あのいびつな傭兵隊の砦からずっとフリック達ともに行動していた男が死んだ。

 ディルゴと言う名前だった。ちょっと人相が悪くて頬に大きな傷があったため初めて会った人間には敬遠されがちな男で、でも陽気で明るいいい奴だった。





forget me not

 




 ある日のことだった。

「なぁ、フリックの旦那。なんで俺等こんなところに集められてるんです?」

「さぁなぁ。俺もスズメに集めろっていわれただけで詳しいことは……。」

 ここ、テラスには庸兵隊の者たちが集められ、あまり広くないここにはむさくるしい男たちがあふれていた。

 ディルゴはあたりを見まわしながら方をすくめた。

「スズメのアンチャンも時々なに考えてるかわからねぇことするからなぁ。」

 全くだと思ったが怖いので口には出さなかった。その時だった。

「こんにちわ〜。あぁ、皆そろってるね。」

 スズメがテラスに登場した。視線がそっちに集まり、なんとなく代表と言う形でフリックが尋ねた。

「あぁ、一応言われたとおりここに集めておいたが……。……なにか用なのか?」

 そう尋ねるとスズメはにこぉっとその邪気の無さそうなくせのある笑顔で言ってのけた。

「……入って、ナナミ。」

「は?」

「はぁい!!」

 訝しげな傭兵たちの言葉なんて歯牙にもかけずそのテラスに彼女達は突入してきた。

「……なんだ? ナナミ、それに皆も……。」

 突入してきたのはナナミとこの城に身を寄せている孤児を含めた子供達だった。その背後にはヨシノやヒルダの姿も見える。

「あのね、今この城の環境整備運動を進めてるんだ。」

「……あぁ、そういや朝そんなこと言ってたな。で、それが?」

「わかんない?」

 天使の笑顔をのせたままにっこりとのたまった。

「うん。傭兵部隊の人達が一番汚いんだよね。」

「……は?」

「というわけで今皆さんの部屋女の人達が掃除してますから。」

「………は!?」

 顔色を変えた傭兵達を無視して言葉を続ける。

「で。その間部屋に帰られると困るから洋服の洗濯とか繕いものとかしてもらっちゃおうと思ってね。今着てる服で汚れてるのとか破れてるのとかあったら出しちゃってくださいね。ここで直せちゃうならナナミ達にやってもらっちゃうから。」

