貴方はもっと望んでいい。





落日に寄せる思い





 無事エフラムと合流を果たしたエイリーク一行は落ちたジャハナ宮から少し離れた所に少し早いが野営のテントを張っていた。首脳陣が今後の方針を会議している間、フォルデはスケッチブックを片手にこっそりと雑務から逃げ出して、砂漠に落ちる赤い太陽を見ていた。

 そこはちょっとした丘になっていて、小高いそこからは砂漠が見渡せた。砂丘を赤く染め抜く太陽と、繊細な陰影に瞳が奪われる。

「……すげぇなぁ」

 スケッチするつもりで来たのだが、これは少し手に余る。ぽかんと口を開いたまま、無言で見とれた。手を動かすのすら惜しい。落ちきるその瞬間までこの目に焼き付けておきたかった。

 だからだ。こんなに簡単に背後を取られたのは。

「こんな所で何をしているのですか? フォルデ」

「うっぉう……!!」

 直ぐ後ろから聞こえた声にフォルデは慌てふためいた声を上げて、座ったまま後退し剣に手をかけた。だが、その手も声をかけた人物と目が合って直ぐに離した。

「エイリーク様……」

「ごめんなさい。そんなに驚くとは思わなくて……」

 フォルデの驚きにかえって驚かされたエイリークは口元に手を当ててきょとんとフォルデを見下ろしていた。

「いえ、すいません。ちょっとぼうっとしてたもので」

「まぁ! でも、わかります」

 くすっと笑ってからエイリークは丘の上から砂漠を眺めやっていった。

「……美しいですね」

 口元に薄く佩かれた笑みは優しい。だが赤い洛陽の光を受けて滑らかな肌に濃い陰影を作るその表情はどこか憂いて物悲しかった。

「エイリーク様?」

「……少し、隣に座ってもいいですか?」

「え、えぇ、そりゃかまいませんけど」

 ありがとう。

 小さく微笑んで、フォルデの隣に腰を下ろす。

「会議があったのでは?」

「もう、終りました」

「どうして、ここへ?」

「ちょっと広い光景を眺めたくて」

「だからって護衛をもつけずに……」

「……ごめんなさい。ちょっと一人になりたかったものですから」

「…………」

 膝を抱えて、砂漠を見つめる少女の横顔をフォルデはそっと盗み見た。目の前の雄大な光景に心を奪われると言うには、その瞳はあまりに沈んでいる。

「……どうか、なさいましたか?」

「え?」

「浮かない顔をしてらっしゃるようですが」

「そうですか? 少し疲れたのかもしれませんね」

 瞳を美しかった宮殿へと向けて言った。理不尽な暴力に晒された白亜の宮殿は今は見るも無残な姿を晒している。

「……少し、疲れました」

 あんなに美しかった。宮殿もそこに住む人も。この地にたどり着いて、自分は確かに安堵を覚え心が安らいだのに。

「まぁ、そりゃそうでしょうね。少し、人が死にすぎました」

「……フォルデも戦が、お嫌いですか」

「あたりまえです」

 血が理性を狂わせて行く。当たり前の日常をあざ笑って踏みにじってゆく。

 人はもっと人に優しくなれるはずだ。そんなささやかな願いがどうしても届かなかった。

「大切な物を、沢山なくしました。庇護すべき人たちは、今だ俺たちの手の内にありません」

 今、苦境にある故郷の人々のことを思うと、自然と背筋が伸びる思いがした。暴力に怯え、自分の無力に嘆く人たちの元に、早く帰らねばと考えれば勇気が湧いた。

「そうね。そうですよね」

 エイリークは考え深げに答える。

「だけど。ねぇ、フォルデ、だけど」

 エイリークは静かに立ち上がり、引き寄せられるように、もうほとんど地に沈んだ太陽に向かって2,3歩足を踏み出す。



「だけど、フォルデ。本当に大切な物は、無くしてばかりですか?」

 

 その問には、どこか懇願するように響いた。







 遠くに落ちる夕日は美しくて、人がどれだけ苦しもうと、自然はただひたすら毎日を繰り返すことを実感する。

 ルネスの洛陽は優しかった。山の合間に消えていく太陽は、柔らかく街並みを染めていく。頬を赤く染めた子どもたちが大好きな母親の元へ走って行き、夕食の手伝いをしながら父の帰りを待つ。任務の引継ぎを終えた兵士たちが馴染みの酒場に繰り出しては上司の悪口を肴に酒を楽しむ。当たり前の、優しかった光景。

