芝村は泣かない。

 だから、私は泣いてない。

 

 

泣かない女。







「厚志、この機体はもう持たない。降車するぞ……!」

「……! だけど、舞……!」

 速水の言いたいことは舞には充分にわかっていた。突出した一番機をフォローする為に走った三番機が逆にミノタウロスの攻撃に遭い、士魂番は軋んだ悲鳴をあげた。このまま乗っていたらミノタウロスの餌食になるだけだ。

 だが、目前にはまだそのミノタウロスが今にもとどめをささんと立ちはだかっている。普段、士魂番と言う厚い鎧に包まれて戦っている二人にとって、ウォードレスのみで機体から降りると言うのは死を予兆するに十分だった。1番機は既に指令の命令を受けて撤退している。

 速水は唇を強く噛み、ヘッドセットのマイクに向かって大声で叫んだ。

「三番機放棄。速水、芝村両パイロットはここから脱出します。だれか援護に回って来れませんか?」

 指揮車からほんの僅かな沈黙のあと、絶望的な返答が瀬戸口から帰って来た。

「……たった今準竜師から撤退の命令が出た。うちの小隊はしんがりだ。人員を回している余裕は無い。なんとか自力で帰ってきてくれ」

 速水は小さく舌打ちをした。こんな時でも流麗な瀬戸口の声に八つ当たりとわかりながらも苛立つ。

「行くぞ、厚志。大丈夫だ。若宮なぞカトラス一本でミノタウロスを倒した事があるらしいぞ。こちらにはアサルトライフルがある。負けるものか」

 だって若宮はスカウト本業だろうとか、その自信はどこから来るんだとかとか色々言いたいことはあったが、口論している時間など無い。

「了解。……死んだら許さないからね」

「ふん。誰に向かって行っておる。……行くぞ」

 二人は外に飛び出した。

 忌々しいほど空は青い。





 自分の足はこんなに脆いのか。

 人間の体はこんなに脆弱なのか。

 舞は時々振り帰ってアサルトライフルを放ちながら思う。口惜しい。あの機体さえあれば、士魂号に、もう1つの自分に乗り込んでさえ入ればこんな相手に怯みはしないのに。

 もう激しく動き出した心臓の悲鳴を無視して舞は再び駆ける。ミノタウロスの射程距離からなんとか逃げながら、指揮者の場所を確認しながらただ、走る。

「厚志、着いて来ているか?」

 振り帰って視認する余裕もなく声を張る。

「大丈夫。それより、そろそろあいつをなんとか振りきるよ。指揮車まで誘導する訳にもいかないからね」

「うむ」

 スピードを上げて舞の隣に並んだ速水と視線を合わせて一度頷きあうと、二人はばっと二手に分かれて走り出した。舞はビルの陰へ、速水は道路沿いに。ミノタウロスは一瞬迷ったあと、姿の見える速水の方を向く。その瞬間無防備だった横から舞のアサルトライフルが火を吹いた。

 その巨体が一瞬よろける。

「……大丈夫。いける」

 ミノタウロスの視線が自分を捕らえるのを確認して、舞は自分に言い聞かせるように呟いた。今度は自分が引きつける。速水は必ずダメージを与えるだろう。倒さなくてもいい。足を緩め、自分達が逃げきる時間を稼げれば。

 舞は相手を引きつける為に、バックステップでゆっくりと下がる。

「そう、こっちだ。もっと来い。もっと。……いい子だ」

 目の端で、速水がじりじりとミノタウロスの背後に移動している事を確認し、舞は不敵に薄く笑む。

 その時、幻獣の瞳の赤みがより深まった気がした。背筋がぞっとして体中の肌がそばだつ。

 ……来る……!

 舞は体を翻し、一気に走ろうとした。その時。

「…………え?」

 視界の端に映ったもの。

 ……犬?

 気を取られたのはわずか一瞬。だが。

「……あうっ……!!」

 左足に激痛が走った。バランスを崩し顔からアスファルトに倒れ込む。頬の辺りでじょりっと肌の剥ける嫌な音がした。

「くっ」

 慌てて仰向けになり上半身を起こす。左足はじくじく熱い。

 立てないとそれでも冷静な頭で判断すると、アサルトライフルを構えて怒鳴る。

「厚志! 今のうちに逃げろ!!」

「馬鹿言わないでよ!!」

 速水ががむしゃらにライフルを乱射する。

「馬鹿者! 無駄に弾を使うんじゃない!」

 馬鹿はどっちだよ。速水は小声で呟く。だが、ミノタウロスはターゲットを舞に定めてしまったらしく振り返しもしない。

 ミノタウロスが、手下のように生態ミサイルを射出した。暫しそれはミノタウロスの体の周りを漂う。不愉快な空白はすぐに終わり、舞に向かって飛んできた。

 ここで私は終わるのか?