「おい、ちょっと待て、スズメ。そんな勝手に……!」

「はい、じゃ、皆やっちゃって。」

 その掛け声に子供達がわらわらと傭兵達に群がった。

「はぁい。汚いもの脱いじゃってくださいねぇ。」

「ほら、破れてるよ、ここ。脱いで脱いで。」

 なんだか楽しげに小さな子供達がガタイのいい傭兵達に取りすがる。乱暴に払いのける訳にもいかないのでいいようにされている。

「おい、どう言うつもりだよ、スズメ。」

「だから環境整備ですよ。傭兵部隊の人達服とか破れても全然気にしないんですもん。騎士団の人達を見習って欲しいもんですよ。」

 騎士団は身だしなみにも厳しいので騎士見習い時代に先輩の服の繕いモノなどもやらされるので、基本的に城の女性の手を煩わせない。

「だからってなぁ……。」

「いいからやらせてあげてくださいよ。」

 スズメがフリックの耳をつまんで引き寄せて小声で言った。イタイイタイと言う抗議の言葉など聞いちゃいなかった。

「見てくださいよ、嬉しそうでしょ?」

 顎をしゃくって子供達を指す。

「……何か力になりたいんです、あの子達も。」

「……力になってないなんて思ってないぞ、俺達だって。」

「形になる何かでやりたいんですよ。わかって下さい。」

「……まぁ、いいけどな。」

 その気持ちはなんとなくわかってしまうのでしぶしぶ頷いた。

「あれ? そう言えばビクトールさんは?」

「あ、いや、なんか用事があるから先に行けとか言われたんだが……。」

 そう言うとスズメは小さく舌打ちした。

「……勘付かれたか。あの人が一番曲者なのに。どこから洩れたんだ?」

「……なぁ、仲間内でそう言うこと言うの止めないか?」

「ま、いいや。というわけなんで大人しく言うこと聞いてやってくださいね。じゃ、僕掃除隊の応援に行って来ますから。」

「あ、おい……!」 

 手を伸ばしたがむなしく宙を掴んでスズメは軽やかに走っていった。

「なぁ、おい、ちょっと嬢ちゃん。ちょっと待てや。」

 その耳にディルゴの声が入ってきた。そっちに目をやるとナナミ率いる子供軍団にまとわり付かれているディルゴがいた。

「いいから! ほらぁ、その服の裾破れてるでしょォ?」

「そうだよぉ。だめだよ、だらしないのォ。」

「おい、ちょっと助けてくれよ、フリックの旦那ぁ。」

 助けるように手を差し伸べられたがフリックは腰に手を当ててため息を吐いた。

「……ま、いい機会だ。綺麗にしてもらえ。」

 確かに一番身だしなみと言う概念からかけ離れている部隊が自分のところだと言う自覚はある。

「ちょっと旦那ぁ。」

「そいつに目をつけられたのが運の付きだ。諦めろ。」

「俺なんかよりフリックの旦那の服チェックしたらどうだい。」

「俺に振るな。大体俺そんな酷い格好してないだろうが。」

 手を広げて自分の服装を見せつける。ナナミもそれを見て小さく頷く。

「うん。フリックさんは細かいこと気にするタイプだからいつも服とか気をつけてるよね。」

「……なぁ、誉められてると思えないんだが。ま、諦めろ。」

「そんなぁ。」

「そんな声を上げるな。情けない。」

 ディルゴは諦めたのかその場に座り込んだ。その隣にナナミが機器として座り込み針と糸を手に持って破れた裾を繕い出した。

「肌まで縫わないでくれよォ。」

「失礼ねぇ。私がそんなことするとでも思うの!?」

「やりそうだから言ってるんだ。」

「ひっどぉい。」

 だがナナミは結構上手に縫っていく。その手つきを眺めながらディルゴはポツンと呟いた。

「……なぁ、俺のこと怖くねぇの?」

「は?」

「いや、こんな人相だし。」

「……あぁ。」

 決して優男とは言いがたいその鋭い目つきや大きな頬の傷に傷ついたことがあるから。

「やっだ、ディルゴさん気にしてたんですか?」

