過去にあった未来





 その日、星は怖いほど美しかった。

 ナナリーは何気なく見上げたら目がそらせなくなって、首が痛くなるまでずっと見上げていた。

 この日、一行は町までたどり着けず、川の傍の野原で野宿する事になった。夕食も終え、交代で見張りを立て、残りの面子は眠りにつく事にした。疲れが出たか、すぐに皆夢の世界に旅立って行った。

 今はナナリーの番だった。

 少し冷える。ナナリーは集めておいた枯れ枝を火にくべた。もうすぐ交代の時間になる。次の人のために湯を沸かしておこうと鍋に水を入れて火にかけた。

「……やっぱり暑い気候の方が私にはあってるかね」

 行き倒れていた二人の男を拾ってから、あまりに状況が目まぐるしく変わっていった。

 あのトラッシュマウンテンを超えて聖地カルビオラに乗り込んで神団に喧嘩を売ったり、10年前の時代に来て見たり。

「……なんだかなぁ」

 思わず苦笑する。現実離れしているにも程がある。

 元の時代に戻ったら報告することが多すぎるなと考え、ふと笑みが凍る。

「ルー……」

 納得したはずの死。自分たちで選んだはずの死。

 わかっているのに、時折強い揺り返しが来る。

 その度に、あの場所に行って何度も何度も問い返す。

 私間違ってないよね。

 私たち、間違えなかったよね。

 だけど、ここにあの場所は無くて。

「……ルー……」

 脳裏の弟の笑顔は、今はただ辛い。





「……ん〜、ぁ……」

 その時、眠りから覚める小さな声がした。

「……ロニ……」

 口の中で呟く。

「おー」

 大きく伸びをしながらむくりと起き上がる。

「今日は冷えるなぁ。さっみーわ」

「あ、今お湯沸かしてる。もうちょっとと待って、お茶入れるよ」

「いや、自分でやるよ。もう交代の時間だろ? お前は寝ろや」

 あくびを手で隠してナナリーの近くに歩み寄り、毛布をばさっとナナリーの肩にかけた。

「……眠そうだね」

「今日のモンスターは手強かったからな。流石に疲れたよ」

「もうちょっと寝てていいよ?」

「は?」

 訝しげにロニが問い返す。

「なんか、今あまり眠くないんだ。見張り代わるからさ。もうちょっと寝てなよ」

「ばぁっか。このロニ様が女に見張りやらせて寝てられっかよ」

「へ〜。あんたが私を女と認めててくれたとは意外だね」

 憎まれ口をたたいてくすくす笑う。

「でも、平気だからさ。いいから寝てよ。本当に眠れそうに無いんだ。だったら少しでも役に立てた方が、ね?」

 沸いたお湯に手を伸ばして、茶の準備をしながらナナリーは言う。

「今お茶入れるからさ、飲んだらもう一回寝て」

 慣れた手つきで茶を入れる。少し苦味の強いこのお茶は、だけど寒い夜には体をよく温める。

「はい」

「……どうも」

 ナナリーに手渡されたカップに口をつける。

 暫し、沈黙が落ちる。二人が黙ってしまえば辺りはとても静かで、火のはぜる音が余計に静けさを強調した。

「……ナナリー」

「ん?」

「……眠れないのか?」

「…………」

 つと目を逸らす。横顔に視線が突き刺さるのを感じる。

「なんかあったか?」

「別に?」

 早く茶を飲み干して、眠ってくれないかな。そう思う。

「おい、ナナリー」

「なんだい?」

「こっち向けよ」

 やだよ。

 咽喉がこわばって、声が出なかった。





 この男が嫌いだった。

 ちゃらちゃらしてて、女を見るとすぐへらへらして、軽くって仕方が無い。

「おい、ナナリー」

 よく通る声。

「返事しろよ」

 肩を掴んだ、その筋肉の流れ。

「ナナ……」

「なんでもないってば」

 これ以上触れられたくなくて、思わず声をあらだてて手を払いのけた。その瞬間に後悔する。驚きに見開いた瞳に、自分が傷つく。

「……ごめん」

「……どうした。らしくないぞ」

「……駄目だね。情けなくって」

 ナナリーは恥ずかしくなって右手で眼を覆った。

「こんなんじゃ、あいつに笑われちまう」

 声が震えている事に、ロニだって気がついていただろうに、彼はただ静かに尋ねた。

「……何があった?」

「……駄目なんだ。こんな静かな夜とかさ。どうしても、……思い出しちゃって」



 脳裏に浮かぶあの笑顔。

 最後まで自分たちらしく生きようと決めたあの決断を、もうちょっと譲れれば、今だって私の目の前にあったんじゃないかって。

 ちっぽけなプライドのために、私は失わなくていいものを手放してしまったんじゃないかって。



「だってさぁ、ロニ」

 乾いた声、妙に疲れていて、口元に浮かんだ笑みがかえって痛々しい。

 ナナリーは拙い言葉を必死に紡いだ。

「生きてるんだ、ルー。この時代、たった今、あの子生きてるんだ」



 灼熱の太陽が地を焼くカルバレイスの大地。あの熱い日差しの下で、背負って歩いたあの子の重み。

「生きてるんだ、あの子。生きて、笑って、今頃はきっと眠って……。あの小さな体で必死に生きてる」

 何時か止まってしまうあの心臓の鼓動を背中に感じて、こぼれそうになる涙を唇噛んで必死に堪えたあの日。