 恐怖が心を縛りあげる。だが舞は目を閉じたら負けとばかりにミノタウロスを睨みつけた。

「……お前の顔、忘れはせぬぞ」

 ありったけの憎悪で呟く。目は閉じない。

 だから、舞は見た。

「…………っな」

 視界をよぎった黒い影。「それ」に抱きかかえられて世界が一回転し、何かの下敷きになった。

「……なんでお前がここにいるのだ」

 割れたヘルメットから、赤黒く染まった金髪が見えた。それを伝った赤いものが、舞の頬に落ちる。

「…………来、須」

 青い瞳が美しい。

 声が、擦れた。







 大きな音が響いた。速水がミノタウロスを倒した音だと思い至ったのは随分後のことだった。

 舞は、ただ動けず自分に覆い被さる男を見ていた。

「……何をしておるのだ」

 力ない声が勝手に零れる。

「援護に来た」

 ぼそっと、こんな時でも冷静に来須は答えた。

「……血が……」

 舞はそっと手を伸ばして、来須の指先で濡れた前髪を払った。

「……何故だ……」

「…………」

「……何故お前は、こんなこと……」

 その時、来須の体が崩れ舞の上に倒れ込んで来た。

「来須? 来須! ……!!」

 その来須を抱きとめた舞は、ざっくりと裂けた背中を見た。

「来須! しっかりしろ、来須……!」

 体を揺さぶると苦痛のうめき声が洩れ聞こえた。



「……くそっ。指揮車! 聞こえるか。芝村だ」

「舞、大丈夫!?」

(近寄った友の声にも気づかずに)

 ……以前、友軍の者が負傷した時、その友らしき人物がその傍らで正体もなく泣き喚いていたのを見た事がある。その時は、そんな暇があるのなら早く治療してやればいいと思った。



「来須が負傷した。至急回収に来い! 至急だ!!」

「舞、落ちついて。大丈夫だから」

(自分の動揺にも気づかずに)

 今は酷くそれが羨ましい。



「頼む、早く病院へ……!!」



(己の、声の熱さにも気づかずに)







 友軍が駆けつけ、戦況はなんとか引き分けへと縺れ込ませる事が出来た。戦果なんか知るかと言った気分であったが、安全に怪我人を回収できることには速水は感謝する。

 今、怪我人は運搬車に収容され、その中で石津が来須のウォードレスを引っ剥がし応急処置を施している。舞は座り込んだまま加藤に応急処置を受けていた。思いの他軽い傷だという加藤の独り言が聞こえ、速水は胸をなでおろす。だが、舞の瞳はまだ呆然と来須へ釘付けになっていた。

「よし、足はこれで大丈夫や。あとは頬の傷やな」

 舞の白い頬には大きな擦り傷が出来て、小さなジャリもいくつか入り込んでいるようだった。

「よい。軽傷だ」

「何言っとんの! 女の子の顔に傷が残ったらどうすんねん」

「そうだよ、舞」

 速水はそこで会話に入り込んだ。

「小さな傷からばい菌が入る事だってある。……加藤さん。後は僕がやるから向こう手伝ってきて」

 そう言って治療道具を受け取り消毒液を大量に浸したガーゼを頬の傷に当てた。

「……っ!」

 体がビクンと反応したが、気にせず治療する。

「……痛いぞ」

「我慢して」

 速水は手際よく消毒して行く。

「…………痛いぞ、厚志」

 舞は胸の辺りに手を当てて俯き拳を握り込んだ。

 その声は力無い。

 何が?