 ナナミはちょっと目を見開いた後あっけらかんと言った。

「そりゃ、ディルゴさん目つき悪いしこの傷怖いですけどね。」

 コラコラえぐってるぞぉ、おい、とフリックは内心思う。

 そんなフリックの心の言葉など全く聞こえないので何も気にせずディルゴのその頬に手を伸ばして労わるようにその傷跡をなぞった。

「でも、ほら。そんなん目瞑っちゃえば皆一緒だし。ねぇ。」

「…………。」

 ナナミは無邪気な笑みで回りの子供達に話しかけた。回りの子供達は何を言われてるのかすらよくわからないままただ仕事を与えてもらえたのが嬉しくて笑っている。

「……んだよ、ディルゴ。感動してるのかよ。」

 フリックが肘で小突く。ディルゴは目の回りを微かに赤くしたまま動揺して思わず立ち上がった。

「ち、ちがっ。」

「ちょっ、動いちゃ駄目ぇ!」

 だが。

 ジョキッ。

 いっそ心地よい音が響いて、縫い終わって糸を切ろうとした鋏はディルゴの服をばっさり切った。

「…………あ。」

 しばしなんとも言いがたい沈黙が落ちた。

「……ディルゴさんが悪いんですからね!」 

 先手必勝とばかりにナナミが大声を上げる。

「そんなだってフリックの旦那が変なこと言うから!!」

 ディルゴも適当に人のせいにする。

「待てよ、俺かよ。」

「そうよ、フリックさんが変なこと言うからぁ!」

「フリックさんひどぉい。」

 とりあえずフリックのせいにしておけば後腐れないだろうと判断したナナミやら子供達やらが口々にフリックを非難する。

「あぁ、そうかよ、どうせ俺が悪いんだよ。」

「すねないでくださいよ。」

「お前等のせいだろうが!」

 情けなさそうな叫びに笑いがはじけた。

「あぁ、でも結構切っちゃったなぁ。ディルゴさん、私これ直しておきますから取りあえず脱いでくださいよ。」

「あ? いいよ、別に。」

「良くないですよ。繕いものしててもっと大きな切り傷作ったなんてナナミチャンの名にかけて許せません。」

「あ〜、じゃ、頼むかな。」

 ディルゴは少し照れながら上着を脱いでナナミに渡した。

「皆で綺麗に洗濯して渡しますから。ね。」

「破かないでくれよ?」

「しっつれいねぇ。大丈夫ですよ。じゃ。他の人のも見なきゃいけないんで。」

 そういうとナナミは軽い動作で立ち上がって手下を連れて走っていった。

「ったく、いつも落ちつかねぇんだから、あいつは……。」

 苦笑しながらも優しいまなざしでその背を見送る。そのひたむきな姿に心が安らいでいるのも確かで、一体どれだけ救われていることか。

 ふとディルゴが小さく吹き出して肩を揺らした。

「ん?」

「いや、なんか、ね。」

 ディルゴもまた苦笑しながら、しかしどこか照れくさそうに目を細めている。

「俺こんな性格だし、戦場でしか生きられないとずっと思ってたんですけどね……。俺みたいのが言うのもなんだけどサァ。」

 ディルゴはその凶悪な面になんだか優しいものを灯して、遠い昔になくした何かを見つめるように穏やかに言った。

「いつか、この戦争が終わって平和になった時。……好きな女と所帯でももってあんな嬢ちゃんみたいな娘と静かなところで暮らすのも悪くないかもなぁ。」

「……あぁ、そうだな。」

 楽しげに手をつなぎながら笑いあう少女達を二人は穏やかに見送った。

 確かに悪くないかもしれない。そんな未来も。

 穏やかな風が二人の間をかけぬけていった。





 その2日後のことだった。国境近辺の護衛に出かけたディルゴが突然の奇襲で命を落としたのは。

 軽傷3名、重症5名、死者2名。報告書に書けばたったそれだけのことだった。





 フリックは1人日の高いうちから、筆の進まない報告書とにらめっこをしていた。ただ酒の瓶の中身が減っていく。

 戦場においてあまりに平凡でありきたりな死に方。