 ここの太陽は苛烈だ。遮るものは何もない。昼は過酷なまでの熱を注ぎ、地に隠れたら一切の温もりが断たれる。

 こんな太陽もあるのだと、初めて知った。

 ここに来るまでに沢山の人にあった。沢山の人と語らった。時には反発しあい、時には背を預けあって戦火を駆け抜けた。

 あったはずなのだ。

「……この戦いが起きなければ、得れなかった物だって、ありますよね?」

 頬を撫でていく風は優しい。エイリークは、風に舞う髪を押さえつつフォルデの方を振り返った。

「この戦いが起きたからこそ、手に入れた物だって、きっと」

 目の前の優しい騎士が頷いてくれればいい。願いながらエイリークは言った。

「貴方とだって、こんなことがなければこんなに沢山語り合うことはなかったかもしれない。私たち、きっと平和な国の姫の騎士だった時よりずっと仲良くなれましたよね」

「……そうですね」

 肯定されたことが嬉しくて、つい言い募る。

「えぇ。苦境に陥ったからこそ得られた仲間だって……、……仲間だって……」

 言葉尻が揺れてしまった。フォルデの視線が変わったのを気配で感じる。いけない。彼はとても人の心に敏感だから、これ以上揺らぎを見せてはいけない。

 思ったけれど、脳裏に浮かんでしまった人物の姿をどうしても消せない。



 一度だけ、この夜が明けないのではと不安に陥ったことがある。

 長年暮らした城を、理不尽な力で奪われた。優しかった父と力で引き剥がされた。大切な兄の行方はわからない。

 自分は生きているだけで、狙われる対象となった。もうやめてと叫んでも、誰の耳にも届かない。聞き届けてもらえない。沢山の剣が、槍が自分の体を狙っている。一刺しすれば莫大な金と引き換えられる宝となった。

 怖かった。

 死ぬことがこんなに怖いとは知らなかった。

 心臓が痛いほど激しく動いた。自分めがけて繰り出される刃を細い剣で捌きながら、いやだいやだと泣き叫びたかった。

 純粋な恐怖。絶望。

 自刃の誘惑すら感じた自分に、たった一つだけ与えられた温もり。

 疲れて寒くて、もう動けないと思った私の体をその温もりが包み込んでくれた。大怪我を追いながらも、ずっと抱きしめていてくれた。

 むせるような血の匂いの中で、それでもその力は緩むことはなかった。

 そのことが、ただ嬉しくて。

(あれで好きにならないなんて、嘘だ)



「無くしたものばかりなわけないですよね?」

 グラドとの和平の道は閉ざされた。

 架け橋になってくれると願っていたリオンの変容。失われた友諠。もう帰らない日々。

「無くしただけなんて、そんなの悲しすぎますよね?」

 体に増えた傷が嫌なわけじゃない。味の薄い糧食だって皆で食べれば美味しい。

「戦がおきたのは悲しいけど」

 本当に怖いのは後悔で

「起きないのであればそれに越した事はないんですけど」

 戦で得たものを自分で無価値にしてしまうことだった。

「……エイリーク様?」 

 戸惑うようなフォルデの声に、自分が泣いていたことに気付く。

「ねぇ、フォルデ」

 呼びかけた時、その人の声が響いた。



「エイリーク様……!」

 赤い陽の中に浮かび上がるシルエット。





「悪いことばかりでは、なかったですよね」





 なかったことには、もうできない。







「こんな所にいらっしゃったんですか、エイリーク様」

 そんなに心配だったのだろうか。戦場でだって滅多に焦りを見せないこの上司の息が弾んだ様子にフォルデは少し驚いた。

「こんな所で一体何を……」

 乗ってきたから馬から降り、座ったままだった自分に物言いたげな一瞥をくれてからエイリークに手を伸ばしかけ、ふと身を凍らせる。

「エイリーク様? 一体、何が……」

 エイリークの流す涙にそれ以上動けなくなったゼトは戸惑ったように少女を見つめている。そのゼトにエイリークはにっこり笑うと何でもありませんと静かに呟いた。

「ですが……」

「先に戻ります。フォルデ、邪魔してごめんなさい」

「いえ、いつでもどうぞ」

「では」

「あ、エイリーク様、私も共に……」

「一人で大丈夫です」

「ですが……!」

「大丈夫ですよ。味方の陣営の中だし、大体エイリーク様はただのお姫様じゃありませんよ」

 これ以上あんな顔をゼトに見せたくないであろう内心を察し、フォルデはゼトの肩を引きとめた。エイリークはありがとうと小さく微笑んで去っていった。そして男二人が取り残される。

