いつだって僕のお姉ちゃんは崩れ落ちそうな不安と戦っていた。



 僕のお姉ちゃん



 僕のお姉ちゃんは綺麗だ。贔屓目でなくそう思う。

 容姿がどうのというのではない。もちろん可愛いと思うけど。だけどそうじゃなくて。

 一人道場で型をなぞる彼女を見たことがあるのなら誰だってそう思うと思う。

 早朝、道場の入り口に持たれかかって1人で鍛錬にいそしむ彼女の姿をボーっと見ていた。

 戦っているナナミは綺麗。

 緩慢な動きに見えて一分の隙もない。静と動、全てその細いからだの中にあって生きる力がキラキラ光る。

 目が好き。真っ直ぐと前を見つめる瞳が好き。迷いのない眼差し。なんて綺麗。

 小さい時からずっとこの瞳を見てきた。

 ……まだじいちゃんが生きていて、あの時が永遠だと思っていたころ。僕達はよくいじめられていた。

――「やーいやーい。親無しッ子ォ。」

――「知ってるか? あいつら邪魔で捨てられたんだぜェ。」

 傷つかなかったと言えば嘘になる。親が僕等を捨てた本当の理由を知らなかったから、反論の寄る辺になるものもなくただ言われっぱなしだった。

 彼らに反抗できたのは姉の不条理な暴力だけだった。ナナミが両手を振りまわして追い掛け回す。それだけで彼らは何らかの恐怖を覚え逃げていった。

――「何か嫌なことされたらお姉ちゃんに言うのよ。お姉ちゃんがとっちめてやるから。」

 子供だった。だからってどうしてあんな言葉を信じる事が出来たんだろう。

 ナナミだって傷つかないはずがなかったのに。怖くないわけなかったのに。瞼を落とした。眉根に力が入る。

 男の身勝手なところだ。自分の先天的な力に気づかずに知らないうちに力ない女を怯えさせている。力で敵わぬことを本能に近いところで理解し始めたナナミは自分の鍛錬に力を注ぐようになった。力で敵わぬことがばれる前に本当の強さを身につけなければならない。ナナミを強くしたのは僕達の存在だった。痛ましい。そんな感想を弟が持っているなんて知れたら一瞬顔を強張らせたあと、道化じみた怒りを振りまわすのだろうが。

 ナナミの手が、足が空気を裂く音が心地よく響く。

 ナナミは強い。だけど本当は僕の方が強い。

 いつのまに抜いてしまったんだろう。これは僕達のタブー。触れちゃいけない認めちゃいけない。

 父のいない僕には超えるべき相手が居なかった。義父はいたがやはり年齢的にじいちゃんはおじいちゃんだったし、超えるにあの人は偉大過ぎてその目標になり得なかった。

 どうしても目標はナナミだった。ジョウイを超えるべき相手に設定するのはやっぱり悔しかったし。あいつとは対等でいたかったし、今でもライバルだと思っている。僕の「上」にいるのはやっぱりナナミで、そしてあっさり抜いてしまった。