 たとえば死んだのが自分だったら。しても意味のない仮定をしてみる。

 例えば死んだのが自分だったら少しはこの軍は揺らいだだろう。トラン解放軍にいた自分は多分自惚れでなく貴重な戦力であろうから。

 だが、ディルゴは……。

「くそっ。」

 フリックは苛立ちに任せてグラスを扉に叩きつけた。と。

「ッキャ。」

 小さな悲鳴が聞こえてそちらを振りかえる。

「……ナナミ。」

「……吃驚した。どうかしたんですか?」

「……いや、すまん。何か用か?」

「あ、うん。だけど……。」

 ナナミは横目でちらりと割れたグラスを見た。

「あぁ、いいよ。後で片付ける。それよりなんだ。」

「う、うん。あのね……。」

 視線はそのグラスに縛り付けられたまま、その言葉を言った。

「ディルゴさん探してるの。あの服直ったから。だけど探してもいなくて……。……フリックさん知りませんか?」

 心臓が、ぎゅっと締め付けられた。

「ディルゴは……。」

 声がかすれるのを押さえられなかった。

「……ディルゴは死んだよ。」

「…………え?」

 言うともなしに発せられた言葉が痛々しい。

「……え、だって、だってこの前あんな元気に……。」

 ゆっくり首を振って、冗談にしてしまおうと必死に笑顔を作ろうとして、でもそれはフリックの悲痛な顔に邪魔される。

「だって、だって私約束したんだよ……? 服直して渡すって。綺麗に出来たから、だから……。……えぇ……?」

苦しげに眉をしかめて、それでも諦められないで口だけは笑おうとして、だけど涙はにじみ始めて。

「……嘘だ。」

「ついてどうする。」

「だって!」

「あいつは死んだ。……死んだんだ。」

「……嘘だ……。」

 ゆるく何度も首を振る。まじないのように、そうしていれば悪夢がいずれ晴れていくかのように。

「嘘だよ、そんなの嫌だ!」

 駄々をこねるナナミにいらだつ。

 ――死者二名。

 名を乗せる必要すらない、奴の命。人の死に重いも軽いも無いだろうに。

「皆でお洗濯したのよ? 皆で服綺麗にして気持ち良くしてもらおうって……。」

 その行動の矛盾に気づかないナナミに行き場のない思いが募る。

 ……綺麗な服でどこに送り出す? 一番死に近いあの場所へだろう?

「約束、したんだよ……? ……なんでぇ……? 酷いよ、そんなの……。」

「……そうだな。」

 優しくない心が牙をむいて、少女の心を傷つける言葉をつむいでしまう。小さく、だけどとてもイタイ。

「……俺が死んでいれば良かったな。」

「え?」

 もし死んでいたのが自分なら、この小さないざこざも少しは何かの書物に残っただろうに。あの身よりもないあの傭兵の死を一体誰が後世に伝えてくれるのだ。

「やだっ、何言ってるんです、か?」

 少女は表情の選択をしかねて、冗談と笑い飛ばしたいのにフリックは無言で瓶から直接酒をあおる。

「……やめてよ……。そんなこと言わないで。」

「……お前にはあいつのことなんてわからないよ。」

「……なにそれ。」

 いつだって回りに愛されている少女。

 笑顔で無邪気で、自分がどんなに幸せかまるでわかっていない。

 忘れ去られる恐怖。どれだけあいつがそれに怯えていたか、この少女にわかる訳がないんだ。

「……悪い、帰ってくれないか。」

「待ってよ、フリックさん、なにそれ……。」

 頭の中混乱していて、それでも何か酷いことを言われたことだけはわかってしまって、でもどうすればいいのかわからなくて。

 途方にくれているナナミを突き放すように、フリックはもう一度言った。

「……帰ってくれ。」

「…………っ。」

 何か言おうと口を開きかけ、言うべき言葉を見出せずナナミは踵を返して走り出した。

 去っていく足音。自分が何をしたかわかっていながら、体が重くて追いかけていけない。

 