「……どういうことだ、フォルデ」

「どういうこと、とは?」

「エイリーク様と何があった!」

「別に。ただ、話をしてただけですよ」

「話してるだけで、なぜ泣く!」

「そんなに怒らないでくださいよ。別に俺が泣かせたわけじゃありませんって」

 軽く肩をすくめたら、生真面目なあの人は余計腹が立ったようだった。

「フォルデ!」

「……本当に、ゼト将軍はエイリーク様が心配なんですね」

 自分の呟きが、妙にしみじみ聞こえて、ゼトににらまれていなかったら思わず噴出していただろう。

「……一体、何の話をしていたんだ?」

「気になりますか?」

「……フォルデ」

 ちょっとからかいが過ぎたようだ。ゼトは深くため息をついてから言った。

「お前のことは信用している。だが、言動には気をつけてもらいたい。……エイリーク様はいずれ国を治めるお方だ。不本意な噂が流れては困る」

「ルネス王女・騎士と密会、涙の帰宅!とか?」

「フォルデ」

「はいはい、すいません」

 眉間に皺を寄せてゼトは不機嫌に言う。

「……エイリーク様は、エフラム様と共に、この軍を束ねる要の方だ。その方が、誰か一人の臣だけを贔屓していると思われたら、この軍の規律はたちどころに乱れてしまう。そんな事態は避けねばならぬ」

「…………」

 本当にこの人らしい物言いだなぁと、いっそ惚れ惚れする。

 生まれながらの騎士、その揺るがぬ忠誠心にはほとほと感心する。

「……あ〜、それでか」

 なんとなく、エイリークの涙の理由の一端が垣間見えてしまった。

 ……二人の気持ちなど、少し近しい人から見ればばればれだ。

「……そんなに心配なら……」

 だというのに、決して距離を縮めようとしない。あまりに不器用な男の姿に可哀想にすらなる。

「そんなに心配なら将軍がずっと守って差し上げればいいんですよ」

「……フォルデ。君は私の話を聞いていたか?」

「贔屓していると思われたら困ると?」

「……そうだ」

「だったら、そんな噂跳ね返すぐらいの実績を積めばいいんです」

 そもそも、もう今でだって周りは十分納得するだろうに。

 思ったらだんだん腹が立ってきた。

 ゼトがこの戦の影の功労者であることぐらい、誰もが知っている。彼の働きなしに王女エイリークの命が守られたなどと誰が思おう。

 ルネス再興の暁には、その褒章として堂々とエイリークを貰い受ければいいんだ。



「……貴方は、もっと」

 似た者の主従。

 絶えることに慣れすぎて、自分さえ我慢すればいいと思ってる。





「貴方は、もっと望んでいい」





「私は騎士だ」

「だから、何ですか」

「……私は、騎士だ」

 眉間に刻まれた皺が彼の苦悩を表している。

 彼も苦しんでいる。

 変な話だが、その事実に少し安堵した。

「……さて、それじゃ俺はそろそろ行きます。仕事サボったんでね。カイルに怒られてきますよ」

 雰囲気を変えるように苦笑して言うと、ゼトも少しほっとしたように強張った微笑を浮べた。

「あぁ。わかった」

「それでは」

 スケッチブックを片手にその場を立ち去る。ゼトは動く気配がしなかった。

 丘が見えなくなりそうになるほど歩いた時、一度だけ後ろを振り向いた。

 もう、太陽の落ちきった砂漠を、ゼトは眺めていた。多分、砂漠よりもっと遠いものを見つめていたのだろう、その眼差しは何の感情も映さず、ただ透明だった。



――「悪いことばかりでは、なかったですよね」





 えぇ、そうですよ。

 少なくとも、うちの上司にあんな顔をさせるようにしたのは貴女だ。

 どうか、あの無垢な思いが、これ以上無残なものに踏み荒らされないように。

「あぁ〜、カイル怒ってんだろうなぁ」



 戦は、まだ続く。

 


周りに聖魔をやってる人がいないので、自給自足です。だれか私ともえを共有してくれ。

というわけでゼトエイです。フォルデが出てるのは私の趣味です。

でも本当はフォルデは裏でエフラムと、まぁだ煮え切らないよあの人ったらとかってデバガメしてカイルに怒られるのが似合ってると思います。