「会いたい……」

 会って、助けたい。助けられる命が、海の向こうに待ってる。

 その命を助けられるエルレインを止めるために10年前にやってきたというのに、自分の行動も信念すらも否定して、彼女にすがりたがる自分がいる。

「……ずるいよね、こんな力。取り返しつかないから私はあの子の死を認められたのに。……ずるいよ、もう一度やり直せるなんてさ」

 きつく唇をかむと、口の中に鉄の匂いがじわりと広がった。

「ごめんね。私がずるいよね。みんなせっかく頑張ってるのに、こんなの考えるの裏切りだよね。わかってるんだけどさぁ……!」



 ナナリーが両手で顔を覆い俯くと、きれいに伸ばされた髪がサラリと落ち首が見えた。

 その首の細さに驚く。

 かすかに震えているのが可哀想で、ロニは思わず手を伸ばした。 

「……泣けよ」

 肩に手を置く。その薄い肩に全てを背負おうとしてしまう。

「泣いて、いっくらでも考えればいいよ」

「駄目だよ」

 頑なに、許しを拒むその娘。

――一度、墓に向かって手を合わせ、身の周りに起きたことを弟に報告する姿を見てしまったことがある。

 日頃の凶暴さなど全く見えず、優しく今はいない弟に語りかけるその姿は、ひどくむごい。

「駄目だよ。こんなこと考えちゃいけないんだ。わた、私は、エルレイン、やだからここに……」

 もう、息を操れない。話の途中息を吸っては、どもって言葉が引っかかる。

 堪らなくなって、細い体躯を引き寄せた。腕の中に捕らえた温もり、逃がしたくなくてしっかりと抱きとめる。。

 頭を撫でてると、小さな腕が、自分のシャツを握ったのを感じた。

「泣くなよ」

 耳元にぼそっと呟かれた。

「泣けって言ったのはどこのどいつだい」

「あ〜、そうなんだけどさ」

 参ったな。

 手触りのいい髪をいじりながら困る。

「泣けよ。泣いていいよ。だけどお前が泣いてると調子が狂うっつうか、らしくないっつうか、……やなんだよ」

 気を取り直すように一つ息を吐き、気持ちを整えたあと、ロニは静かに言った。

「……泣けばいいよ。いくらでもそういうこと考えればいいさ」

「……駄目だよ……」

「いいよ。どれだけ泣こうと、どれだけ裏切るようなこと考えようと」

 そこで彼は言葉を区切り、少女の頭を自分の胸に押し当てた。

「お前は最後の最後で決断を間違えたりしないよ」

 間違えることができたのなら、この少女の人生はもっと楽なものになっただろう。

 それを不憫に思いながらも、だがその強さに強く惹かれる。

「お前は大丈夫だよ。俺は知ってる」

「買いかぶらないでよ。自信ない」

「そしたら俺が、……俺たちが止めてやるよ。だから安心して泣けばいいさ」

 そこでくすっと笑う。

「大丈夫だよ、誰にも言わないでいてやるから。男女のナナリー姐さんが、わんわん泣いてただなんてさ」

「うるさいよ」

 ナナリーは照れを隠すようにシャツを強く掴んで顔を押し付けた。

 ロニは、胸の中の少女が泣き止むまで、何時までも何時までも髪を撫で続けた。







 次の日の朝。

「……い、……二、おい……」

「んぁ〜?」

 誰かに肩を揺さぶられて、ロニはゆっくりと瞳を開ける。そこには、もうめっきり見慣れたジューダスの仮面があった。

「……あんだよ。まだ薄暗いじゃないか」

 太陽はまだ地平線の向こうにあって、まだ一日を始めるには少し早そうだ。

「見張りが堂々と眠っていて文句を言うな」

「……あ、わり……。そうだ、俺……」

 見張りをしていて、いつの間にか眠ってしまった。

「火、起こさないと……、……あれ、消えて無いじゃん……」

 目をしばたかせながら、火を保ち続けている薪を見て驚く。

「……僕が、見張りを代わっておいた」

「なんだよ、妙に優しいじゃねぇか」

「だから、二人が起きる前にそろそろそれをどうにかしろ」

「あ?」

「見られてもかまわないなら別にいいがな」

「……っだぁ……!!」

 寝ぼけていた頭が一気に稼動した。

 自分の胸にはあどけなく眠りこける少女の姿。しなだれかかるその姿は、誤解を招くに十分だった。

「ち、ちがう、違うんだ、ジューダス。これには深いわけが……!」

「知ってる。騒ぐな。皆が起きるぞ」

「へ? 知ってるって……」

 胸の中で眠る彼女を起こすべきか起こさないべきか、迷って肩に手をかけたまま、ジューダスを見上げる。

「誰にも言わないでいてやるというからには、その姿をあの二人に見られるわけには行かないんじゃないのか?」

 顎でまだ眠りの世界にいるカイルとリアラを指し示す。

「おまっ、な、なんで、それ……!」

「内緒の話をしたいなら、もうちょっと声を落とすべきだな」

 ジューダスはにやりといやぁに笑っていった。





「俺が止めてやると断言すれば、格好がついたものを」





 何やら絶叫が聞こえて目を覚ましたカイルとリアラは、朝っぱから真剣振り回してじゃれあうロニとジューダスを見て「……仲いいなぁ……」と顔を見合わせた。

 


from 幸福詐欺師