花井梓は困っていた。

 今は期末試験前で、じりじり照りつける太陽の下教室に閉じこめられて、テスト前の追い上げが行われている時期だ。テスト前期間と言うことで強制的に部活は中止させられる。中学の時には有り難かったこの期間が今はなんて辛い。早く体を動かしたい。現在進行形で体がなまっていくことが耐えられない。少しでも練習を重ねたいのに。

 なんて、高校球児らしい悩みもあるのだが一旦さておいて、花井梓は困っていた。

「…………はぁ」

 それは近くの席で大きな大きな溜息をつく我らがマネージャー篠岡千代の存在だった。

 授業中寝てばっかりでろくにノートを取ってなかった水谷にノートを見せてやり、ちゃっかり横から阿部もそれを書き写していたりというよくある光景なわけだったが、近くの席の篠岡さんの溜息に皆気もそぞろだ。

「おい」

 小さい声で阿部がささやき、目線はノートなまま小さく顎をしゃくる。頬杖をついてぼうっと外を眺めやる篠岡の姿を横目で捉えつつ、花井も阿部に顔を近づけて囁き返す。

「俺かよ」

「お前だろ」

「お前が聞けばいいだろ」

「いや、やっぱキャプテンの仕事だと俺は思うね」

「お前は心配じゃないのかよ」

「気になるからお前に聞けって言ってるんだろ」

「自ら動け、自ら。つか、水谷、お前行け」

 ノート貸してやってるだろ。

 恩に着せて聞かせようとしたら、阿部様ストップがかかった。

「駄目だ」

「なんで」

「根本的にこいつのやることが信用できない」

「ヒドッ……!!」

 水谷がそれは酷いよ阿部とか騒ぎ出したので、あぁこれはもう無理だなと諦めて花井がおそるおそる篠岡に近づいていった。

「あ、あのな、篠岡」

「ん? あ、なぁに、花井君」

 あれほど脇で騒いでいたというのに本当に気がついていなかったらしく、出会ったときよりずっと日に焼けた少女は、ごくごく普通に振り向いた。

「あ、あのさ」

「プロテインならまだ在庫あるから大丈夫。牛乳はテスト期間終わったら買いに行っておくから」

「あ、ありがとう。いや、そうじゃなくてさ」

「ポカリもまだあるよ」

「いや、それでもなくて」

 歯切れ悪い主将の言葉に篠岡はやっと変な感じに気がついて首を傾げた。

「どうかしたの? 花井君」

 それはこっちの台詞です。

 心の声を篠岡は全く汲み取ってはくれず、仕方なく言葉を継ぎ足した。

「ええと、篠岡。何か悩みでもあるのか?」

「え?」

「さっきからずっと溜息ついてるけど」

「あぁ、うん。ねぇ」

 ねぇと言われても。

 諍いを止めてこっちの会話を聞き始めた阿部や水谷と目を合わせる。

「いい天気だよねぇって思って」

「え? あぁ、そうだな」

「それに気づいた? 今朝ちょっと地面が濡れてたの」

「え、そうだったか?」

 部活がない日の天気など大して興味がない。阿部は怪訝そうな顔をする。

「夜のうちに雨降ったんだよ、きっと」

 それが本当に大問題といった顔をしてもう一度大きく溜息をつく。その雨が、今まで部員に見せたことないような物憂げな表情の原因なのだろうか。

「あのぉ、篠岡さん? 本当にどうしちゃったの」

「どうしたのじゃないよ、水谷君」

 篠岡は本当に心の底から嘆くように、、それこそ明日日本が滅びるかのような口ぶりで宣った。





「……グラウンド、雑草が……」







 人が踏み固めていない地面は雑草が生えやすい。いくらあちこち走り回っているとはいえ、若干10名の新設野球部では限度がある。これだけの日照りで、水分まで与えてしまったとなってはきっと雑草は生き生きと生えてきているところだろう。篠岡の脳裏には青々と茂った草原がまざまざと浮かんで見えていた。

「ざ、雑草……?」

「絶対また生えてるよ。こんなに長い間草取りしてないの初めてだもん」

「あ、あぁ、確かにそうかもな」

 体力回復の為に昼食を取ったら即昼寝の自分たちとは違い、マネージャーは何時も教室から姿を消していた。部活の時間に自分たちが練習に集中できるように、使われていない昼休みにこつこつと草を取っててくれているそうだ。申し訳なく手伝おうと申し出たこともあるが、これは私の仕事だからときっぱりと断られた。

「ホント、なんでこんなに長いの試験期間。グラウンド酷くなっちゃうよ……」

 困り果てたように再び大きく溜息をつく。

「早くグラウンドに帰りたい……」

 がっくりと肩を落とすマネージャーに男三人そんなことだったのかよ、別の意味でがっくりする。

「あ〜、まあ、篠岡はマネジの鏡だと常々思ってたよ、うん」

 阿部がどうでも良さそうに呟いた。あとのフォローはキャプテンの役目だ。もう興味ないとばかりに再びノートに視線を移す。勝手に後を託されてしまった花井は落ち込んでいる篠岡をそのままに出来ず、かといって野球ばっかりやって来た野球少年に、女の子を元気づけるようなテクニックなどありはしない。

「えっと、篠岡。よかったら俺ら今日の帰りちょっと手伝おうか? ほら、どうせ俺ら今日練習ないから体力削るとか心配いらないしさ!」

 水谷ナイスフォロー。流石だ、水谷。

 花井は内心で喝采を叫びそれに乗っかる。

「おう。俺もやるよ。俺も気になるしさ」

 しかし、その提案も篠岡の深い深い溜息で遮られる。

「……この前ちょっと草取りに行ったら、志賀先生に怒られたの。今はちゃんと切り替えなさいって」

 もう一度溜息。

「もう一度草取りしてるところ見つけたら暫く休部させるって」

「……流石だね、シガポ」

 言われたときのことを思い出したのか、しょんぼりとしてしまった篠岡の肩をぽんぽんとたたいてやる。



「とりあえず今はテスト頑張ろうぜ」





 ありきたりな慰めの言葉に、素直な少女はうんと答える。

 本当にマネジの鏡だと、俺も常々思ってた。