正しいことだけを語れるのなら、それはなんと幸せなことだろう。

 偽らず、傷つけず、ただ優しいことだけを語れるのなら。



 

 いつかお前の帰る場所。



 

 狂皇子ルカが倒れた。訪れると思った平和は思わぬ人物により遠ざかり、再び同盟軍は戦いに向けて動き出す。

 そんな時のことだった。

「ふりっくしゃーん。」

「……何で俺がこんな目に。」

「お前のそれ聞き飽きたって。」

 いつもと同じ、平和とは言いがたいがそれでも穏やかで活気のあるこの城。

「なんだよう。のんでないじゃんよう。」

「どうしていっつも俺なんだ?」

「いいんじゃないか? 似合ってるぞ。」

 時は真夜中。満月が中天を少し通り過ぎた頃。

「ほぉらぁ。もっとぉ。もっとのんでぇ。」

「そんで俺がまた怒られるんだよなぁ、どうせ。」

「なんだ、わかってるんじゃないか。」

 よい子は寝る時間だというのに悪い大人たちは今だ酒場で盛り上がっていた。

「なんだぁ? 私の酒はのめないっていうのかぁ。こらぁ。」

「あー、もう勘弁してくれ。」

「いい加減諦めたらどうだ。」

「諦められるか!」

 というわけで何がというわけなのか多分誰にもわからないが、でも誰も不思議には思わないだろうという感じでフリックはナナミに絡まれていた。

 テーブルの上には空いた瓶が乱立している。といってもそれを空けたのはあらかたその不運男の相方だが。

 頬を紅潮させ普段よりも無防備な笑みを浮かべたナナミは無意味に楽しそうにフリックにもたれかかっていた。

「あー、もー、早く帰ってきてくれ、スズメェ。」

 本日の軍主様は少し遠くの村に頼まれて、レベルアップも兼ねたモンスター退治に泊りがけで出かけていた。出発したのが二日前で今日が帰ってくる予定日だったのだが一向に帰ってくる気配がない。

――「スズメが帰ってくるまで一緒にいていいかな?」

 その軍主の姉にはなんだか滅法弱いフリックがそう言われてしまえば断ることなんてできるわけがなかった。

 こんなに遅くなるとは思っていなかったので軽い気持ちで頷いたのがアダになった。

「なー、もう部屋に帰れよ。」

「いーやー。」

 さっきからこれの繰り返しだ。最初は大人しく軽食をつまみつつ果汁を飲んでいたのだがちょっと目を離した隙にビクトールが酒を飲ませてしまい、今やこの体たらくだ。

「ねーねー。フリックさぁん。何でそんなに不機嫌なのぉ?」

 隣の席に座ったナナミはフリックの腕に自分の腕を絡ませて舌足らずな口調で無邪気に話し掛けてくる。かすかに瞳を潤ませ無防備にもたれかかってくる様は非常に愛らしい。が。