 幸い技術的な腕の立つ人も頭脳がずば抜けて良い人も人格的に優れている人もこの城にはたくさん居る。良質な師匠に恵まれたと心の底から思う。

 だけど違うのだ。何がと言われれば困る。だけど違う。

 あんな人達になりたいと思う。目標でもある。だけどそれは純粋な憧れであり憧憬であって屈折した感情は存在しない。

 僕のとって超えるべきはナナミであって、それは超えたいけれど超えることへの恐怖もあって、だから超えてしまったことを認められないタブー。



 ナナミの弱さを誰より知っているのは僕。誰より認めたくないのも僕。



 この城に来てどれくらいだったろうか。たしかジョウイが敵となったことが明らかになってから。ナナミが僕の前で泣いたことがある。

 軍議を覗いてしまったらしい。「ジョウイ」は「敵」の総称となり、彼を倒す為の大人達の冷酷な話し合いは彼女の心に衝撃をもたらした。だから来るなっていったのに。

 会議は長引き夜遅く部屋に帰った僕をナナミはベッドの上で膝をかかえて向えた。

「……ナナミ。起きてたんだ。」

「…………。」

「夜更かしすると明日辛いよ? あんまり慣れてないんだからさ。」

 凝った首筋や肩を回して伸びなどしながら言ったが不自然に返事がなくて。

「……ナナミ?」

「……ジョウイ……。」

 ぽつんと、広すぎる部屋に空しくその言葉が響いた。

 涙をたたえた頼りない瞳で僕を見てお姉ちゃんじゃないみたいな声で言った。

「……ジョウイ、もう、敵なんだね……。」

 言った瞬間大粒のそれが宝石みたいに零れ落ちた。

「……ナナミ……。」

 ベッドに肩膝を乗せるとギシっときしんだ音を立てた。肩に手をかけると崩れるように僕に縋ってきたナナミ。女を匂わせて胸が苦しかった。

「……なんでかなぁ。何でこんなことなっちゃったかなぁ。」

 抱きしめるとその肩は驚くほど細く泣きたくなった。

「……もう、……もう昔みたいに戻れないのかなぁ……。」

「……大丈夫だよ。」

 根拠などないくせに思わず口走った。だって言ってあげたかった。

「大丈夫だよ、ナナミ……。」

 ぼろぼろと零れ落ちる涙を親指で拭ってやる。

「大丈夫だよ、大丈夫だから。」

 僕の腕の中のお姉ちゃんは頼りなくて、僕を守ってくれたお姉ちゃんがそこには居なくてどうすればいいのかわからなくて戸惑った。

「大丈夫だよ。」

 ナナミの頬をぬらす涙に唇を落とした。初めて僕等は男と女になったのだと思う。

「平気。僕ジョウイ絶対取り戻すからさ。」

 もし、僕等が捨て子じゃなかったら。

 そんなことを考えていた。

 もし、僕等のそれぞれ親が居て、実は親同士が仲良くて近所の幼馴染だったりしたら僕達はどんな関係を築いただろうか。お節介やくのが鬱陶しくて喧嘩ばかりしていたかもしれない。そのくせ先に大人になってしまう少女に焦りに似た思慕を募らせたかもしれない。

 あるいはもしかしたらナナミが貴族のお姫様で僕はその家来の息子だったら。彼女を守る為に己を磨いただろうか。彼女を貰いうける為に出世に励んだかもしれない。

 でも、きっと。

「大丈夫。また元通りの3人に戻るんだ。」

 きっと、きっと今よりそれは幸せではないから。

 義姉と弟。それ以上になることはなくても無くすことに怯える必要はない。

 だから僕は弟して涙を拭いつづけた。





「あれ? スズメいたの?」

 一通り型を終えたらしいナナミが僕に気づいた。

「うん。なんか目が覚めちゃってさ。」

「ふぅん。久しぶりに手合わせでもする?」

「いや、いいよ。それより今日午前中なら時間取れそうなんだ。どっか行かない?」

「ホント! 行く。行く行く。」

 ナナミは嬉しそうにはしゃいで腕を絡ませてきた。

 ……あの日以来ナナミは僕の前で泣こうとはしない。

「ねぇ、スズメ。この前サウスウィンドウ行った時すごい可愛いカップ見つけたんだ。おそろいで買おうよ。」

 今だって辛い事に変わりはあるまい。あの時より事態は悪化しているのだから。

「すっごい可愛かったんだよ。パステルピンクなの。」

「僕にピンクの使えって言うの?」

 溜まりかねた心労はどうやら僕以外の誰かに漏らしているらしい。

「平気。だって可愛いもの。」

「理由になってないよ。」

 ナナミの心の中に僕以外の誰かが住み込み始めるのはあまり面白くないのだけれど。

「……ジョウイの分も買っておこうか。」

「うん!! 私着替えてくる。まってて。」

 軽い足取りで走り出したナナミの背を見送った。



 誰よりも優しく誰よりも愛しい。

 お姉ちゃん。

 ナナミは呼んで欲しがるけど複雑な感情を僕の胸に呼び起こすからあまり口に出来ない。

 乗り越えてしまったものへの寂寥。女である彼女への憐憫。それでも勝りある愛情。

 誰よりも誰よりも大切な僕の。

「……お姉ちゃん。」



 ――ほら。こんなに胸が痛い。

 



 


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