 そう聞いてしまったら余計な事に気づかせてしまう気がして速水は別の事を言った。

「……泣いてるの? 舞」

「芝村は泣かぬ」

 実感の篭らぬ声で、ただ事実をいう舞に速水は頷いた。

「……そうだね」



 泣かない。

 他ならぬ舞がそう言うのなら、手にかかるこの熱いものはきっと存在しないものだ。

 速水は、もう何も言わずにその頬にガーゼを当てた。







 病院の廊下。手術中の赤ランプが浩々と光っている。

 その前の椅子に座る善行と速水の間に重苦しい沈黙が落ちていた。

「……参りましたね」

 沈黙に耐えかねたと言う訳でもないだろうが、善行がボソッと呟いた。

「えぇ」

 速水はため息をつくように答えた。何度来てもこの匂いは好きになれない。

 その時、廊下に涼やかな声が響いた。

「……こっちの具合はどう?」

「……原百翼長……」

 薄暗い廊下の中で、その美しい顔は今は疲れて見えた。

「学校の方はどうですか?」

「今、整備班はてんてこまいよ。三番機は予備と交換だし」

「一番機はどうしました?」

「今予備無いもの。無理にでも元の状態に戻して見せるわよ」

「それはお疲れ様です。いいんですか? こんな所にいて」

「いくつか善行に許可して欲しい事があってね。……それで?」

 原は手術室に視線をやってこちらの状況説明を促した。

「……芝村さんは正式に治療を受けて眠っています。明日一日入院して、明後日には家に帰れるそうです。来須君は……」

 そう言って善行も手術室のランプを見た。

「……まだ。終わらないのね」

「……えぇ」

 原は小さくため息をついて暫しそのランプを睨みつけた後、気を取りなおしたように息を吐くと善行に向かって事務的な話を始めた。

 速水はそれを聞くともなしに聞きながら膝に肘を預けて前屈みの体型にじっと手の甲を見つめた。

 まだ、落ちたあの感覚が残っている。

「……うっわ、やな感じ……」

 吐き出した息に、制御しきれぬ感情が洩れる。

 ただの思い過ごしであればいい。速水はそっと手の甲の、熱かった部分に唇を押し当てた。

「……早く起きてよ、来須」

 眠っていては文句も言えやしない。



 手術室のランプが、そっと消えた。







 目を開けば見知らぬ天井。匂いを元に来須は病院だと気づいた。

 手足の感覚が鈍いのは麻酔か怪我のせいか。自分の思い通りに動かぬ体はどうにも不安で酷く鬱陶しかった。

「……誰だ」

 ふと、扉の方に人の気配を感じ声を発した。自分が思っていたよりずっと頼りない声だった。

「……私だ」

 その声も、普段の生気満ちた声から程遠かった。

「……芝村か」

 少女は松葉杖をつきながらゆっくりと近づいて来た。いつも1つに縛っている髪は今はたらされている。その歩き方は危なっかしくて思わず手を差し伸べてやりたくなる。もう夜も深い。少女の顔が窓から零れる月明かりに照らされ見えるようになったのはベッドのすぐ傍に辿りついてからだった。頬に大きなガーゼを当てている。顔が青白いのは月明かりのせいだけではないだろう。

「……一命は取りとめたようだな」

「あぁ」

 来須は布団の中から右手を出して感触を確かめるように握ったり開いたりした。

「……手術は無事成功したそうだ。一週間は入院してろと言っていた。善行と速水がさっき帰った。これから整備やら書類作成やらで徹夜だと言っていた」

 口早に事務的な連絡を淡々と告げる。

「……お前は?」

 舞はその質問に唇を噛んで沈黙を保った。

「……後遺症が残るのか?」

 来須の声に焦りが混じり、体を起こそうとした。それを舞はそっと伸ばした指先だけで押しとどめる。

「明日一日入院する。明後日には戻れる。何も無い」

「そうか」

 安心したように天井に視線を瞳を閉じた。

 ……意外と長い睫毛をしている。頭には帽子の変わりに包帯が巻かれていて、真新しい包帯は清潔だが痛々しさも倍増だ。

「……こんな怪我をするなんて、お前は馬鹿だ……」

 指先で額の辺りの包帯をなぞった。ぽつりと、感情を見せない声で呟く。

「……もう、部屋に帰って寝ろ」

 静かな夜だった。微かに揺れる窓の外の木の葉ずれの音が怖いぐらい響いている。月明かりを受けた少女の姿はどこか病的な美しさだった。

「あぁ、わかっている」

 だが少女は動かず、ただゆっくりと包帯のなそっていた。

「……用があるなら早く言え」

「用か? ……用……。……そうだ、私は用があるのだ。そのせいで眠れない」

 芝村らしからぬ奥歯に物の詰まったものの言い方に来須は薄く目を開いた。

「……私は、まだ答えを聞いていない」

「?」

 なんのことかわからず、目で問い返す。

「……何故お前は、ここで寝ている……」

「……」

 押さえられた声は決して大きくなかったけれど。

「なんでこんな怪我をして苦しんでいる」

「……」

 来須には叫んでいるように聞こえた。

「……何故、私をかばったりしたのだ……!」



 落ちてきた血の不吉な温もり。

 垣間見えた瞳の、その美しさ。

 胸が詰まって、鋼鉄の平常心をあっさりと奪って行ったこの男。

 強く強く唇を噛み締めたら血の味がした。



「……瀬戸口との通信が聞こえた。他に援護にこれる人物がいなかった。だから俺が言った。それだけだ」

「二人だけで充分逃げきれた!」

 だんだん口調が激しくなる。



「生存率を高めるのは当然の行為だ」

「その為に自分の命を張って死んでみろ。笑い種として永遠の不名誉を着ることになったんだぞ!」

 感情の高ぶりを押さえられない。



「死んでからの事に興味はない」

「馬鹿者!」

 こんな事を言いたい訳じゃ無いのに。



「私のせいで勝手に死んでみろ! 私は……! 私は……!!」



 どうしてこんなにペースが乱される?