「……どうせされるならもう少し色っぽい姉ちゃんの方が嬉しいぞ。」

 本当にされたら困るくせに、フリックはスズメが聞いたら冷え冷えとした微笑を浮かべそうなことをボソッと呟いた。

「なんかいったぁ?」

「いや、なにも?」

「なんだぁ。気のせいかぁ。」

 何が楽しいか知らないが再びケラケラ笑い出すナナミにフリックは大きく息をついた。

「なー、何がそんなに楽しいんだ、お前は。」

 少し呆れたように自由な方の腕で頬杖をつきながら尋ねたが、

「えー。わっかんないよぉ。」

 と楽しげに笑うだけでまともに答える素振りは見せない。

 期待していたわけではないがやはり気が抜けてもう一度大きく溜め息をつく。

 ナナミはかまわずフリックの名を連呼しては絡めた腕に頬をなすり寄せていた。なにか犬でも飼っている気分になる。

 にしても今日ははしゃぎすぎている気がする。確かに決して酒に強いほうではなかったが。

「……にしても遅いなぁ。何時になったら帰ってきてくれるんだ、スズメは。」

 いい加減自分も眠くなってきたフリックはぼそっと呟いたがその言葉に対して今までニヤニヤしながら二人を眺めていたビクトールが不意に言った。

「いいのか? 帰ってきて。」

「何がだよ。」

「いや、お前がかまわないって言うんなら俺は別にいいけどな。」

「だから何の話だよ。」

 話が見えずに苛立たしげに問い返したフリックはつぎの言葉に顔を青くして立ち上がった。

「いまのナナミを見たらスズメなんていうだろうな。」

 何処からどう見ても酔ってるし。

 傍から見ればいちゃついてるように見えるし。

「帰るぞ。」

 フリックは腕に絡みつくナナミを引きずるように立ち上がるとナナミは椅子から滑り落ちた。それも気にせず強引に歩きだす。

「やーだー。まだここにいるぅ。」

 ナナミは床に座り込んで必死に抵抗した。

「いいから部屋に戻るんだ。」

「いやったらいや。」

「ナナミ。いい子だから駄々こねないでくれ。」

「スズメが帰ってくるまで一緒にいていいっていったじゃない。」

「限度ってものがあるだろうが。」

「嘘つきィ。」

「嘘吐きでけっこう。ほら行くぞ。」

「いかないぃ。スズメが帰ってくるまでいかないぃ。」

 ナナミがここまで駄々をこねるのもめずらしい。ビクトールなどは少し不審に思ったのだがフリックも結構酔いがまわっていたので駄々をこねるナナミに堪えきれず力技にでた。

「? フリックさん?」

 フリックは抵抗するナナミから一度手を離した。それにほっとして体中に入れていた力をすっと抜いたその瞬間、フリックはその体を強引に抱えあげた。

「へ? っきゃ。」

 驚いて硬直したナナミをまるで荷物でも担ぐように肩にのせて歩きだした。

「ちょっ、下ろしてください!!」

「いやだ。」

 フリックは素っ気無く答えてずんずんと歩きだす。

「レオナ、勘定だ。」

 ポケットから硬貨を無造作に取り出してカウンターに叩きつけるようにおくと扉を開けて去って行った。酒を飲んでいたとは思えないほどしっかりとした足取りだった。

 

「ねぇ、やだよぉ。下ろしてってばぁ。」

「いやだ。」

 静かなホールに二人の声が響く。

「やだぁ。帰りたくないぃ。」

「わがまま言うな。」

 ナナミは足をバタバタさせて暴れるがフリックは歯牙にもかけない。

「ねぇ、フリックさん。もーわがまま言わないからぁ。」

「今言ってるだろうが。」

「もう間違って道場のガラス割っちゃったのフリックさんのせいにしないからぁ。」

「……そんなことしてたのかよ。」

「お願い。もうちょっとだけ皆と一緒にいさせてよぉ。」

「別にあいつらは逃げやしねぇよ。明日だってどうせあそこで飲んでるんだから。」

「……ねぇ、やだよぉ。」

「……ナナミ。」

 ふと、フリックはその声に動けなくなった。

 微かに憂いを含んだその声がフリックの足を縛る。

 基本的に素直だし、フリックの言うことは大体聞く彼女がどうして今日はこんなにも頑ななのか。

「……なぁ、お前今日なにか……、あ?」

 何かが気になって尋ねようとふと力を抜いたその瞬間、ナナミの足がフリックの背を蹴った。するりとそのしなやかな肢体がナナミをくるむように掴んでいた腕をすり抜けようとする。

「おい、待て! っつあ。」」

 慌てて逃がすまいと力を入れかけたが降り際ナナミは強くフリックの耳をかんだ。

「へぇんだ。フリックさんのばぁか。」

「ちょ、待て。いってぇなぁ。待てったら。」

 ナナミはあれだけ酔っていたというのにいつもの敏捷な動きで城の外へと走っていった。

「何処からあの元気は出てくるんだ、ったく。」

 それでも放っておくわけにもいかなくてフリックはその後をついて走り出した。

 外は怖いぐらい空気が澄んでいてガラスを砕いたような星が美しかった。

「あー、もういい加減にしろ。」

 結構本気で走ってナナミを捕まえられたのは城門近くまで行ってからだった。

 ナナミの細い肩を押さえると足をバタバタさせてまだ反抗する。両手首を押さえて強引に自分のほうを向かせて顔を覗き込んだがナナミは目を合わせようとすらせず必死に反抗する。

「いやなの! 帰りたくないの!!」

「わかった、わかったからちょっと落ち着いて俺の話を……。」

「だってあの部屋帰ったって誰もいないじゃない!!」

 

 正しいことだけを語れるのなら、それはなんと幸せなことだろう?

