に取った。

「……カミュー?」

 カミューは刀身を半ばまでだすと親指を押し当てた。血が一筋たらりと流れる。

「あぁ、これは大変だ。医務室に行って治療してもらわねば!」

「そうかそうか、大変だな。では俺が手当てをしてやろう」

 マイクロトフはこめかみの辺りに青筋を立てながらカミューの腕を掴んだ。

「……そういう野暮な事をすると嫌われるよ? マイク」

「その悪趣味な所を治さないと本気で痛い目を見るぞ? カミュー」

「だってナナミ殿の様子を見たいじゃないか」

「そして貴方は誰ですかときかれたいのか……!?」

 強い感情を無理矢理抑えつけた声が部屋の空気を凍らせた。

「……痛い、な」

 カミューはぼそりと呟いた。

 そして腕を掴んで俯いたままのマイクロトフの手をそっとはずして踵を返した。

「……この自虐趣味が」

「彼女が心配だったのがお前ばかりと思うなよ」

 カミューがでていった扉を見てもう一つため息をついた。

 ペン先からインクが零れ落ちて書類に黒い染みを作った。マイクロトフは忌々しげに舌打ちして紙をぐちゃぐちゃに丸めてゴミ箱に叩きつけた。

「……あの、バカ……」

 

 

 医務室の前では人が混みかえしていた。

「おや、皆さんおそろいですね」

 確かに人払いされるわけだと納得しながらカミューは言った。

 城にすんでいる孤児たちやニナやミリーなど同じ年頃の少女達、あまり柄のよろしくない傭兵達に青騎士たちの姿も見える。

「……お前達今は訓練の時間ではないのかい?」

「いえ、ですがカミュー様」

 カミューはひとつ笑って言った。

「まぁ、いい。気持ちはわかるからね。マイクには黙っていてあげよう。さっき逃げた赤騎士たちにもそう伝えておいてくれ」

 そう言うと青騎士たちは目を見開いて苦笑した。

「それでカミュー様。ナナミ殿が記憶喪失ってどう言う事なんですか……?」

 一人の騎士がおずおずと聞いてきた。周りの視線も集まる。

「いや、俺も今目が覚めたと聞いて来た所で詳しいことは何も……。……ん?」

 服の裾を引っ張られてカミューは下に視線をやった。子供たちが真下から口をあけて見上げていた。額を押したらそのまま後ろに転げそうだ。

「ねぇ、カミューサマ。ナナミ姉ちゃんどうしちゃったの?」

「お姉ちゃんケガしちゃったの?」

 カミューは事情を説明しようとしてふと口を閉ざした。記憶喪失なんて言葉を知っているわけがない。噛み砕いて説明するしかない。

「え〜。じゃ、今日ご本読んでくれるって言ったのにそれも忘れちゃったかなぁ」

「…………」

 君達という存在がいる事すら知らないんだよ。

 その柔い感性にこの言葉は残酷過ぎる。

 この子達だけではない。彼女の周りにはこれだけ人がいながらも一年前の彼女を知る人は一人もいないのだ。

 ……歴史の流れが公平でない事など知っている。

 自分だって一年前はあの懐かしき地を離れこの城にいるなど思いもしなかった。

 だが。

 その時医務室の扉が開いた。中からビクトールとレオナにはさまれて心細げな少女が顔を覗かせた。

 カミューは目蓋を下ろし小さく息を吐いた。

 あまりにこの姉弟に与えられた試練は大きすぎやしませんか。

 たった一年記憶を無くしただけでこの少女はあまりに平凡な普通の少女になってしまうというのに。

 

「よー、嬢ちゃん。大変だったらしいな」

「え?」

「ナナミちゃん、ナナミちゃん!」

「大丈夫? 記憶喪失って本当? 私達の事も忘れちゃったの?」

「あ、はい。えと、ごめんなさい……」

「とにかく怪我が無くてなによりです」

「あ、ありがとうござます」

「ねー、ナナミ姉ちゃん。ご本読む約束忘れちゃったってホント?」

「え? 本?」

 出てきたナナミを人が取りまく。次々とかけられる声にナナミは戸惑いを隠せず気おされていた。

「こらこら、一気に言うんじゃない。ナナミが困ってるだろ?」

 ナナミを庇うようにレオナが人だかりの間に割って入り少女の肩を抱いた。

「なんだよ、随分モテモテだな、ナナミの奴」

「ビクトール殿」

「なんだ、カミュー。お前も来たのか?」

 カミューはいつもの曖昧な笑みを浮かべてビクトールの隣に並んでナナミに視線をやった。

「……しかし参りましたね。記憶喪失とは……」

「全くだ。とりあえず事情の説明は一通り終わったから城の案内でもしようと思ったんだが……。……あれじゃ暫く動けねぇな」

「……大丈夫ですか?」

「?」

「辛そうな顔をしていますが」

 言うとビクトールは苦笑いしながら髪をかきむしった。

「まぁ、な。なんだかもうずっと一緒に戦ってた気になってたな。あいつこの城来てからも笑ってたからすっかり忘れてた。……ただのガキなんだよな、あいつ」

 死に遠い所で繰り返される日常の中から些細な幸せを拾い上げる毎日。平凡だけどだしかに幸せだったあの日の中に、今少女はいる。

「青いのはどうしてる?」

「マイクなら部屋で書類を片付けていますよ。全く、傍にいたいならそう言えばいいのに素直じゃない」

「いや、案外正解かもしれねぇぞ」

 ビクトールはどこか途方にくれたように微笑んだ。

「きっついぞ、あいつに笑ってジョウイはどこですかって聞かれるのはよ」

「……話したんですか?」

 ビクトールはゆっくり息を吐き出した。

「……言えねぇよ。言えるかよ。ジョウイとお前の弟が世界巻き込んで命の取り合いしてるなんてよ」

「なんて言ってあるのですか?」

「ジョウイは今ちょっと用があって遠くに行ってるってよ。……シュウに叱られちまうな」

「…………」

「おい、カミュー?」

 カミューはすっと人をかき分けてナナミの前に立った。

「ご機嫌いかがですか、レディ。お元気そうでなによりです」

 そう言ってナナミの手を取り甲に口を寄せた。

「へ? え、あ……」

 戸惑いを残した顔は一気に焦りに変わり頭に血が上ったように顔を真っ赤にした。

「ただでさえ混乱している所を余計混乱させてどうする」

 ビクトールがぽかっと後頭部を叩いた。

「何をおっしゃいます。騎士の嗜みでしょう」

「俺も今まで色々な騎士を見てきたがそんなことを真顔でやってのけるのは後にも先にもお前一人だ、バカやろう」

 ナナミが顔を赤くさせたまま助けを求める瞳でビクトールを見た。

「あ〜。大丈夫。怖くないぞー」

「ビクトール殿、その言い方はどうでしょう」

「さっき青いでかいのがいただろ?」

「……マイクロトフ、さん?」

 その名を口にした時、一瞬だけ顔から表情が消えた。

「それの相方のカミューだ」

「はじめまして。という事になってしまうんですね。カミューです。どうぞお見知りおきを」

「あ、はじめまして、ナナミです。……って知ってるんですよね、私の事」

 参ったなと言って苦笑してこめかみをかいた。

「……なるほど。確かにこれはちょっときつい」

 ビクトールにだけ聞こえるように呟いた。

 今までと同じに見えて、確かに引かれてしまった一線。

――「あ〜、カミューさんだ。こんにちは。いいお天気ですね」

 もう自分は心の壁を溶かしてしまうようなあの笑顔になれてしまったというのに。

 


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