 痛い沈黙が降りた。俯いた舞は何かを堪えるように肩を震わせている。

「……芝村……」

「……そなたは……」

 搾り出すような、苦しげな声が病室に響いた。

「……そなたは一体私に何をしたのだ」

 舞は自分の胸元に手を当てて言った。

「……胸が……、胸が痛いのだ」

 強く、自分の服を握り締めた。その拳が震えている。それは怒りにかも知れず、あるいは屈辱にかもしれない。

「何故私がお前の為にこんな思いをしなければいけない!」

「……」

「……胸が痛くて眠れない。息が出来なくて窒息しそうだ!」

 何に対する怒りかわからぬまま、舞は叫んだ。

「……一体私に何をした。どうしてこんな思いをしなければならないのだ!」

 がらんと杖の倒れる音がした。舞はベッドの脇に崩れ落ちた。

「……私は苦しい……」



 真摯に訴えかける瞳が、自分には真っ直ぐ過ぎて眩しい。

 人付き合いが不器用で、逃げる事を知らない彼女はいつでも体当たりだ。

 来須がベットの上からそっと舞の髪に手を伸ばすが払いのけられた。

「触るな!」

 払いのける手の強さに少し笑いながら、来須は子供をあやすように頭を撫でてやった。髪の合間から見える首筋の青白さが艶めかしい。自分が動けない事に少し感謝する。

「……子供扱いするでない……」

 その言い方が、すでに聞かん気の強い子供だ。

「……お前といると、腹が立つ事ばかりだ。どうにかしろ……!」

 肩を振るわせる少女に愛しさに似た感情が沸く。

「……泣いているのか?」

「芝村は泣かぬ……!」

 噛み付くようにきっと顔をあげ来須を睨みつけた。その目許が月光を受けて光っている。来須はそっとその目許に指を当て、では一体何なのかわからない液体を拭ってやった。

「……別に、大した理由があったわけではない……」

 言葉少ない彼が勝手に始めた解答編に、最初舞は気がつかなかった。

「ただ、……お前達、お前や速水がいなくなるのは嫌だった。どちらかが泣くのを見たくもない」

「……だから、自分がそんな怪我を負ったのか……?」

「……お前が気にする事は無い。自分の願望に従っただけだ」

 舞は鼻をすすって小さく睨みつけながら言った。

「……そんなことで、お前は命をかけるのか?」

「人が人の為に命をかける理由なんて」

 来須は一度言葉を切って窓の外に視線を転じた。

 あぁ、今日は本当に空が美しい。

「多分、そんなものだ」





「ようやく帰った」

「……速水?」

 舞が帰った病室はまだ眠りに落ちられなかった。意外な訪問人にさすがに来須も驚いた。

「どうかしたのか?」

「うん。ちょっと忘れ物してさ」

 言って速水は来須のベッドに浅く腰掛けた。

「……さすがにちょっと疲れたよ」

 速水はくたびれた笑みを浮かべて軽く首をかしげた。

「……どうした?」

「うん……。ちょっとね」

 速水は手の甲をぼうっと見つめて呟いた。

「……胸が痛くて眠れない、か」

「……」

「ごめん、聞いちゃった」

 少しの間浅く傾いだ首を反対方向に振りながら、何も無い空間に何かを見ていた。口元に刷かれた笑みはいつもの優しい笑みだが、深かった。

「……あのね、来須。僕は舞が幸せになれるなら、結構それでいいんだ」

 愛しい者を語るには諦めが勝ちすぎた声だった。

「やっぱ敵に塩送りたくないから舞にあんまり色々言ってあげる気無いんだけど、最終的にどんな関係になろうと、来須がいなくなったら舞泣いちゃうみたい」

 ゆるりと首を向けて微笑んだ。

「……だから来須は死んじゃめーなのよ」

 最後の最後に茶化した速水の目はそれでもやっぱり真剣だったから。

「……気をつける」

 迂闊な約束はしないで来須は答えた。

「……なぁんか、同じ状況になったらまた同じことしそうだよね、その返答」

 速水はちょっと呆れたように言いながら、ベッドから立ちあがった。

「ま、いいや。とりあえず早く退院してきてね」

「……おい」

「ん?」

 用は済んだとばかりに病室から出て行こうとした速水に来須は声をかける。

「忘れ物とはなんだ」

「あぁ」

 忘れていたと目を見開いてくるりと振り帰ると極上の笑みを浮かべて言った。

「うん。お礼言うの忘れててさ。……舞を、僕達を助けてくれてありがとう」

 その笑みだけは、本当に心の底からの笑顔に見え、それが来須にはなんだか痛ましかった。

 


from 幸福詐欺師