 ナナミという存在がなんだか無性に許せなかった。

 わかっている。自惚れと八つ当たりと傲慢。だけど。

 歴史という名の残酷な生き物の中で特別になり得なかった彼が、何の気まぐれかそれに愛され中心に据えられてしまった少女に同情されたらあまりに哀れではないか。





「……チクショウ。」

 苛立ちのまま残った酒を一気にあおろうとした時、コンコンと開きっぱなしの扉がノックされた音が響いた。

「ちょぉっといいですか、フリックさん。」

「……何のマネだ、ビクトール。」

 扉によりかかって皮肉げに口角を引き上げている図体のでかい相棒に冷たく言う。笑顔に似ているが目は笑っていない。

「いやねぇ? 偶々通りかかったらちょっと耳に入っちゃいましてね。」

 ビクトールは軽く勢いをつけて扉から離れるとマイペースな足取りでフリックに近づいた。

「……それで可愛らしいお嬢さんが泣いて走り去るのとか見ちゃったらそのまま通りすぎるなんて出来ないじゃないですか?」

 言うが早いかビクトールはフリックの胸倉を掴み上げて容赦なくその頬を打ちぬいた。

 大きな音を立てて椅子や机を巻き込んでフリックの体が飛び、地面に転がった。

「……っくぅ……!!」

 その地面に転がる男を見下ろして瓶に残っていた酒を頭にかけた。

「目ェ覚めましたか、フリックさん。……お前の気持ちもわからんではないけどな。」

 ビクトールは倒れたフリックの上にまたがって座り込むといきなりその胸倉を掴んで顔を引き寄せぶつかりそうな距離でその瞳を射貫いた。

「頭を冷やせ、馬鹿野郎が。あんなガキ泣かせて面白いか。」

 純粋な怒気がフリックを打つ。

 フリックは頬の熱さに酔いながら、視線を逸らして小さく聞く。

「……なぁ。」

「あ?」

「……ディルゴの死は……、……何の為だったんだろうな。」

「……あいつは傭兵だ。覚悟してただろうさ。」

「だけど……!」

 食って掛かるフリックの視線を真正面から受けとめて、ビクトールは深く静かな声で言った。

「……あいつが選んだ生き方をお前のちっぽけなプライドの為に価値を決めるな。」

 フリックの体から、ふっと力が抜けた。ビクトールが手を離すとそのまま後ろに倒れこむ。

「……悪い。」

「言う相手が違うだろうが。」

 ビクトールがフリックの体から退きながら言う。

「…………悪い。」

 片手で自分の顔を隠しながらもう一度呟かれた言葉にビクトールは苦笑し、その体を揺さぶるように蹴る。

「……行って来いよ。許してもらえるかわからないけどな。」

 その言葉にフリックが小さく苦笑する。

「この格好でか?」

 頬は思いきり殴られたせいで酷く熱いし服は酒でびしょびしょな上酒臭い。

「間違いなくナナミに嫌われる気がするんだが。」

「今のお前にはそれが似合いだよ。」

 ビクトールも吹き出しながらフリックの手を掴んで引き起こした。

「ったく、手加減なしに殴りやがって。」

 でもどこか晴れ晴れした顔でフリックは立ち上がった。

「……行ってくる。」

「あいよ。」

 走り出した背中にビクトールは手を振った。

「ったく、どっちがガキなんだか。」

 このいつまでも直らない青さが今日の夜には笑い話になることを祈りながら。





 ナナミは1人人の寄り付かない木陰に座って膝を抱えていた。

 混乱していた。

――「……俺が死んでいれば良かったな。」

「……なんでそんなこと言うかな。」

 急にあんなに優しかったあの人が急に遠くなってしまった気がした。あれは、多分拒絶だったのだと思う。

「……私、何かしたかな。」

 自分が結構鈍感なことは知っている。お喋りで余計な一言を言ってしまいがちなことも。だけどこの城の人達はやさしくて、いつも笑って許してくれたり、優しく嗜めてくれたりしたから。