 

「あんな部屋やなの。ピリカちゃんいなくてあの部屋広くて一人っきりで寝るのはいや!」

 堪えられなかったのだろう。ナナミは大粒の涙をボロボロ零して嗚咽を漏らしだした。

「昨日、怖くて眠れなかった。やな夢ばかり見るの。このままスズメが帰ってこなかったらどうしようって、そんなことばっか考えちゃうの。」

「……ナナミ。」

「……ねぇ、どうして? フリックさん。」

 ナナミはそこで初めて覗き込むようにフリックを見つめた。

「悪い人倒したじゃない。これで平和になるんじゃなかったの? どうしてジョウイはいないの? どうしてピリカちゃんはいなくなっちゃったの? 終わるはずだったじゃない。戦争終わってジョウイ取り戻して今度はピリカちゃんも一緒にキャロへ……。……キャロへ……。」

 帰りたい。両手で顔を覆って嗚咽に紛れて小さく呟いた。

「……ナナミ。」

「だって、だってわかんない。何処が私の家なの?」

 首を振りながら涙混じりの声で哀願するように尋ねる。

「私のうちは何処なの? あの部屋? この城全部? 私は何処に帰ればいいの?」

 問い掛けるナナミの声は助けを求めているように聞こえた。

 ――いやだ、こんなナナミは見たくない。

「キャロの家さ、ちっちゃかったけどしっかり玄関あってさ。誰もいなくたってそこでただいまって言えば、あぁ、私帰って来たんだなって思えてさ。だけどこのお城大きすぎて何処でそれ言えばいいかわかんない。私どこに行けば家に帰ったことになるの?」

 胸が、イタイ。

「わかんないの。だからお願い。……帰れだなんていわないで。」

 

 女の子なら誰だって一度は奇麗な服を着て城に住んでみたいと願うことがあるかもしれない。

 広い部屋で、たくさんの侍女にかしずかれて。

 だけど本当にかなってしまった夢はあまりに殺伐としていて。

 自分の家。

 あるべき囲いも境界線も曖昧な広い土地に曖昧な立場でぽつんと放り出されてしまった少女。

 どこにいけばいい? わからない。

 少なくても目の前の財宝と弟がいたら何の躊躇いもなく弟に手を伸ばすこの少女にはいまの現実はただでさえ甘え方が下手なこの少女には孤独しかもたらさなくて。

 俺は何もできなくて。

 

「……全部お前にやるよ。」

 フリックは押し殺した声で嗚咽を漏らす少女をそっと抱き寄せた。

「この城も道場も酒場もみんなみんなお前ら姉弟にやるよ。」

 正しいことだけを語れるのなら、それはなんと幸せなことだろう。

「何処もかしこもお前の帰る場所だ。」

 偽らず、傷つけず、ただ優しいことだけを語れるのなら。

「みんなお前が好きだよ。だからお前は図々しいぐらいふてぶてしくそこかしこでただいまって言って能天気に笑っていればいいんだ。」

 こんなことを言ったって少女が喜ばないことを知っている。なのに自分に口から出てくるのは、そんな陳腐な言葉だけ。彼女が欲しているのはあまりに小さな、あまりに当たり前な幸せだって知っているのに。

「だから大丈夫だ。」

 あぁ、こんな言葉言わないですめばいいのに。

「一人が淋しいなら眠れるまで傍にいてやるよ。」

 もっと楽しくて、大切な人たちが無邪気に笑えるような、そんなことだけ言って暮らせればいいのに。

「手つないで子守唄歌っててやるからさ。ニナには言うなよ?」

 こんなこと言いたくないのに。

「――だからそんな淋しいこといわないでくれ。」

 

 その感情の名を祈りという。

 

 

 スズメが城に帰還したのは月が地平線におちかけた頃のことだった。

「よ。」

「……なんでここにいるんですか、フリックさん。」

 そっとドアを開けたこの城の軍主は愛しの姉君が健やかに寝息を立てるベッドの縁に腰掛けて小さな声で挨拶したフリックになんだか不意をつかれてなんのひねりもない質問を投げかけた。

