後悔している。

 あんな言葉など許さなければよかった。

 

抜けぬ楔。





「エイリーク、いま少しいいか?」

「はい、兄上」

 陣中を見舞っていたエイリークはエフラムに声をかけられて振り返った。

「どうかなさいましたか?」

「今後の進行のことで少し話し合いがしたい。お前も出てくれ」

「はい、わかりました」

「ヒーニアスにはもう声をかけてある。俺はラーチェルを呼んで来るから、お前はゼトを呼んで来てくれないか?」

「……え?」

 素直な返事が返ってくると思っていたエフラムは、エイリークの微かに凍りついた声に眉をひそめた。

「どうかしたか?」

「え、いえ、なんでもありません」

「ゼトは今武器の在庫数をチェックしに行っている筈だから、輸送隊にいると思う。頼んだぞ」

「……はい」

「……エイリーク?」

 笑顔を繕って見せても、どこか浮かないその表情にエフラムは訝しむ。

「具合でも悪いのか?」

「そんなことありません」

「浮かない顔をしているな」

 エフラムはそっとエイリークの髪を梳いた。

「……何かあったのか?」

「別に、何も」

「お前なぁ」

 エフラムはため息をつきながら、エイリークの額を小突いた。

「いたっ」

「お前が俺を誤魔化せると思うのか? 何があったか言ってみろ」

 う〜と恨めしげに睨む妹の頭に手を置いて、その顔を覗き込んだ。子ども扱いしないでと言いたかったけれど、自分を覗き込む瞳を見てしまったら言葉は封じられてしまった。おどけた口調であっても自分を心配する気持ちに偽りがないことがわかってしまったからだ。

「……ゼトと何かあったか?」

 ゼト。

 名を聞くだけで、泣きたくなった。



「……何も、ありませんよ」

 兄も進軍で疲れている。この上、余計なことで煩わせたくない。エイリークは無理やり笑みを浮かべて頭に載せられた優しい手をそっとはらった。

「だから、心配なさらないで下さい」

「おい、エイリーク」

「ゼトでしたね。今呼んで参ります。兄上の天幕でよろしいですか?」

「あ、おい!」

「それじゃ、またあとで」

 まだ何か言いたげな兄を置き去りにして、走り出した。ごめんなさいと、心の中でだけ謝りながら。





 エフラムが言ったところに、ゼトは居た。

 部下に指示しながら何かを手元の紙に書き込んでいる。真剣な顔で武器のチェックに余念がない。なんだかその姿が無償に遠く感じて、暫しエイリークは固まったように、その姿を眺めてしまった。

 ……二人きりで始まった旅だった。城を終われ、兄の行方も知れず、ただ不安で明日が見えなくて、本当に不安だった時傍にいてくれた人。あの傷。伝えてしまった言葉。許してしまった言葉。

――私も、あなたと同じ気持ちでした。

「……早く行かなくちゃ」

 袋小路に入り込みそうな思考を振りほどいて、歩き出した。歩く先に、将軍の顔をしたあの人がいる。

「ゼト」

「これはエイリーク様。こんなところまでどうなされましたか?」

「今時間が取れますか? 今後の進行について話がしたいと兄上が」

「はい、わかりました。直ぐに参ります」

 言って、部下にいくつか指示を出してから共に歩き出した。自分よりだいぶ高いところにある肩を少し気にしながら歩く。

「……ここも、随分人が増えましたね」

 何となく沈黙が辛くて、野営地で生き生きと活動する兵士たちを眺めやりながらエイリークは言った。

「そうですね。国は違えど、士気を保ったいい軍です」

 ゼトの穏やかな声が高いところから降るように落ちてくる。

「……あなた方のおかげですよ」

「え?」

 その声が自分に向けて発せられたのに気付いて思わず仰ぐ。

「エフラム様の勇敢な姿と、エイリーク様の優しいお心がこの軍を活気付けているのです」

「……そんな」

 買いかぶられているようで戸惑うエイリークの姿に、ゼトは思わず優しく微笑んだ。

「エイリーク様は、いつでも兵を気遣い励ましてくださる。それが、彼らにとっては本当に嬉しいし明日への活力になります」

 足を止め、慈しむような眼差しでエイリークに告げた。

「……もちろん、それは私にとってもですが」

 当たり前のように付け足されたその言葉に、エイリークは息を呑み、思わず顔を伏せた。

「エイリーク様?」

「……ゼトは……」

 声が震えないように、必死に堪えながら呟いた。

「……ゼトは、簡単にそんなことを言うのですね」

「……エイリーク様? 今なんと……?」

 小さく聞こえなかった言葉をゼトは問い返す。が、次に顔を上げたときにはエイリークの顔に笑顔が戻っていた。

「いえ、ごめんなさい。なんでもありません」

「エイリーク様」

「私、兄上に急用を思い出しました。先に行きますね。それじゃ」

 なんだか、逃げてばかりだな。

 思いながら、エイリークは走り出した。





 あんな言葉を許すんじゃなかった。許すんじゃなかった。

 本気で走って、息が爆ぜる。大した距離走っていないのにこんなに乱れるのは、心の乱れに起因しているのだろうか。

 自分に与えられた天幕の中に走りこんで泣きだがる自分を必死に叱咤した。

 泣くな。私は王女なのだから。

 この感情を、あの人は負い目と言った。そしてそれが過ちだとも。

 王女として望ましくないと、そう言ったのだ、あの声で。

 彼は間違ったことを言わない。だから過ちを犯したは自分なのだ。

「……ならば、なぜあんなことを言ったのですか」

 拒絶してくれればよかった。期待など抱かせないで欲しかった。

 ただ、拒絶さえしてくれれば、一晩泣いて涙がなくなるころには淡い初恋だったと笑うことだって出来ただろうに。

 あの時の言葉を一言一句間違えずに思い出すことが出来る。あの時の瞳も。

 あの声であんな言葉を囁きながら、あんな熱い瞳で自分を見ておきながら、何事もなかったかのように賛辞してみせる。



「……貴方は残酷です」





 忘れろと言いながら、最後の最後に抜けない楔を打ちつけられた。





「……行かなきゃ」

 揺らいではならない。

 私は決して、揺らいではならない。

 無理やり息を吐き出してから、エイリークは歩き出した。

 それでも、戦いが待っていた。

 


ゼトッチそりゃねぇよと思った衝動のみで書いた話。一つ書いたので満足。

もし次何か書くなら今度はあっかるい奴っていうか仲良し兄妹が書きたいです。