「……嫌われちゃったかな。へへ、参ったな。」

 目頭が熱い。笑おうとしたら顔は奇妙にゆがんで涙が一つこぼれた。

「……参ったな。」

「……ナナミお姉ちゃん?」

「どうしたの? 泣いてるの?」

 ふと木の根元を覆っている茂みから子供達が顔を出した。

 隠れ場所の選択に謝ったことに気づく。大人の知らないこの場所は子供達の格好のかくれんぼの隠れ場所なのだ。

 一緒にディルゴの服を洗濯した子供達だった。過剰にあわ立てた石鹸の泡で顔も体も泡だらけにして。

 ……もう、いない人の為に。

 考えたらまた頭の中が熱くなった。

「……ナナミ姉ちゃん?」

「ごめん、何でもないのよ。それよりどうしたの?」

「どうしたのじゃないだろォ。ディルゴ兄ちゃん見つかったのかよ。」

 体格のいい男の子が怒ったように言った。その言葉にナナミの体が強張る。

「……ディルゴさんは、ね……。」

 なんて言おう。何が言えるだろう。

 期待に満ちた目で自分を見つめるこの子達に。

 ……あぁ、ちょっとだけフリックさんの気持ちわかっちゃったよ。

 この瞳に一体何が告げられるだろう。一体なんて伝えれば言いのだろう。

 こんなこと言わせるその瞳に苛立つ自分を感じてしまって。

「……ディルゴさん、ちょっと遠くに出かける用事が出来ちゃったんだって。」

「えぇ!」

「せっかく洗ったのにぃ。」

「いつ帰ってくるの?」

「……うん。ちょっと、ううん、しばらくかかるんだって。だから、なかなか、……帰って来れないんだって……。」

 もの凄く罪悪感を感じた。だけど、言えない。

「そんなぁ。」

「つまんねぇの。」

「ごめんね。……ごめんね……。」

 限界で俯く。肩が震えるのを押さえきれない。声が震え出す。

 見て見ぬ振りなんで出来ないお年頃の子供達の1人が下からナナミの顔を覗きこんだ。その頬に暖かい液体が落ちる。

「……ナナミお姉ちゃん? なんで泣いてるの?」

「大丈夫? どこか痛いの?」

「違うの、ごめん、……ごめんね。」

「ナナミお姉ちゃん? お腹痛いの? 頭? ホウアン先生呼んで来ようか?」

 小さな優しい手が少女の体を揺さぶった。

 その時後ろの茂みががさっとゆれて優しい声が降って来た。

「大丈夫だよ。大丈夫だから、みんなちょっと向こうに行ってくれるか?」

「フリック兄ちゃん!」

 ナナミの体が微かにゆれた。

「あのね、ナナミお姉ちゃん泣いてるの、なんかねなんかね……。」

「うん。大丈夫。わかってるから。ほら、広いところで遊んで来い。」

「はぁい。」

 子供達は気遣わしげにナナミに視線を残しながらそれでも素直に従って去っていった。

 フリックは何も言わずナナミの隣に腰を下ろした。

 優しい風が吹きぬけて葉ずれの音がさらさらと耳に心地よい。木漏れ日がキラキラと落ちてくる。

「……いい隠れ場所だな。」

 ナナミは答えない。

「……あいつらの仲間に会わなかったら見つからないところだったよ。」

「…………ったよ。」

「ん?」

「……言えなかった。」

「……あぁ。」

「言えなかったよ、私……。」

 フリックは実は木の陰でその話を聞いていて。

 酷く、胸が痛んだ。

 細い肩を震わせるこの少女に一体どんな言葉をかければいいのか。己の苛立ちのまま酷い言葉を叩きつけてしまったこの少女に。

「……ナナミ、あの、……さっきは悪かったな。」

「…………。」

「……八つ当たりなんだ。本気じゃない。」

「……なんで?」

「ん?」

「何であんなこと言ったの?」

「……それは、……一言で言うのは難しいな。」

 少女の質問はいつもストレートで、そんなに真っ直ぐでいられない大人になってしまった自分を嫌と言うほど感じて嫌になる。

「……傭兵って言うのは、結構使い捨ての道具っていう部分があってな。いや、やけになってるわけじゃない。聞いてくれ。」

 何か言いかけたナナミを優しく押さえてフリックは言葉を続ける。

「傭兵は基本的にその軍に義理を持たない。だから契約さえ終わればその後は条件のいいところに移っていく。例えその敵軍だろうとな。」

「……うん。」

「その代わり誰も生活の保証をしてくれない。自分の腕しか頼るものはない。自分が弱ければ誰も助けてくれない。その先には死しかない。皆それを覚悟している。その覚悟がなきゃやっていけないんだ。」