「しぃっ。……今寝たばっかなんだ。」

 フリックは息の混じったささやき声で涙の跡が残る少女を親指で指しながら言った。体が冷えぬよう部屋まで抱いて帰りベッドに横たえさせ、泣くだけ泣いてしゃっくりも打ち止めになって子守唄を3曲ほど歌わせたころようやくナナミは眠りの世界に旅立つことが出来た。いい夢を見てればいい。せめて夢の中だけでは。

「……で、なんでフリックさんはここに……。……お酒臭い。」

 とりあえず声を落としてスズメはそこで微かに眉をしかめた。

「……フリックさん?」

「わり。」

 言い逃れもしないで微かに苦笑しながら素直に謝られてしまったのでスズメもそれ以上強く言えなくなってしまった。

「……まぁ、いいですけど。で? 何があったんです?」

「あー、説明しにくいんだけどな……。」

 なんと言うべきか。フリックは髪をかきあげて考えたが面倒くさくなってスズメを無言で手招きする。スズメは怪訝そうな顔をしながらも物音を立てないように近づいてきた。

 近寄ってきたスズメをフリックはナナミにしたように抱き寄せた。

「ちょ、なんですか!」

「ほら、デカイ声出すとナナミが起きるぞ。」

「だ、え、な。……あーもう、なんなんですか。」

 疲れて帰ってきて心の清涼剤の顔を見てゆっくり寝れると思ったら、何の因果か酒臭い30近くの親父に拉致されてしまった。

「……何があったんですか。」

「……うん。なんかな……。」 

 別にフリックだって嫌がらせをするつもりはない。ただなんて言えばいいのか本当にわからなくて。

「……お前らのことは俺が守ってやるから。」

 やっと言えたのはこれだけ。すがりつくようにスズメの肩に顔を埋めて抱く腕に力をこめる。

「絶対に守り抜いてみせるから。笑って暮らせるようになるまで、俺絶対お前ら死なせたりしないから。……だから、キャロに帰ろう。」

「……フリックさん。」

 腕の中のスズメは鍛えてあるとはいえ子供の骨格で、その体にどれだけのものを背負っているか考えると泣きたくなる。

「お前とナナミと、……ジョウイとピリカも一緒に。俺が連れてってやるから。」

 その言葉にスズメは驚いて入れていた力をすっと抜き、たくましい鍛えぬいた体躯にもたれかかった。

「……はい。頼りにしてます。」

「あぁ、まかせろ。」

「というわけで寝ていいですか。」

「……もうちょっと雰囲気に酔えないか? お前は。」

「疲れてるんですよ。眠い。」

「あぁ、そーかよ。」

 フリックは気が抜けたように答えたがスズメは部屋が暗かったことに少し感謝していた。だっててれるではないか。

「あー、俺も眠い。」

 そういうとフリックは少年を抱きこんだまま後ろのベッドに倒れ込んだ。

「ちょっと,フリックさん。ここで寝ないで下さいよ。」

「いいじゃねぇか。帰るの面倒だ。泊めろよ。」

「ちょ、ちょっとぉ。」

「ん〜?」

「ほら、ナナミ起きちゃったじゃないですかぁ。」

「あー、スズメだぁ。おかえりぃ。」

「起きなくていいぞ、ナナミ。俺も寝る。」

「だからぁ。このベッド3人で寝れるほど広くないでしょ? ちょ、フリックさん?」

「フリックさんも一緒に寝るの?」

「あぁ、そうだ。オヤスミ。」

「わぁい。おやすみなさぁい。」

 慌てるスズメを無視してフリックとナナミは仲良く寝息を立て始めた。

「……なにそれ。」

 抱きしめられて動けないままのスズメはなんだか途方にくれつつ呟いた。



 

 次の日、昼近くになっても起きてこない主に痺れを切らしたシュウが部屋に乗り込んでいったその先には年齢差を感じさせない三人がもつれ合いながら無邪気に寝息を立てているところを発見した。

 閉じたカーテンの隙間からは暖かい日の光が差し込んでいた。

 


from crazy*3