「……なんでそんな生き方するの?」

「……自由。それと……。」

 スリル。

 言いかけた言葉は目の前の少女に軽蔑されてしまいそうな気がして口の中に消えた。

「……駄目なやつっているんだよ。平穏な世界じゃ生きていけないやつが。命を危険にさらしてないと、……生きてる実感が沸かないやつが。」

 ディルゴが、そうだったように。

「……ようやく奴、そこから出て普通の人間のように暮らすのもいいかもしれないって思えるようになれたんだ。」

 あの生き方は自由だけど、だけど時々酷く不安になるから。

 帰るべき場所。ないだけで人はこんなに弱くなれる。

――「いつか、この戦争が終わって平和になった時。……好きな女と所帯でももってあんな嬢ちゃんみたいな娘と静かなところで暮らすのも悪くないかもなぁ。」

「照れくさそうに、だけど嬉しそうに言ったんだよ、あいつ。」

 こんな世界から抜け出せるなら、それに越したことはない。

「……そしたら祝福を送ってやろうと思ったんだ。よかったなって、言ってやろうって思って……。」

 自分には選べない道だから。だから。

 感情が高ぶって、フリックは俯いて目元を覆った。

「……なんで死んじまうんだよ。馬鹿野郎が……!!」

 ナナミは膝立ちしてフリックの体を覆うように抱きしめた。

「……チクショウ。……チクショウ……!!」

 イタイものから庇うように優しく抱きしめて、そっとその背中を撫でた。

「……あんな死に方ねぇじゃないかよ。あんなちっちゃいいざこざじゃ英雄にもなれねぇよ。」

「……うん。」

 ナナミの服に縋りつくように指を食い込ませた。

「命はって戦ったのに、誰にも覚えてもらえねぇなんて、そんなんありかよ。そんなの、……虚しすぎるじゃねぇか……!!」

「…………うん。」

 堪えきれない嗚咽に、ナナミも涙ぐみながら頷く。

「……チクショウ……。」

「……私は、私は忘れないから……。」

「……ナナミ?」

 抱く手に力がこもった。

「私は忘れないよ。スズメに力を貸してくれた人だもん。……スズメがそんな1人1人覚えてたらきっと心が壊れちゃうから、だから私は忘れない。私が全部覚えてる。」

「……あぁ。」

 ナナミの温もりがゆっくりフリックに溶けていく。

「……私はずっと覚えてます。顔が怖かったのも、でも笑うと優しかったことも。全部覚えてる。だから、フリックさんももうあんなこと言わないでね。」

「……悪かったよ。」

 ゆっくりと瞼を閉じながらナナミに持たれかかるように力を抜いて、その言葉はするっと出てきた。

「……心臓止まるかと思ったんだから。」

「怖がらせたな。悪かった。」

「……その顔どうしたの?」

「ビクトールに殴られた。」

「ビクトールさんに!?」

「あぁ、お前泣かせたから。ったく、あの野郎全然手加減しねぇんだから……。」

 ナナミがクスクスと笑う。

「痛かったでしょう。」

「すげぇ。……なぁ、ナナミ。」

「ん〜?」

「……ディルゴの服、お前が持っててやってくれるか?」

「……私でいいのかな。」

「あぁ、……多分あいつも喜ぶと思う。」

「……うん。」

 ナナミが小さく頷いたのがわかって、心の中にいるディルゴがようやく笑ってくれた。 そしたらフリックは張り詰めていた気が抜けていくのを感じて張りのない声で小さく呟いた。

「おい、ナナミ。……ちょっと、膝、貸せ……。」

「は?」

 フリックの体がずるずると滑り落ちてナナミの膝にその頭が納まった。

「フリックさん?」

「わりぃ、……ちょっと、寝かせてく、れ……。」

「……フリックさん?」

 名を呼びかけたが帰ってくるのは健やかな寝息だけだった。

「……何それ。」

「寝かせてやってくれや。」

「あ、ビクトールさん。」

 今日は随分良くこの隠れ家が発見される日だ。他の隠れ家を探さなければと思いながらナナミは茂みから顔を出した男に呼びかけた。

「フリックさん殴ったんですって?」

「なぁに、ちょっとじゃれただけだよ。」

「それでこれですか?」

 真っ青にはれたフリックの頬を指差しながら笑う。

「こいつが軟弱なんだよ。ったく気持ちよさそうに寝やがって。」

 そう言って側に座り込むとフリックの鼻をつまんだ。フリックの眉が苦しそうに歪む。ビクトールがそれを見て子供みたいに笑った。

「……昨日寝てないんだよ、こいつ。」

「……ふぅん。」

「ったく、いつまでたっても青くてしょうがねぇや。」

「それがフリックさんだもん。」

「どっちが年上なんだか。」

 顔を見合わせて小さく笑った。

「……ま、しばらく酒の肴には困らないねぇな。」





「で? どう言うことなんですか? フリックさぁん。」

「いや、だから、だな。とりあえず落ちつけスズメ。」

 その夜、一部始終を聞いたスズメと、蛇ににらまれた蛙のように脂汗をだらだらと流すフリックと、それを見て腹を抱えて笑っているビクトールどこから沸いたのかとても楽しそうにニコニコと見学している元赤騎士団長の姿が酒場にあったそうである。

 



from Crazy*3